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「なぜ山に登るのか」 「そこに山があるからだ」 ―長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」発表から35年。9月度本幹で三度この「反転攻勢」の譜が読み上げられました。同詩は先生が「断じて忘るな」と叫ばれた「会長勇退」(1979年)4・24から2年後 全学会員就中青年に宛て託されました。

奇しくも此の会長勇退の年は熱原法難から700年に当たります。双方とも折伏を妬む内外の輩が結託して起こされた法難。御書 「聖人御難事」にも著された大聖人の「出生の本懐」たる 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」(注:会則教義条項は修整)御図顕に至る宗史は 正にこの時期に此の地で刻まれていました。また既に無関係と云われましても「夏季講習会」や「本山担当」に通った昔の創価班には(秘かに)懐かしい場所でもあります。
私自身この長編詩が出された1981年時には入信しておらず子供だったので覚えていません。その当時この地は 「富士桜自然墓地公園」造成を巡って山崎正友と地元「日原造園」が暗躍。富士宮市「百条委員会問題」にまで発展する渦中にありました。その中でも学会は池田先生の御構想でもある「生命の尊厳」を訴える 広範囲な「文化・芸術・教育…」運動を前面に押し出し国家民族や宗派さえ越えた今日の大発展の礎を築きました。

同詩 加筆版が発表されたのは1999年5月。余談ではありますが「そこに山があるからだ」の名言を残したとされる戦前の著名な登山家でエベレスト登頂中に行方不明となったジョージ・マロリーの遺体が(-ほぼ同日)75年振りに発見され世界を驚かせました。私自身この時は清水区(当時の清水市)内に巣食った 「嫉妬に狂った反逆者」達との戦いの渦中で この長編詩を拝読。自らの正義を確信すると共に時に合わせ「師弟共戦」を体現できたことに感動を覚えました。その反逆者等は二ヶ月後の7月(青年の月)木端微塵に粉砕され集団退転。応援に駆け付けた外部の会友さん達から「ノストラダムスの予言の的中!」と 痛快な大勝利に大絶賛を戴いたものでした。

本年は第二次宗門問題に端を発する「魂の独立」から25周年。かつては宗門大石寺と蜜月にあり 今だ多数の獅子身中の蟲が蠢く静岡で「広布模範」を示していくために言論戦・情報戦の連続勝利は不可欠。そのためには地道な対話と共に情報媒体の勝利も必然。一眼レフに24枚撮りフィルムを入れ大事に使った頃と違い画像・映像は子供にでも写せる時代。低俗な噂話や虚勢が飛び交う中 理想を背負って立つ者が負けるわけにはいきません。

前置きが長くなりましたが私も「もっと上手く写真が撮れるようになりたい!」との思いで 「自然との対話」写真展を鑑賞してきました。評論は他にお任せするとして自分が上達するためにも先ず「良作に触れる」ことからだと思います。新・人間革命15巻「開花」の章で先生は以下のように語っておられます。
「シャッターを押す瞬間に、撮影者の心のすべてが凝縮される。眼前にある被写体から、何を外し、何を画面に取り入れるのかというなかに、撮影者の知識や教養、人生観までもが集約される――それが、三木淳(報道写真家)の写真観であった。 伸一も、全く同感であった。 写真は撮影者の心の投影であり、被写体を借りて写し出された、自身の生命の姿といってよい。」
ともすれば単調で静的になりがちな風景写真等にあって普通 写真からは得られない動的な躍動感―例えば暑さ寒さや風や空気の動きや音までが伝わる―または無機質な風景や人工物の中にあって人の営みが感じられるような写真。そのためには撮影者の生命がより良い状態に研ぎ澄まされていなければならない…などと一人考えながら帰路シャッターを押します。

お誂え向きに虹が掛かっていました。虹は吉兆です。この日は数日来の小雨続きでやや蒸し暑い曇天。それにもめげず此処まで来れたことへの諸天の祝福と受け取っておきましょう。虹は驚いたことに 二重に空を跨いでいました。まさに曇を貫く弓矢。振り返ると切り裂かれた雲間に鮮やかな夕焼け。

