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火薬御飯

Category :  旅行・ツーリング
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 昔の国道沿いのオートレストランや自販機コーナーが好きな私には、どうも敷居が高いこういうハイソな快適空間。セレブやリターンライダー諸兄にはオススメ。話のネタに寄ってみるのもイイですね。用品ショップらしくガレージやピット風を演出で記念撮影にも映えて自慢になります。
クシタニカフェ清水店 KUSHITANI CAFE 清水店 KUSHITANI CAFE NEOPASA SHIMIZU 新東名ネオパーサ清水 静岡市清水区小河内885-1
 レプリカ・ヘルメットに革ツナギやチームジャケットが必須の時代があったんですねぇ。先月のNS・MVXミーティングで当時物スタイルをヤッてみましたが、原色系のチームジャケットは我ながら気が退けました。クシタニは当時から高価なブランド。それでも皆ガンバって働いて買って着たんです。そんなモチベーションに支えられた時代でした。

 XTZ1200が飾られてます。90年代までは大排気量オフローダーはラリーマシンくらいで、市販車はそのレプリカくらいでほとんどが車検無し排気量でした。それだけパリダカールとかレースシーンがふつうに人気があったということです。今ではアドベンチャー・ツアラーという独自のジャンルに昇華。リッチ系御夫婦やリターンズには大人気みたいです。
クシタニカフェ清水 KUSHITANI CAFE 清水店 KUSHITANI CAFE NEOPASA SHIMIZU 新東名ネオパーサ清水 静岡市清水区小河内885-1
 メニューもリッチ向け。スイーツや紅茶などが充実してます。そんな雰囲気を楽しむ空間なんでしょう。得意の立ち食いではなくフードコートに腰掛けて優雅に時間を過ごせる方々向け。私はいつも通り缶コーヒー。

 私も昔はこんな改造車にずいぶん注ぎ込みました。当時はまだバイク屋が「改造車お断り」の時代。なにかと難癖を付けられましたが、そのうち周りの奴等も似たようなやや中途半端な事をヤリ始めました。若気の至でしたが、ヤリ尽くした感もあって今はノーマル派に戻りました。私的には歳取ってから派手なことを始めても痛々しいだけだと思います。
カスタムバイク 350万円!ネオパーサ清水 ゼファー1100 GSX1100S GSX1100R
 この展示車は売り物で\300万前後の値札がぶら下っています。使われているパーツを見れば妥当な値段。90年代の第三京浜はこんなのが溢れてました。やらなかった後悔より、ヤっちまった青春に胸が張り裂けそう。

 カスタムという改造車が跋扈し始めたのは車検の規制緩和の時期からでした。バブル崩壊と入れ替わる様な時期でしたが まだ物が溢れていました。その後TWやSRや国産アメリカンやビッグスクーターに派生します。メーカーが自粛ムードに陥ったのはリーマンショックよりもこの頃加藤大治郎や阿部典史等国内レーサーの悲報が続き、さらに広告経費がインターネットに流れスポンサーが撤退し始めたことが要因でしょうか。

 Ninja250のおかげで若いユーザーが増え始めたと云っても80年代~90年代のブームに比べればまだまだ微々たるもの。いくら自分一人でイキがっても市場全体が低迷すれば、メーカーだけでなくサプライヤーや挙句に果てにガソリンスタンドまで減って、困るのは我々庶民。
レンタル819 NEOPASA清水レンタルバイク試乗会
 レンタルバイクの試乗会もやってました。新型の購入を考えている方に実際試乗して体感できる場は若者や女性等で賑わってました。若者のナントカ離れ等と云われますが 「バイク命」みたいなこと言ってたくせに、「降りた」オッサン連中を腐るほど知っています。大きなお世話ですがまず一歩を踏み出す初心者を陰ながら応援したい気分。

テーマ:高速SA/PAグルメ - ジャンル:グルメ

Category :  NEWS
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静岡県西部の新たな法城「浜松東文化会館」の起工式が16日、浜松平和会館で晴れやかに開催された。 佐野総静岡長の経過報告、施工業者続き、畑東海道長が「新宝城の建設の喜びを胸に、わが地域に信頼と情を広げよう」と語った。終了後、建設予定地で鍬入れ式が行われ、渡辺総静岡総合長があいさつした。
浜松東文化会館創価学会起工式東海道方面総静岡「浜松の日」静岡葵文化会館2020年テーマ『前進・人材の年』座談会浜松平和会館浜北文化会館浜名文化会館浜松南文化会館袋井文化会館磐田文化会館掛川文化会館浜松研修道場Gakkai International (SGI)
「先生、浜松へ来て下さい!」1969年(昭和44年)9月14日、東京信濃町の学会本部で行われた勤行会。終了後、名誉会長が「何でも質問して下さい。」と 呼び掛けた時のことである。 「浜松か。 浜松は大事なところだ…」。しばし黙考する名誉会長。そして、はっきりと言った。 「行くよ!」 大人たちには半信半疑の人もいたが、浜松の高等部は、その言葉を信じた。” 歌声で先生をお迎えしよう”と早速、歌の制作に取り掛かる。オリジナル曲「我等が誓い」がほどなく完成。放課後、公園に集まり、練習を始めた。そんな中、名誉会長の浜松訪問が決まる。
一高校生との約束は守られたのである。
 聖教新聞 2014年1月13日 「太陽の励まし・名誉会長と誓いの同志」 抜粋。

1969年(昭和44年)10月13日、「浜松の日」の淵源となった浜松市立体育館、浜松総合本部幹部会の席上、先生は、
①確信と団結の浜松たれ。
②目的高き浜松たれ。 
③守り励まし合う浜松たれ。 
④魔と戦う浜松たれ。
⑤功徳の春風の浜松たれ。
 の5つの指針を浜松の同志に送られている。

昭和32年3月14日、御逝去一年前の戸田先生は豊橋から帰京する途中停車した浜松駅で「浜松はきれいなだな。いいところだよ。浜名湖に宮城をつくろうじゃないか。」とおっしゃられた。翌昭和33年、戸田先生ご逝去から半年後の9月15日、池田先生は浜松を訪問。 男子部(女子部)第二十五部隊総会にて「浜松は因縁の深い、国土世間であります。広宣流布のときに浜松は大事な地域となるでしょう。 それだけに使命も大きい。なにより大御本尊がおわします県ではありませんか。それを自覚しなさい。」との指導。

昭和37年5月12日、浜松会館における落慶入仏式。さらに中部総支部大幹部会、池田先生は「船守弥三郎許御書」を講義。先生は「あいにくの雨だったが法華経は冬の信心であり、冬は必ず春となると三障四魔と戦っていくことは楽しいことである。5月12日は大聖人様が伊東に流された日だ。 どんなことがあっても必ず春はやってくるのだという戒めの日として頑張って欲しい。 『九扨の功を一貫に欠く』とあるが 何と言っても朝晩の勤行・唱題を数多くあげることである。 功徳を消していく一番の災いは怨嫉です。反対に信心を純粋にして人々を尊敬していく人は自分自身が楽しいし感激の信心即生活がしていける。」 と浜松の同志に指導された。

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