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上京初日の昼飯は日乃屋カレーの決めていた。今期一推しの神田川ジェットガールのコラボイベント実施中だったからだ。あとでわかったことだが、この四谷店は実施されてない店舗。まあ品切れの可能性もあったので仕方ないと思っていた。

これは美味い。ラーメンはオヤツにしか思えない私は御飯物が好み。カレーならいくらでも入る。トッピングもいらない。お店は年末で昼過ぎということもあってか空いていてゆっくり味わうことができた。中央線沿線は営業に回っていたが四谷の一角は担当外でたぶん初めて歩く。ここまでグーグルマップが頼りだったが都心は逆に誤差が出ることがある。そんな時は中央線の線路とお堀が目印になった。

遠景ほど見覚えがある。渋谷区と千代田区は仕事で歩いたが新宿がいまいちわからない。だがこの都心ど真ん中はアニメの聖地も多いため歩いて楽しい。雨でなければ信濃町まで歩きたかった。あまり道草食って泊らせてくれる友人に迷惑になっても悪いので目星を付けて先を急ぐ。この周辺のお堀のある景色が好き。

これは美味い。ラーメンはオヤツにしか思えない私は御飯物が好み。カレーならいくらでも入る。トッピングもいらない。お店は年末で昼過ぎということもあってか空いていてゆっくり味わうことができた。中央線沿線は営業に回っていたが四谷の一角は担当外でたぶん初めて歩く。ここまでグーグルマップが頼りだったが都心は逆に誤差が出ることがある。そんな時は中央線の線路とお堀が目印になった。

遠景ほど見覚えがある。渋谷区と千代田区は仕事で歩いたが新宿がいまいちわからない。だがこの都心ど真ん中はアニメの聖地も多いため歩いて楽しい。雨でなければ信濃町まで歩きたかった。あまり道草食って泊らせてくれる友人に迷惑になっても悪いので目星を付けて先を急ぐ。この周辺のお堀のある景色が好き。
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高ぇなぁ。半額でも高いと思う。生桜エビなんて昔は飲み屋のお通していどの食材と思っていたら これじゃオマールかカニ料理だ。記録的不漁とかニュースでは言ってるがここで疑問。海(水質など)は昔よりはるかにキレイになっているはずなのに漁場は全体に不漁だという。気候変動か取り過ぎを理由にするしかなかろう。

年寄り風にいうなら 昔は天火干しの桜エビで由比から蒲原の港は真っ赤に見えた。因みにその漁場の西側は油まみれの貿易港の清水。反対の東側は当時「ヘドロ」と呼ばれる製紙カスで日本一汚い海の成り果てた田子の浦。その頃のほうが普通に豊漁だったのだから不思議だ。同じ話は山の手にもある。今はホタルなんか全く見ないがホタルの幼虫が棲む清流とは藻がはってタニシやヒルもいる少し濁った沢だった。多少有機物やバクテリアが繁殖できる自然水でないと生物は棲めないんじゃないかというのが個人的見解。昔から小汚い田舎育ちが思うこと。

年寄り風にいうなら 昔は天火干しの桜エビで由比から蒲原の港は真っ赤に見えた。因みにその漁場の西側は油まみれの貿易港の清水。反対の東側は当時「ヘドロ」と呼ばれる製紙カスで日本一汚い海の成り果てた田子の浦。その頃のほうが普通に豊漁だったのだから不思議だ。同じ話は山の手にもある。今はホタルなんか全く見ないがホタルの幼虫が棲む清流とは藻がはってタニシやヒルもいる少し濁った沢だった。多少有機物やバクテリアが繁殖できる自然水でないと生物は棲めないんじゃないかというのが個人的見解。昔から小汚い田舎育ちが思うこと。
テーマ:産地直送 海の幸セット - ジャンル:グルメ
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拈華山龍津寺(ねんげさんりょうしんじ)は 戦没者の爺様と遺族の婆様が眠る墓所で 子供の頃から寺といえば この龍津寺のことだった。爺様は兵役乙種の県庁職員で徴兵免除だったが 志願兵として戦地に向う途中 東シナ海で戦没。これは多少誇れることらしい。法事も墓参りもほとんど来なかった寺に今回伺うことに。

おじま分福食堂はその龍津寺さんで月一開催される地域の食材を使ったお食事会。公式には謳われてないがもちろん子供が優先。ご相伴に預かるつもりで行ったのだが驚いたことに満席。年寄りばかり目立つ田舎に子供が大勢いるのは寧ろ嬉しい誤算。ふだんスーパーやコンビニの惣菜ばかりになってしまうのは致し方ない。材料から煮炊きするのでは手間も時間も掛るし加工済み食品のほうが安く済むこともある。共働きの多い今の子供が地元の食材に触れるには良い機会だ。

