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旅行・ツーリング
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去年は…高速道路の接続を見たくて中部横断道となる南アルプス増穂ICから中央道~圏央道経由~関越道藤岡JCTから上信越道…と、とてつもなく贅沢なコースを使った。渋滞も少なくSA・PAもあるし単調なため疲れも少ない。反面 遠回りでさほど面白くもない道程だった。
カーナビでは勧めないかもしれないが直線距離というなら国道141号線がいちばん近い。しかし個人的にコノ道どうも殺風景で気が進まない。
バブルの頃、スキーやスノボが行った時に休憩場所が無くてこまったとか、寂れた清里を見たくないとか、若気の至りの後始末ができていない自分のトラウマが足を遠退かせる。

また雨かと心配されたが、低気圧は早朝に抜け やや風の強い好天。八ヶ岳山麓・野辺山高原も悪くない。TVドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台になった風景。山田太一原作の名作だが ちょうど前職ホテルマンをクビになった頃ヒマを持て余して観ていた覚えがあってコチラも個人的にはちと痛い。野辺山高原を佐久平に下り 市街に入って給油。国道254号に右折。

国道254号といえば川越街道。国道18号と平行して走るが254号のほうが都心よりにあることになる。廃線になった旧国鉄と平行する18号碓氷峠バイパスがメジャーだが勾配は254も似たようなもの。交通量が少なければ(煽られないから)むしろ走り易い。荒船山から碓井軽井沢IC方面に左折。
その目印になるのがセイブオン下仁田西店。北関東でよく見掛けるコンビニで長野にはない。ここが群馬だとわかる。この手前の県道から上信越道・碓井軽井沢ICに行ける…が 道幅狭く急峻で路面も荒れた山道。

路面アスファルトにゴム片が埋め込まれている。川沿いで霧が出やすく冬場の凍結対策か。がコノ路面が意外と走り易い。グリップしているような錯覚がある。ここから登った所上信越道碓井・軽井沢ICがある。

碓井・軽井沢ICは見ての通り山の上にある。下仁田からの県道もかなり高い高架橋脚を潜る。周囲には妙義山や荒船山など奇岩の峰々。この地域は浅間山系の外輪山に当り奇怪な景色が続くことから古くから霊験鮮かな山岳信仰の場でもある。険しい道を征くことが文字どおり修行。

尾根を下ると景色は一変。俗世に戻る。軽井沢市街地に下る取り付け道路両側はゴルフ場やドッグランなど 徒広い土地を贅沢に使ったセレブのための施設が続く。その先はJR軽井沢駅とアウトレットを中心に大渋滞。

一泊…というだけで気持の余裕がぜんぜんちがう。ここから1km足らずのペンション・シルバーストーンが本日の宿泊場所。午後5時前の少々遅いチェックインだが「間に合った」範囲。この余裕が何とも心地良い。

20年も前はバブル最終盤の時期だったが 西暦が変わる頃には軽井沢も少々寂れた感があった。このシルバーストーンは当時から変わることなくあり続けてくれている。我々のような戦友会には非常に有り難い。

二次会と称する飲み会で深夜まで情報交換。会長閣下が持参したPC端末でデモ&プレゼン。携帯端末が小型化し受信エリアも拡大。創作の打ち合わせもハッカドール。リアル職業で機器やソフトに精通したプロも多い。おかげで冒険者は課金なしでアイテムやスキルを補充できる。

明け方まで延々雑談の後ちょっと寝て朝食。今年シルバーストーンに初お目見えしたベスパ200ラリー。1980年パリダカール・ラリーにワークス4台が出走、2台完走した車輌のレプリカ。インテリアにもぴったり。

カラマツ林が長野っぽくて印象的。別荘地とかリゾートとか いわれた頃はどことなく息苦しさがあったが、今は華やかだがノンビリした空気が戻った気がする。実はノンビリし過ぎて宿代を払うのを忘れていた私。

総員傾注!JR軽井沢駅でお土産を購入後 18号を群馬側へ下る。去年は18号に出た途端にガス欠をやらかした。タンクが小さい(12ℓ)のもあるが、天気晴朗のためアタマの中で青空にお日様が輝いていた。

