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火薬御飯

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「 いつも心に、大信念の富士の山をいだいて戦う、 師弟不二の東海道の友よ!
東海道の勝利こそが、永遠に魔軍を封じこめる、創価の正義の勝利である。」
随筆 人間世紀の光137「 正義の東海道を讃う 」

昭和33年9月14日~15日、池田先生が静岡市と浜松を訪問されたとの記録がある。この時 「静岡支部」が結成されたらしい。さらに10月、狩野川台風被災地に先生が来られた事が「長編詩・富士光る幸の宝土 」に記されている。 それらは 静岡葵文化会館完成の今年、55周年の佳節を迎える。
創価学会 静岡葵文化会館 3月16日「広宣流布記念の日」 4月2日「戸田城聖先生御逝去」 55周年
同じく昭和33年、戸田先生の御逝去3ヶ月前の 同年1月には先生の願行でもあった法華本門大講堂が落成。草創期は学会関連の建物よりも 本山や末寺の復興を優先させていた。その後も本山の再建は学会からの寄進で行われる。歴代会長は静岡創価学会と本山の両方に 万般の手を打ってこられた。おそらくは歴代会長が訪問された回数も 他県の比ではあるまい。

我々は坊主ではない。恩を知り恩に報いるのが弟子の道。出来上がったものに胡座を掻くことなく、感謝し折伏と人材の城を以てお応えしていく。以下に 昭和61年5月 ”熱海文化会館” 落成時の「会長指導」を引用させて戴く。

「 新装になったこの熱海文化会館は、立派な建物ではあるが、旧会館は、 予算的な事情もあり、小さく質素な木造の建物であった。それだけに防災 の点で、様々な危惧があったことも否めない。それに比べ、この新会館は 安全面など十分に考慮されており、まことに 『安心』 できる建物である。」
創価学会 静岡葵文化会館 3月16日「広宣流布記念の日」 5月3日「創価学会の日」
「地域・近隣の方々にも、喜び、安心していただけると思う。その意義からも、 清潔で安全な文化会館の建設が、地域に信頼と友好の輪を広げ、長い目 で見た時に 広範な弘教・折伏へとつながりゆくことを確信されたい。 」

「 隣接する静岡研修道場も、今では一応 立派な研修棟が立っているが、かつては古い木造の、あたかもマッチ箱のような建物しかなかった。冬など室内であっても大変に寒く、” 研修 ” とはいっても、結果的に風邪をひきに来たような始末であった。また、隣県の神奈川研修道場も、昔は暖房設備が不十分で、これまた寒いこと極まりなかったことを記憶している。」
創価学会 静岡葵文化会館 「青年学会・勝利の年」 立宗宣言760周年 牧口常三郎先生・戸田城聖先生 入信85周年 不敬罪投獄70周年
「厳寒期には、ねまきの上に新聞紙を重ねて、寒さをしのいだりしたものである。研修の友が草刈りに自ら汗を流し、また、水も十分でなかったところからトイレも不衛生で、小田原まで水をもらいにいったこともあるほどだ。

しかし、こうした苦難の歴史があって初めて、今日の堅固な建物があること を知っていただきたいのだ。この間の苦闘はまことに尊い労作業であり、同志 の一人一人にとっては 自己を錬磨しゆく信心の修行であった。 ゆえに、その労苦の思い出は、管理・建設等に携わった全関係者らの生涯の”誇り”となって いるのである。 とくに若き後継のリーダーの方々は、現在の学会の堅固な建物が、すべてそうした功労の方々の仏道修行の尊い結晶であることを、決して忘れてはいけない。」 
   昭和61年5月31日  熱海文化会館
創価学会 静岡葵文化会館 3月16日「広宣流布記念の日」 5月3日「創価学会の日」
この時、池田先生が研修道場に泊まられた折と記憶している。前年の昭和60年9月には 第一回静岡青年平和文化祭が開催され、先生も出席される。草創の幹部等には、文化祭の淵源となる「若人の祭典」や 研修道場にさえ、反対意見があったという。私にもその「意義」など 正直よくわかっているわけではない。故に、草創の労苦を埋没させることなく、これからも研鑽していく。奇しくも 七月中旬完結した新・人間革命「勇将」は以下の行で結ばれている。

「ご苦労様! お会いしに来ましたよ。明日香文化会館は見事に 完成しました。立派な会館です。 しかし、建物はモノにすぎない。 魂はありません。皆さんが、わが生命に〝信心の王城〟を、〝広布の師弟城〟を築き上げることによって、会館に魂を打ち込むことができるんです。 つまり、〝 私は、こう戦い、勝ちました!  広宣流布の栄光の道を開きました!〟と、堂々と語ることができる、 自身の勝利の歴史を打ち立てることです。立ちましょう!師子じゃないですか!」    
   新・人間革命「勇将」67

テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

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1980年(昭和55年)5月12日、関西・中部指導の帰路、池田先生は静岡文化会館(静岡平和会館)を訪問。その一報は当日午後3時頃、「静岡に寄ります。男子部を訓練しよう。」と、先生が乗られた新幹線の車中から。同午後6時、当時1圏10本部52部(支部)体制の男子部部長の内49名が結集。
創価学会 静岡平和会館(旧静岡文化会館) 総静岡  静岡総県  駿河総区 葵総区
勤行(方便品自我偈)の後、記念撮影。席上先生は以下4点にわたり指導された。①正法広布の後継を頼む。②今こそ信心修行の労苦を忘れるな。③「身は軽く法は重し」とのご教示を銘記されたい。④社会と職場で勝利者たれ。

翌日13日、同じく静文での勤行会の席上、池田先生は以下の指導をされる。

「功労者のお見舞いもあって、この地に寄せていただいた。近年、何かとご苦労やご心配をおかけし申しわけなく思っている。
 社会は競争であり、複雑で厳しいものだ。だれ人も幸福にしてはくれない。幸福を確立するもしないも自分自身なのである。
結局は御本尊への強い祈りしかない。
信心の目的は一生成仏にあるといってよい。ゆえに信心は強盛でなくてはいけない。人間、弱い心ではつねに縁に紛動され、苦しみ多き人生となる。
私たちは、確固たる信念と強き信心で、一日一日を勝ち取り、充実の人生としたいものである。仏法は境涯を開くためのものである。
動物は境涯を開くことができない。人間のみが境涯を開いていくことができるのである。境涯のいかんによって、その人の人格的価値は決まってしまうものだ。
いま、私たちは、大御本尊を拝し、無二の信心をもって勤行・唱題することによって、はじめて自身の境涯を開き、慈愛もわき、生活の豊かさも、事業等での信頼感もましていくことができるのである。
御本尊に題目を唱えられること自体が幸せなのである。たとえ、どのような境遇にあっても、唱題は人生万般の源泉である。
ゆえに、勤行・唱題を持続していくところに功徳はつまれ、かならずや生活のうえに実証を示していくことができる。これを確信することが信心である。
現在の立場が不遇であるからといって、御本尊を疑ったり、勤行・唱題をおろそかにすれば、功徳が現れないのは当然の理である。」
   1980年(昭和55年)5月12日 静岡文化会館(静岡平和会館)

いわゆる「会長勇退」から僅か一年に満たない頃。創価学会会長は第四代北条浩である。マスコミや反逆者等に追われ先生は会合にさえ自由に出席できなかった。後年のそれに比べ、一見素っ気ない、なにか突き放すような「指導」も、不自由な中で会員の身を案じ要点だけを述べたものに違いない。
2013年「青年学会・勝利の年」 立宗760周年 牧口初代会長・戸田二代会長 入信85周年 創価学会 静岡平和会館(旧静岡文化会館)
直後の1980年(昭和55年)6月には55年衆参ダブル選挙、翌昭和56年には月刊ペン事件地裁差し戻し審。学会と池田先生と取り巻く状況依然厳しかった。こうした悪辣な中傷と重苦しい風評に対する反転攻勢が現在に続く「大文化祭運動」となって開花する。閉鎖的な儀式に固執する宗門に付け入る隙を与えぬ文化芸術運動は全国に波及。
五年後の昭和60年(1985年)9月、静岡でも「第1回静岡青年平和文化祭」が開催された。当時の「静岡広布史指導集」にその時の先生の指導が以下の様に記されている。

 「名誉会長は文化祭の淵源と由来にふれ、昭和29年、日大グラウンドで「世紀の祭典」が開催されて以来、数々の歴史と伝統を刻みながら、平和と文化をうたいあげる文化祭運動となったことを語った。更に次代を担いゆく青年達に対して、青春時代の行き方に言及。社会の荒波の中で、苦労し、努力し、信念の道を歩み人生を築き上げてきた人達の言葉を引きながら 『人生を要領よく生きる人もいるだろう。 しかし、青春時代には、自分を厳しく鍛え、苦労していくことを忘れてはいけない。青春時代の苦労、鍛えは、人生の原動力を大きく強め、未来の宝となりゆくことを心に刻んでいただきたい。』と望んだ。そして、この日の出演者全員が、2001年に再開して、この会場で記念の集いを、また、この会場は近く改築されるとうかがっているが、その折に、第2回青年平和文化祭の開催を、と提案。ご出席のすべての方々の多幸と長寿を祈り、あいさつを結んだ。」
     昭和60年(1985年)9月16日 第1回静岡青年平和文化祭 

その後も静岡では「平和行動展」、「教科書展」、「世界の玩具展」など多数の行事を頂いてきた。私自身、設営や役員に就く事はなかったが、何れのイベントにも新来者を連れ出した。対話に結集に奔走し、悲喜交々、報告のために夜この会館を訪れたのは、懐しい思い出であり貴重な財産となった。
廃館 創価学会 静岡平和会館(旧静岡文化会館)跡地
2013年、会館移転に伴い旧静岡文化会館(静岡平和会館)は役目を終え更地に戻った。あくまで建物は「物」である。どんなに思い入れていても、古くなれば建て替えたり解体される。だが、「後継を頼む」と師から託された静岡は、師の思いや意思を後継に伝え、自らも「広布模範の静岡」実現に奉ずる決意である。

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