その逆の問題として私が子供の頃は今ほど食生活は過剰に豊かではなかったと思う。食卓を囲むなどといっても箸や茶碗の持ち方に親はうるさく 食べ物を残すことなど許されない。兄弟がいる家は奪い合いもある。躾にうるさい家は配膳や洗い物も手伝わされる。食卓にはある種の緊張感があった。ウチの父は下戸だったが晩酌をする父親は珍しくなく食後はタバコを吸うのも当り前。そんな昔話は行き過ぎとしても大人になって会食などすると子供の頃の躾の度合いがわかる。顔を見合わせ食事をすることで 知らず知らずに庶民のテーブルマナーを覚えるわけだ。

分福とは福を分かち合うという意味だという。これは宗派に関係なく 古来こうした寺社の持つ社会的機能の一つでもある。因みに我が父は生前ミソギと称してこの寺に入門したが 厳しい僧侶の修行に耐えられず僅か数日であきらめて逃げ帰ったという笑い話を残してくれた。強者に厳しく弱者に寛大な姿こそ仏の本懐。人に尽くすことを教える。弱者から毟り取ることばかり執着する宗教団体は見習え。

ご住職が手を合わせ「いただきます」。食事に礼から入るのは日本の伝統。孤食が問題となっている昨今はそんな些細な礼節すら学ぶ機会がない。特に年長者の人間的な質が下がった現代では尚更だ。ご馳走とは客人をもてなすために食材を集めるため駆け回る様を淵源とする。食する側がその労苦に感謝することで相互扶助の関係が生まれる。こんな抹香臭い話でも子供の頃から仕込まれれば 働かずにムダ飯を喰うニートなどならずにすむ。それを教えるのが宗教の役目。

おじま分福食堂はその龍津寺さんで月一開催される地域の食材を使ったお食事会。公式には謳われてないがもちろん子供が優先。ご相伴に預かるつもりで行ったのだが驚いたことに満席。年寄りばかり目立つ田舎に子供が大勢いるのは寧ろ嬉しい誤算。ふだんスーパーやコンビニの惣菜ばかりになってしまうのは致し方ない。材料から煮炊きするのでは手間も時間も掛るし加工済み食品のほうが安く済むこともある。共働きの多い今の子供が地元の食材に触れるには良い機会だ。

その逆の問題として私が子供の頃は今ほど食生活は過剰に豊かではなかったと思う。食卓を囲むなどといっても箸や茶碗の持ち方に親はうるさく 食べ物を残すことなど許されない。兄弟がいる家は奪い合いもある。躾にうるさい家は配膳や洗い物も手伝わされる。食卓にはある種の緊張感があった。ウチの父は下戸だったが晩酌をする父親は珍しくなく食後はタバコを吸うのも当り前。そんな昔話は行き過ぎとしても大人になって会食などすると子供の頃の躾の度合いがわかる。顔を見合わせ食事をすることで 知らず知らずに庶民のテーブルマナーを覚えるわけだ。

分福とは福を分かち合うという意味だという。これは宗派に関係なく 古来こうした寺社の持つ社会的機能の一つでもある。因みに我が父は生前ミソギと称してこの寺に入門したが 厳しい僧侶の修行に耐えられず僅か数日であきらめて逃げ帰ったという笑い話を残してくれた。強者に厳しく弱者に寛大な姿こそ仏の本懐。人に尽くすことを教える。弱者から毟り取ることばかり執着する宗教団体は見習え。

ご住職が手を合わせ「いただきます」。食事に礼から入るのは日本の伝統。孤食が問題となっている昨今はそんな些細な礼節すら学ぶ機会がない。特に年長者の人間的な質が下がった現代では尚更だ。ご馳走とは客人をもてなすために食材を集めるため駆け回る様を淵源とする。食する側がその労苦に感謝することで相互扶助の関係が生まれる。こんな抹香臭い話でも子供の頃から仕込まれれば 働かずにムダ飯を喰うニートなどならずにすむ。それを教えるのが宗教の役目。
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なにかの映画のネタにもなっていたが私の生家の周辺は国道(52号線)沿いなのに飲食店が一軒もないド田舎。このド田舎清水区小島にやっと最近食事ができそうな所を見付けたので意気込んで寄ってみた。ソバ屋は多いがウドン屋は以外と少なく久しぶり。実はたべログやローカルTVでも紹介され評価も上々のようだ。

濃い目のお茶は急須といっしょに置かれ 鍋焼きはコンロ付という何やら丁寧な対応。天婦羅は上げたてで超サクサク。これに卵と御代わり自由のご飯が付いて920円(税込)は納得。鍋汁は甘味のある濃い目でご飯にも合うし麺は手打ちということでコシがあるがコンロで調整できる。店内に入ってわかったのは営業時間は10:00~15:00・17:00~20:00とあったが 私が飛び込んでしまったのは知らなかったとはいえオーダーストップ後の三時半くらい。それでも快く迎え入れて下さった。

看板がワイルドだが特に田舎は店の外見と味や内容が反比例なのがお約束。カウンターには日替わり弁当のメニューやテイクアウト用のカレー容器なんかもあったので少々暖かくなったら川釣りやピクニック気分でお弁当を頼むのもアリだなとか皮算用を巡らす。お店の正面は我が家のお墓もある龍津寺なので墓参でも寄れる。国道沿いだが車2~3台は停められる駐車場もある。隣は地元で有名なスイート遠藤さん。ここのどら焼きやスイーツも評判で遠方からも客が訪れる。