JR軽井沢駅から。リゾートとはいえ高原に突如として新幹線が現れるのはちょっと驚く。信越本線横川~軽井沢が廃線になったのは惜しい。駅近くの山にスキー場らしいものが見える。新幹線でスキーとは贅沢で楽そう。天皇陛下がテニスをされたとかハイソなブランドは今も健在。

80年代ファッションとコーリン・プリカーナが自慢。だが昔のように歩道に路駐すると目立つようになってきた。ここでKANERU‐S氏が釜飯をお土産に離脱。駅内でも釜飯が買える。列車の旅も何れしてみたい。
![【田舎や】西松井田そば[食べログ]japan tourism travel ژاپۆن Ji̍t-pún Nhật Bản Nĭk-buōng יפן 여행 Travel Tourism ประเทศญี่ปุ่น Lodging 호텔 hotel 숙박 宾馆 مسافرت 旅館 hostalการเดินทาง การท่องเที่ยว โรงแรม](http://blog-imgs-91.fc2.com/n/a/b/nabe3rr/20160515111902a2cs.jpg)
昼食会場、西松井田「田舎や」。私は朝食が遅かったこともあり遠慮させてもらった。古民家の雰囲気は抜群に良い。美味い不味いは主観なので食べログなどアテにならない。この後18号を更に下り次は自販機食堂。

北関東は方向感覚が狂う。17号を南下していたが少々時間もあることだし18号を再び長野方面に戻る決断をしたのが道の駅おかべ付近。軽井沢の帰路に何度か寄った覚えがあり 然程遠くないと思ったからだ。仕事柄夕方になると急に元気になる。結局18号を縦走し千曲で夕飯。長野市まで行ってしまった。時間に余裕があるのは楽しい。
カーナビでは勧めないかもしれないが直線距離というなら国道141号線がいちばん近い。しかし個人的にコノ道どうも殺風景で気が進まない。
バブルの頃、スキーやスノボが行った時に休憩場所が無くてこまったとか、寂れた清里を見たくないとか、若気の至りの後始末ができていない自分のトラウマが足を遠退かせる。

また雨かと心配されたが、低気圧は早朝に抜け やや風の強い好天。八ヶ岳山麓・野辺山高原も悪くない。TVドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台になった風景。山田太一原作の名作だが ちょうど前職ホテルマンをクビになった頃ヒマを持て余して観ていた覚えがあってコチラも個人的にはちと痛い。野辺山高原を佐久平に下り 市街に入って給油。国道254号に右折。

国道254号といえば川越街道。国道18号と平行して走るが254号のほうが都心よりにあることになる。廃線になった旧国鉄と平行する18号碓氷峠バイパスがメジャーだが勾配は254も似たようなもの。交通量が少なければ(煽られないから)むしろ走り易い。荒船山から碓井軽井沢IC方面に左折。
その目印になるのがセイブオン下仁田西店。北関東でよく見掛けるコンビニで長野にはない。ここが群馬だとわかる。この手前の県道から上信越道・碓井軽井沢ICに行ける…が 道幅狭く急峻で路面も荒れた山道。

路面アスファルトにゴム片が埋め込まれている。川沿いで霧が出やすく冬場の凍結対策か。がコノ路面が意外と走り易い。グリップしているような錯覚がある。ここから登った所上信越道碓井・軽井沢ICがある。

碓井・軽井沢ICは見ての通り山の上にある。下仁田からの県道もかなり高い高架橋脚を潜る。周囲には妙義山や荒船山など奇岩の峰々。この地域は浅間山系の外輪山に当り奇怪な景色が続くことから古くから霊験鮮かな山岳信仰の場でもある。険しい道を征くことが文字どおり修行。

尾根を下ると景色は一変。俗世に戻る。軽井沢市街地に下る取り付け道路両側はゴルフ場やドッグランなど 徒広い土地を贅沢に使ったセレブのための施設が続く。その先はJR軽井沢駅とアウトレットを中心に大渋滞。

一泊…というだけで気持の余裕がぜんぜんちがう。ここから1km足らずのペンション・シルバーストーンが本日の宿泊場所。午後5時前の少々遅いチェックインだが「間に合った」範囲。この余裕が何とも心地良い。

20年も前はバブル最終盤の時期だったが 西暦が変わる頃には軽井沢も少々寂れた感があった。このシルバーストーンは当時から変わることなくあり続けてくれている。我々のような戦友会には非常に有り難い。