私如き殺伐とした娑婆に生きる凡人にも詩心の欠片が奥底にあるのではないかと思う瞬間でした。映画 「君の名は。」の新海誠監督も「思春期の困難な時期に、風景の美しさに自分自身を救われ 励まされてきたので、そういう感覚を映画に込められたら、という気持ちはずっと一貫して持っている」と語っておられます。自分の思い出としての写真から 他人をも和ませる映像へ。やはり「利他」の精神が良作を生み出す原点と肝に命じ私も日々精進したく思います。

奇しくも此の会長勇退の年は熱原法難から700年に当たります。双方とも折伏を妬む内外の輩が結託して起こされた法難。御書 「聖人御難事」にも著された大聖人の「出生の本懐」たる 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」(注:会則教義条項は修整)御図顕に至る宗史は 正にこの時期に此の地で刻まれていました。また既に無関係と云われましても「夏季講習会」や「本山担当」に通った昔の創価班には(秘かに)懐かしい場所でもあります。
私自身この長編詩が出された1981年時には入信しておらず子供だったので覚えていません。その当時この地は 「富士桜自然墓地公園」造成を巡って山崎正友と地元「日原造園」が暗躍。富士宮市「百条委員会問題」にまで発展する渦中にありました。その中でも学会は池田先生の御構想でもある「生命の尊厳」を訴える 広範囲な「文化・芸術・教育…」運動を前面に押し出し国家民族や宗派さえ越えた今日の大発展の礎を築きました。

同詩 加筆版が発表されたのは1999年5月。余談ではありますが「そこに山があるからだ」の名言を残したとされる戦前の著名な登山家でエベレスト登頂中に行方不明となったジョージ・マロリーの遺体が(-ほぼ同日)75年振りに発見され世界を驚かせました。私自身この時は清水区(当時の清水市)内に巣食った 「嫉妬に狂った反逆者」達との戦いの渦中で この長編詩を拝読。自らの正義を確信すると共に時に合わせ「師弟共戦」を体現できたことに感動を覚えました。その反逆者等は二ヶ月後の7月(青年の月)木端微塵に粉砕され集団退転。応援に駆け付けた外部の会友さん達から「ノストラダムスの予言の的中!」と 痛快な大勝利に大絶賛を戴いたものでした。

本年は第二次宗門問題に端を発する「魂の独立」から25周年。かつては宗門大石寺と蜜月にあり 今だ多数の獅子身中の蟲が蠢く静岡で「広布模範」を示していくために言論戦・情報戦の連続勝利は不可欠。そのためには地道な対話と共に情報媒体の勝利も必然。一眼レフに24枚撮りフィルムを入れ大事に使った頃と違い画像・映像は子供にでも写せる時代。低俗な噂話や虚勢が飛び交う中 理想を背負って立つ者が負けるわけにはいきません。

前置きが長くなりましたが私も「もっと上手く写真が撮れるようになりたい!」との思いで 「自然との対話」写真展を鑑賞してきました。評論は他にお任せするとして自分が上達するためにも先ず「良作に触れる」ことからだと思います。新・人間革命15巻「開花」の章で先生は以下のように語っておられます。
「シャッターを押す瞬間に、撮影者の心のすべてが凝縮される。眼前にある被写体から、何を外し、何を画面に取り入れるのかというなかに、撮影者の知識や教養、人生観までもが集約される――それが、三木淳(報道写真家)の写真観であった。 伸一も、全く同感であった。 写真は撮影者の心の投影であり、被写体を借りて写し出された、自身の生命の姿といってよい。」
ともすれば単調で静的になりがちな風景写真等にあって普通 写真からは得られない動的な躍動感―例えば暑さ寒さや風や空気の動きや音までが伝わる―または無機質な風景や人工物の中にあって人の営みが感じられるような写真。そのためには撮影者の生命がより良い状態に研ぎ澄まされていなければならない…などと一人考えながら帰路シャッターを押します。