濃い目のお茶は急須といっしょに置かれ 鍋焼きはコンロ付という何やら丁寧な対応。天婦羅は上げたてで超サクサク。これに卵と御代わり自由のご飯が付いて920円(税込)は納得。鍋汁は甘味のある濃い目でご飯にも合うし麺は手打ちということでコシがあるがコンロで調整できる。店内に入ってわかったのは営業時間は10:00~15:00・17:00~20:00とあったが 私が飛び込んでしまったのは知らなかったとはいえオーダーストップ後の三時半くらい。それでも快く迎え入れて下さった。

看板がワイルドだが特に田舎は店の外見と味や内容が反比例なのがお約束。カウンターには日替わり弁当のメニューやテイクアウト用のカレー容器なんかもあったので少々暖かくなったら川釣りやピクニック気分でお弁当を頼むのもアリだなとか皮算用を巡らす。お店の正面は我が家のお墓もある龍津寺なので墓参でも寄れる。国道沿いだが車2~3台は停められる駐車場もある。隣は地元で有名なスイート遠藤さん。ここのどら焼きやスイーツも評判で遠方からも客が訪れる。
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考えてみたら ここ数年ウドンなんて食べてなかった。食べる時はいつもソバだ。でも昨日同中を見てきたら無性にウドンが食べたくなった。釜揚げ玉子ウドンなるメニューはあまり見たことがないので月見で代用。かき揚げの具財は最早定番。

静岡周辺では釜揚げといえばザル盛のことだが 四国では汁なしで皿盛か丼盛のことらしい。確かに笊盛に生玉子を掛けて絡ませるわけにはいかない。こうした器の違いにも 地域性があるように思う。丼はふつう陶磁器だが笊や籠は木材が原料。笊は水切りが良いが麺に限らず穀物類は水分を吸収して性質が変わる(ふやける)。ウドンは主に小麦粉が原料で関西から中国近畿の原産が多く、ソバは(どちらかというと痩せた土地で育つ)「蕎麦の実」が原料で関東で多く食されていた。
鶏卵は全国的なものとしても かき揚げは最初は蕎麦の付け合せとして出され天婦羅は江戸前料理に分類される。食材や原料を遠方に運ぶ手段がなく地産地消が原則だった時代(戦前くらい迄)には原産地の違いが風情に反映され発展してきたのだと思う…とか,まあ,そんなネタで同人とかに書き物でもしてみたい。食感を文字に起して表現するのって案外難しいから。
私的にはツーリングに行った時 あまり食べない。なぜかわからないが止まるのが面倒だからかもしれない。それに「食べ歩き」なんて 誰でもヤルし読んでもつまらない。この辺りは特技の「聖地巡礼」と同じ要領で何かと重ね合わせ旅を楽しむ多少の無駄知識と膨大な想像力をもって補うことができる。

食べ物に地域性や季節感がなくなったので 御土産で気分を盛り上げることにする。ただ 「貰った人」が負担にならないように やはり「食べて終える」食材が良い。いわゆるホームコースをぐるっと周っても旅行気分にはなれないが用事があって出掛けた先の話は旅行記たりえる。実はそんな時間と距離を書き出すような記事が一番簡単だ。あとは「感動できる自分」の問題だろう。

静岡周辺では釜揚げといえばザル盛のことだが 四国では汁なしで皿盛か丼盛のことらしい。確かに笊盛に生玉子を掛けて絡ませるわけにはいかない。こうした器の違いにも 地域性があるように思う。丼はふつう陶磁器だが笊や籠は木材が原料。笊は水切りが良いが麺に限らず穀物類は水分を吸収して性質が変わる(ふやける)。ウドンは主に小麦粉が原料で関西から中国近畿の原産が多く、ソバは(どちらかというと痩せた土地で育つ)「蕎麦の実」が原料で関東で多く食されていた。
鶏卵は全国的なものとしても かき揚げは最初は蕎麦の付け合せとして出され天婦羅は江戸前料理に分類される。食材や原料を遠方に運ぶ手段がなく地産地消が原則だった時代(戦前くらい迄)には原産地の違いが風情に反映され発展してきたのだと思う…とか,まあ,そんなネタで同人とかに書き物でもしてみたい。食感を文字に起して表現するのって案外難しいから。
私的にはツーリングに行った時 あまり食べない。なぜかわからないが止まるのが面倒だからかもしれない。それに「食べ歩き」なんて 誰でもヤルし読んでもつまらない。この辺りは特技の「聖地巡礼」と同じ要領で何かと重ね合わせ旅を楽しむ多少の無駄知識と膨大な想像力をもって補うことができる。

食べ物に地域性や季節感がなくなったので 御土産で気分を盛り上げることにする。ただ 「貰った人」が負担にならないように やはり「食べて終える」食材が良い。いわゆるホームコースをぐるっと周っても旅行気分にはなれないが用事があって出掛けた先の話は旅行記たりえる。実はそんな時間と距離を書き出すような記事が一番簡単だ。あとは「感動できる自分」の問題だろう。