二次会と称する飲み会で深夜まで情報交換。会長閣下が持参したPC端末でデモ&プレゼン。携帯端末が小型化し受信エリアも拡大。創作の打ち合わせもハッカドール。リアル職業で機器やソフトに精通したプロも多い。おかげで冒険者は課金なしでアイテムやスキルを補充できる。

明け方まで延々雑談の後ちょっと寝て朝食。今年シルバーストーンに初お目見えしたベスパ200ラリー。1980年パリダカール・ラリーにワークス4台が出走、2台完走した車輌のレプリカ。インテリアにもぴったり。

カラマツ林が長野っぽくて印象的。別荘地とかリゾートとか いわれた頃はどことなく息苦しさがあったが、今は華やかだがノンビリした空気が戻った気がする。実はノンビリし過ぎて宿代を払うのを忘れていた私。

総員傾注!JR軽井沢駅でお土産を購入後 18号を群馬側へ下る。去年は18号に出た途端にガス欠をやらかした。タンクが小さい(12ℓ)のもあるが、天気晴朗のためアタマの中で青空にお日様が輝いていた。

JR軽井沢駅から。リゾートとはいえ高原に突如として新幹線が現れるのはちょっと驚く。信越本線横川~軽井沢が廃線になったのは惜しい。駅近くの山にスキー場らしいものが見える。新幹線でスキーとは贅沢で楽そう。天皇陛下がテニスをされたとかハイソなブランドは今も健在。

80年代ファッションとコーリン・プリカーナが自慢。だが昔のように歩道に路駐すると目立つようになってきた。ここでKANERU‐S氏が釜飯をお土産に離脱。駅内でも釜飯が買える。列車の旅も何れしてみたい。
![【田舎や】西松井田そば[食べログ]japan tourism travel ژاپۆن Ji̍t-pún Nhật Bản Nĭk-buōng יפן 여행 Travel Tourism ประเทศญี่ปุ่น Lodging 호텔 hotel 숙박 宾馆 مسافرت 旅館 hostalการเดินทาง การท่องเที่ยว โรงแรม](http://blog-imgs-91.fc2.com/n/a/b/nabe3rr/20160515111902a2cs.jpg)
昼食会場、西松井田「田舎や」。私は朝食が遅かったこともあり遠慮させてもらった。古民家の雰囲気は抜群に良い。美味い不味いは主観なので食べログなどアテにならない。この後18号を更に下り次は自販機食堂。

北関東は方向感覚が狂う。17号を南下していたが少々時間もあることだし18号を再び長野方面に戻る決断をしたのが道の駅おかべ付近。軽井沢の帰路に何度か寄った覚えがあり 然程遠くないと思ったからだ。仕事柄夕方になると急に元気になる。結局18号を縦走し千曲で夕飯。長野市まで行ってしまった。時間に余裕があるのは楽しい。
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今年も無事に行って帰って来れました。この時期のツーリングは夜間少々肌寒いことに気を付ければ快適そのもの。出掛けなければ勿体無い。年によって大渋滞したこともありますが今年はむしろ空いている。確かにバイクは減りました。それでも軽井沢駅前はデカいミニバンや高級外車で大混雑。

私は国道141号を北上。佐久から254号に入り その途中を左折し軽井沢に入るコースでしたが渋滞は皆無。思うに… 皆一斉にカーナビ使って移動するものだから同じコースを案内されて詰まっているのではないか? と思ったりします。とか言ってもカーナビのない貧乏人の僻み。だがビンボーにも意地がある。ツーリングとなったらボロい装備は体力と気力でカバーします。
恒例イベントなのでファッションやヘルメットまで80年代のーてんきライダーを演出したつもり。痛車イベントに行くようになって 羞恥心というものが消失していく気がします。バイク関係で冬の間にキャブ・セッティング変更。冷却系と点火系をメンテ。その介あって去年まで夏場に酷かったオーバーヒートも無くなり好調を維持。更に「君の中のニュータイプが目を覚ます」新装備。

序でにガラケー使いの私をエアスマホで交信中の嫁が応援してます。要は旅行ってモチベーションの問題。食かもしれないし買物かもしれないが金を使って疲れに行くのに変わりワケです。金と体力を使わず 休みを暇と安静に振ることもできる。だから 自分でテンション上げてかないと 何もせずに休日は終わります。今はテンション高め。おかげでちょっと失敗もありましたが軽井沢ツーリングは勝利条件をクリア。シーズン突入の準備は整いました。