お誂え向きに虹が掛かっていました。虹は吉兆です。この日は数日来の小雨続きでやや蒸し暑い曇天。それにもめげず此処まで来れたことへの諸天の祝福と受け取っておきましょう。虹は驚いたことに 二重に空を跨いでいました。まさに曇を貫く弓矢。振り返ると切り裂かれた雲間に鮮やかな夕焼け。

私如き殺伐とした娑婆に生きる凡人にも詩心の欠片が奥底にあるのではないかと思う瞬間でした。映画 「君の名は。」の新海誠監督も「思春期の困難な時期に、風景の美しさに自分自身を救われ 励まされてきたので、そういう感覚を映画に込められたら、という気持ちはずっと一貫して持っている」と語っておられます。自分の思い出としての写真から 他人をも和ませる映像へ。やはり「利他」の精神が良作を生み出す原点と肝に命じ私も日々精進したく思います。
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静浜基地航空祭は同基地が元々旧海軍の基地だったことから海軍記念日(五月二十七日=日本海海戦の日)のある5月下旬が通例だ。だが今年は熊本地震の影響で同様のイベントは尽く延期や中止。此方はお祭りのつもりでも自衛隊様はお仕事。なんでも賛成派の私は今回も大喜びで行く。

今回ちょっと期待したRF‐4EJファントムⅡだが…中途半端に天気が良かったため断雲と逆光で度々機影をロスト。安物デジカメではコレが限界。それでも一機は ダークグリーンとサンド、もう一機は鮮やかなシーブルーの美しい機体を目視。空自様のサービス精神に感動も一入だった。すでに戦闘機型は全機退役し偵察型も存在自体が微妙。初飛行から50年。冷戦下の世界中の空に轟いたお馴染のJ79‐IHIターボジェットサウンドもそろそろ聴き納めかと目を凝らし必死に蒼空の「点」を追い掛けた。

「…ワイルドギースよりアイアンマン、アイアンマン、応答せよ…。」 低速飛行…といっても巡航速度500km/hで飛ぶC‐130。いわゆるハーキュリーズ輸送機は災害時や海外派遣でも大活躍。東日本震災時には一部機体で耐用命数が尽き 急遽交代を余儀なくされたほど。旅客機とも違う黒い機体が頭上を過ぎる様はガンシップを思い出し迫力というか恐怖。

戦中この静浜基地の前身となる海軍航空隊藤枝基地やそこに駐屯した芙蓉部隊に関する資料等を読み漁るにつけ妙にプロペラ機が似合う気がして愛おしい。基地のすぐ外では 田んぼのあぜ道に縁台を並べ年寄りが展示飛行を待ってたり何とも長閑。アナウンスにもあったがここ静浜は国内で最も小さな空自基地。BGMの松任谷由実「ひこうき雲」が似合い過ぎる。

その代わりでもないが地上展示の歴代練習機とヘリコプターはかなり充実している。大型ヘリCH‐47Jの公開には長蛇の列。全体に淡色系が航空自衛隊所属。近年多発する自然災害の救助や輸送に大活躍。逆に消耗も激しくメンテナンスもタイヘンだろう。国内にオスプレイが配備されたら真っ先に来てくれることに期待したい。

静浜基地の一角(滑走路反対側)にある県警航空隊ヘリポートから展示飛行に飛び立つアグスタA109イルンド。展示飛行というよりアクロバットに近い派手な空中機動に歓声が上がる。こんな警察を敵に回さないほうがいい。 救難ヘリが多数常駐する県警と自衛隊基地が併設でお祭りまでやってくれる。こんなに安心安全な所は他にない。

あまり目立たないが何れお世話になることもあるかもしれない炊事車。いわゆるフィールドキッチン。このトレーラー1t炊事車で200人分の主食・副食を同時に45分で調理できると説明にある。実演してくれれば少々払ってでも御相伴に預かりたい”究極のミリ飯”。

ちょっと気になったのは滑走路西側にあった古い機体がF-86F一機を残して無くなっていた事。できればキレイに保存して欲しいものだが博物館ではないので処分されても仕方ない。同機(大多数は朝鮮戦争の余剰機)で編成されたブルーインパルスは1964年の東京オリンピックで開会式の空にスモークで五輪を描き、その技量の高さは世界を驚愕させた。