2日目の旅程でパスファインダーを務めるKROG会長閣下のAR80。海外仕様でKSR‐Ⅱと略同型の水冷エンジン。古い機種にコダわるワケではないが同じくらいの年式のバイクが居てくれるのは心強い…と同時に「古いから」とか言い訳が通用しない。カーナビを搭載USB電源を独自の配線で取り出すなど近代化改修が行われている点にも注目。積載方法が80年代に全国各地でよく見掛けた長距離ライダー風。格好より使い勝手優先なのが当時物。

私は国道141号を北上。佐久から254号に入り その途中を左折し軽井沢に入るコースでしたが渋滞は皆無。思うに… 皆一斉にカーナビ使って移動するものだから同じコースを案内されて詰まっているのではないか? と思ったりします。とか言ってもカーナビのない貧乏人の僻み。だがビンボーにも意地がある。ツーリングとなったらボロい装備は体力と気力でカバーします。
恒例イベントなのでファッションやヘルメットまで80年代のーてんきライダーを演出したつもり。痛車イベントに行くようになって 羞恥心というものが消失していく気がします。バイク関係で冬の間にキャブ・セッティング変更。冷却系と点火系をメンテ。その介あって去年まで夏場に酷かったオーバーヒートも無くなり好調を維持。更に「君の中のニュータイプが目を覚ます」新装備。

序でにガラケー使いの私をエアスマホで交信中の嫁が応援してます。要は旅行ってモチベーションの問題。食かもしれないし買物かもしれないが金を使って疲れに行くのに変わりワケです。金と体力を使わず 休みを暇と安静に振ることもできる。だから 自分でテンション上げてかないと 何もせずに休日は終わります。今はテンション高め。おかげでちょっと失敗もありましたが軽井沢ツーリングは勝利条件をクリア。シーズン突入の準備は整いました。

2日目の旅程でパスファインダーを務めるKROG会長閣下のAR80。海外仕様でKSR‐Ⅱと略同型の水冷エンジン。古い機種にコダわるワケではないが同じくらいの年式のバイクが居てくれるのは心強い…と同時に「古いから」とか言い訳が通用しない。カーナビを搭載USB電源を独自の配線で取り出すなど近代化改修が行われている点にも注目。積載方法が80年代に全国各地でよく見掛けた長距離ライダー風。格好より使い勝手優先なのが当時物。
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イベント
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場所は富士市産業交流展示場「ふじさんめっせ」。こういう過激な催しを地元で開催してもらえるのは実に喜ばしい。しかもドレスアップやレジャー系でなくガチなチューンアップの世界。一昔前ならこんな凄いモノは当然の如く企業秘密で車輌に近付くこともできなかった。業界屈指の実力派老舗 エッチ・ケー・エス様チューンのRB26に恐る恐る近づいて見た。

2.8ℓ改550馬力!とのスペック。元々2.5で開発され、メーカーでさえ2.7が限界と言われたRBを更に拡大してしまうのが技術の進化というものか。定番と言っても素人が開けられるような代物ではない。ショップに依頼しても相当金は掛る。そこらのマニアが扱える物でもなかったが、雑誌に「何百馬力」といった記事が出るだけで心トキめくものがあった。それらが趣味のモチベーションとなり、日々仕事をする意欲にもなった。

BNR32と同時期の90年頃デヴューのNSX。EFシビックSiがホンダの峠最速車と言われた頃、NAのスーパーカーは驚きだった。バブル期で注文が殺到し納車待ちで車輌価格800万円に更にプレミアが付いた古き良き時代。ニュルブルクリンクもNSXとR32のおかげでこの頃から有名になった。

70年代の方に言わせるとL6の天敵は12A系ロータリー。…確かに首都高バトルでも峠MaxでもR32とFDはイイ勝負。だがこのFDは20B搭載。当時のロータリーはまだ少し煙を出したので 燃費や排ガス規制で限界と思われた頃 4ローター・26B搭載の787Bがルマン総合優勝を飾る。翌年レギュレーション変更。レースの成績が市販車に繁栄され難い時代に入った。

バンパーダクトがリアエンジンの証。AE101風2本出しもカッコイイ。MR-Sはなぜかオープンカー(屋根オプション)で何か違う。エンジンは見せないが、更に後ろには「ゴルフバックが入る」と称する荷室まで備える。スポーツとラグジュアリーに揺れ動くトヨタの葛藤が伺える。