ホビーショーでもお馴染みの87式偵察警戒車。年式がやや古いこともありゴジラなど映画にもよく登場する名優または大道具。運転席にキャノピーが付くと だいぶ雰囲気が変わる。装輪式なのでこのまま高速道路を走って来たそうだ。自衛官殿の説明によればカーナビは無いがETCは装備している。車両の性格上、板妻か滝ヶ原駐屯地所属と思われる。

静浜基地エンブレムを背負った自衛隊仕様のジャイロ・キャノピー。ブルーインパルス・ジュニアのようなイベント用ではなく 基地内の移動に使われている模様… だが注目度バツグン。巷でレプリカが流行りそう。

基地内の殺風景な売店が大混雑。今回も自衛隊銘菓を大人買い。過去にはTV番組「トリビアの泉」に取り上げられるほど知名度が低かったらしいが私が買って帰って近所に配るから問題ない。お値段手頃で味も普通だがパッケージのインパクトは圧倒的なので絶対に買ったほうがイイ。

今回ちょっと期待したRF‐4EJファントムⅡだが…中途半端に天気が良かったため断雲と逆光で度々機影をロスト。安物デジカメではコレが限界。それでも一機は ダークグリーンとサンド、もう一機は鮮やかなシーブルーの美しい機体を目視。空自様のサービス精神に感動も一入だった。すでに戦闘機型は全機退役し偵察型も存在自体が微妙。初飛行から50年。冷戦下の世界中の空に轟いたお馴染のJ79‐IHIターボジェットサウンドもそろそろ聴き納めかと目を凝らし必死に蒼空の「点」を追い掛けた。

「…ワイルドギースよりアイアンマン、アイアンマン、応答せよ…。」 低速飛行…といっても巡航速度500km/hで飛ぶC‐130。いわゆるハーキュリーズ輸送機は災害時や海外派遣でも大活躍。東日本震災時には一部機体で耐用命数が尽き 急遽交代を余儀なくされたほど。旅客機とも違う黒い機体が頭上を過ぎる様はガンシップを思い出し迫力というか恐怖。

戦中この静浜基地の前身となる海軍航空隊藤枝基地やそこに駐屯した芙蓉部隊に関する資料等を読み漁るにつけ妙にプロペラ機が似合う気がして愛おしい。基地のすぐ外では 田んぼのあぜ道に縁台を並べ年寄りが展示飛行を待ってたり何とも長閑。アナウンスにもあったがここ静浜は国内で最も小さな空自基地。BGMの松任谷由実「ひこうき雲」が似合い過ぎる。

その代わりでもないが地上展示の歴代練習機とヘリコプターはかなり充実している。大型ヘリCH‐47Jの公開には長蛇の列。全体に淡色系が航空自衛隊所属。近年多発する自然災害の救助や輸送に大活躍。逆に消耗も激しくメンテナンスもタイヘンだろう。国内にオスプレイが配備されたら真っ先に来てくれることに期待したい。

静浜基地の一角(滑走路反対側)にある県警航空隊ヘリポートから展示飛行に飛び立つアグスタA109イルンド。展示飛行というよりアクロバットに近い派手な空中機動に歓声が上がる。こんな警察を敵に回さないほうがいい。 救難ヘリが多数常駐する県警と自衛隊基地が併設でお祭りまでやってくれる。こんなに安心安全な所は他にない。

あまり目立たないが何れお世話になることもあるかもしれない炊事車。いわゆるフィールドキッチン。このトレーラー1t炊事車で200人分の主食・副食を同時に45分で調理できると説明にある。実演してくれれば少々払ってでも御相伴に預かりたい”究極のミリ飯”。

ちょっと気になったのは滑走路西側にあった古い機体がF-86F一機を残して無くなっていた事。できればキレイに保存して欲しいものだが博物館ではないので処分されても仕方ない。同機(大多数は朝鮮戦争の余剰機)で編成されたブルーインパルスは1964年の東京オリンピックで開会式の空にスモークで五輪を描き、その技量の高さは世界を驚愕させた。