名機4AGが消えて、まさか水平対向をトヨタが使う日が来るとは…。それでもチューナー諸兄の期待は大きい。こちらはスーパーチャージャー仕様。4AGにも純正過給器仕様があったが、ボルトオンの苦心が伺える。

ツアラーVはJ型エンジン4WDでR32に近いスペックのマークⅡだが、旧来のラグジュアリーのイメージが災いし、兄弟車チェイサー・クレスタと共にハイソ系ヤン車に堕ち果てる。セルシオが出現して以降はドリフト族。ハイパフォーマンスで若者に人気があったのは間違いない。

個人的に大好きなギャランGTO。北米向けのスタリオンやFTOとの棲み分けが微妙だったがランエボ特にEVOⅢ辺りに一蹴されてしまう。何より三菱はRVが売れ筋だった。横置きV6は90年代には重そうに見えたが今では普通。何かと物議を醸す三菱だが技術的には高度でオモしろい。

やはり地元(富士宮)HKS様あってのイベント。感謝は尽きない。GT-R横にはVR38改4.3ℓエンジン。公道でチューンナップが非合法だった時代から特に過給器で先頭を走ってきた業界の雄。私もMR-2にレガリスを付けていたがコスト・パフォーマンスの高い逸品だった。庶民の味方でもある。

2.8ℓ改550馬力!とのスペック。元々2.5で開発され、メーカーでさえ2.7が限界と言われたRBを更に拡大してしまうのが技術の進化というものか。定番と言っても素人が開けられるような代物ではない。ショップに依頼しても相当金は掛る。そこらのマニアが扱える物でもなかったが、雑誌に「何百馬力」といった記事が出るだけで心トキめくものがあった。それらが趣味のモチベーションとなり、日々仕事をする意欲にもなった。

BNR32と同時期の90年頃デヴューのNSX。EFシビックSiがホンダの峠最速車と言われた頃、NAのスーパーカーは驚きだった。バブル期で注文が殺到し納車待ちで車輌価格800万円に更にプレミアが付いた古き良き時代。ニュルブルクリンクもNSXとR32のおかげでこの頃から有名になった。

70年代の方に言わせるとL6の天敵は12A系ロータリー。…確かに首都高バトルでも峠MaxでもR32とFDはイイ勝負。だがこのFDは20B搭載。当時のロータリーはまだ少し煙を出したので 燃費や排ガス規制で限界と思われた頃 4ローター・26B搭載の787Bがルマン総合優勝を飾る。翌年レギュレーション変更。レースの成績が市販車に繁栄され難い時代に入った。

バンパーダクトがリアエンジンの証。AE101風2本出しもカッコイイ。MR-Sはなぜかオープンカー(屋根オプション)で何か違う。エンジンは見せないが、更に後ろには「ゴルフバックが入る」と称する荷室まで備える。スポーツとラグジュアリーに揺れ動くトヨタの葛藤が伺える。

名機4AGが消えて、まさか水平対向をトヨタが使う日が来るとは…。それでもチューナー諸兄の期待は大きい。こちらはスーパーチャージャー仕様。4AGにも純正過給器仕様があったが、ボルトオンの苦心が伺える。

ツアラーVはJ型エンジン4WDでR32に近いスペックのマークⅡだが、旧来のラグジュアリーのイメージが災いし、兄弟車チェイサー・クレスタと共にハイソ系ヤン車に堕ち果てる。セルシオが出現して以降はドリフト族。ハイパフォーマンスで若者に人気があったのは間違いない。

個人的に大好きなギャランGTO。北米向けのスタリオンやFTOとの棲み分けが微妙だったがランエボ特にEVOⅢ辺りに一蹴されてしまう。何より三菱はRVが売れ筋だった。横置きV6は90年代には重そうに見えたが今では普通。何かと物議を醸す三菱だが技術的には高度でオモしろい。

やはり地元(富士宮)HKS様あってのイベント。感謝は尽きない。GT-R横にはVR38改4.3ℓエンジン。公道でチューンナップが非合法だった時代から特に過給器で先頭を走ってきた業界の雄。私もMR-2にレガリスを付けていたがコスト・パフォーマンスの高い逸品だった。庶民の味方でもある。