ホビーショーでもお馴染みの87式偵察警戒車。年式がやや古いこともありゴジラなど映画にもよく登場する名優または大道具。運転席にキャノピーが付くと だいぶ雰囲気が変わる。装輪式なのでこのまま高速道路を走って来たそうだ。自衛官殿の説明によればカーナビは無いがETCは装備している。車両の性格上、板妻か滝ヶ原駐屯地所属と思われる。

静浜基地エンブレムを背負った自衛隊仕様のジャイロ・キャノピー。ブルーインパルス・ジュニアのようなイベント用ではなく 基地内の移動に使われている模様… だが注目度バツグン。巷でレプリカが流行りそう。

基地内の殺風景な売店が大混雑。今回も自衛隊銘菓を大人買い。過去にはTV番組「トリビアの泉」に取り上げられるほど知名度が低かったらしいが私が買って帰って近所に配るから問題ない。お値段手頃で味も普通だがパッケージのインパクトは圧倒的なので絶対に買ったほうがイイ。
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ガンダム 東静岡
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静岡PARCOはほぼ通勤経路上。行ってみてわかったことだがアニメイトとらしんばんがPARCOに移転していた。とらのあな静岡店ばかりでスッカリご無沙汰だがコレは福音。どっちがメインかわからないが寄ってみた。

婦人服売り場を睨むように鎮座する1/1ガンダムの頭。やはりファーストは今もスタンダード。UCはクォリティも超高くオールドファンから若者にまで見易いと思うしオルフェンズは一種の新境地ではある。共通なのはバックパック的な補機よりもガンダム本体の機能(デザイン)と進化でストーリーを引っ張っていることか。作品的には 新世代を開いたSEEDを評価したいが原点回帰的で腐女子ファンも多いOO(ダブル・オー)が好き。一年戦争以外も自由度が高く興味深い。こうした各作品と個々のガンダムタイプやモビルスーツの人気やコンセプトも色々でおもしろい。

著名アーティスト氏等プロデュースによるガンプラ。独特の感性はアイデアの宝庫。ロボットアニメ世代の超兵器的な視点よりも 生活感や芸術性をアピールする作例に世界観の広がりを感じる。それ等はビルドファイターズで追認された進化版。イベントに合わせ発表されたビルドファイターズ(アイランド・ウォーズ)も実は地元が聖地。ウチの本社ビルも地元の有力企業も(タミヤ・バンダイを除いて)清々ブッ壊してもらいたい。

で…ビンボーであまり器用でもない私は 限定ガンプラではなくパルコ6Fに移転したアニメイトでラブライブを物色する。イイんです!同じサンライズ作品だし地元が聖地なんだから。店頭はL・Lサンシャインで埋まっていたがソノ裏側は刀剣乱舞とか腐ったBLコーナーに三次元JKが集っていた。元々テニプリとかハガレンとか ソッチ系に熱心なアニメイト。腐海に飲み込まれないように地元を愛するラブライバーとガンダムヲタク諸兄はがんばルビィ!

婦人服売り場を睨むように鎮座する1/1ガンダムの頭。やはりファーストは今もスタンダード。UCはクォリティも超高くオールドファンから若者にまで見易いと思うしオルフェンズは一種の新境地ではある。共通なのはバックパック的な補機よりもガンダム本体の機能(デザイン)と進化でストーリーを引っ張っていることか。作品的には 新世代を開いたSEEDを評価したいが原点回帰的で腐女子ファンも多いOO(ダブル・オー)が好き。一年戦争以外も自由度が高く興味深い。こうした各作品と個々のガンダムタイプやモビルスーツの人気やコンセプトも色々でおもしろい。

著名アーティスト氏等プロデュースによるガンプラ。独特の感性はアイデアの宝庫。ロボットアニメ世代の超兵器的な視点よりも 生活感や芸術性をアピールする作例に世界観の広がりを感じる。それ等はビルドファイターズで追認された進化版。イベントに合わせ発表されたビルドファイターズ(アイランド・ウォーズ)も実は地元が聖地。ウチの本社ビルも地元の有力企業も(タミヤ・バンダイを除いて)清々ブッ壊してもらいたい。

で…ビンボーであまり器用でもない私は 限定ガンプラではなくパルコ6Fに移転したアニメイトでラブライブを物色する。イイんです!同じサンライズ作品だし地元が聖地なんだから。店頭はL・Lサンシャインで埋まっていたがソノ裏側は刀剣乱舞とか腐ったBLコーナーに三次元JKが集っていた。元々テニプリとかハガレンとか ソッチ系に熱心なアニメイト。腐海に飲み込まれないように地元を愛するラブライバーとガンダムヲタク諸兄はがんばルビィ!
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イベント
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当らない天気予報が見事にハズれて超晴天。死ぬほど暑い ! おかげで日焼けが痛い。場所は新城市湯谷温泉 蓬来山パークウェイ駐車場。目の前を飯田線が走っていたり渓谷や旅館がキレイだったり毎度のことながら良い場所選んでくれます。GK71Bクラブさん自体のイベントは前夜祭を含む一泊二日のロングラン。

ばくおん!!のおかげでスズキ追い風。…でも GSX‐Rやガンマのような当時の売れ筋は あまり出てきません。まあイイか…オモシロければ。この主催様はゲストには(我々KROGのような…)弱小チームや個人にも寛大ですがキャスト側は複数チームを束ねているにも関わらず 車種やカラーリングがビシッ!!と揃ってしかも程度極上。改造も過度ではないがレアな当時物パーツやチューンがシッカリ入ってる。初心者ってこういうのに憧れるものです。

あぁヨカった!KRがいてくれて!先発で揚陸した(私を含め)3名がKRでないばかりかスズキ・ホンダ・ヤマハと尽く他社バイクで乗り込んで来たからだ。因みに意外と違和感ないのが画面右端のKROG会長GSX‐R1000。スズキ標準カラーで見事に化けている。この白赤KRは名古屋在住KANERU‐S氏が元々所有していた車体に旧KROG会長号の外装を載せた究極合体仕様。

個人的に大好きだったGK71Fの異径一灯から再びデュアルに戻った88年頃のGK73A型。初期GSX‐Rのアイデンティティーを確立した時期でもありました。750はボア×ストロークをイジッてみたりスズキとヨシムラの苦悩や執念も伺われました。ユーザーやマスコミの賛否両論まで全てが伝説となっています。

いわゆる「辻本カラー」またはヨシムラ・トルネード風。2000年以降はスズキが純正マフラーに凝り過ぎたせいかヨシムラ需要が減って残念。当時流行った露骨なスポンサーコラボも今となっては貴重なアイコンでわかりやすい。

1984年ケルンで公開されたプロトタイプのHB(ハーベィ)カラーが印象的でしたが実は750クラスのHB仕様はありません。まだ750は大柄なツアラーのイメージで400のほうが憧れでした。ふたり鷹やバリ伝でも F‐3仕様が活躍します。

ウォルター・ウルフを初めて知ったのはタミヤのプラモデル,ウルフWR‐1が先でした。原付スクーター ”Hi” ウォルターウルフ・バージョンは乗っていたこともありました。ガンマは250Ⅲ型~と400/500にラインナップされ特にRG50Γは悔しいほどカッコ良く原付免許ライダーの憧れ。 この日最多の台数を記録したそう。

1986年頃ヤマハが確実にホンダを押えた時期があった。当時のトレンド2灯レーサーレプリカの発売が遅れ VFRやフルカバードCBRで対抗しようとしたホンダに対しヤマハは映画「汚れた英雄」と平忠彦の人気に肖るイメージ戦略が功を奏し平レプリカが峠を席巻。それでもマフラー変えるならSP忠男。

ツキギ・アレーテベルベか?等と仲間内で論争になったZX‐4。この時期の機種は今では信じられないほどモデルスパンが短くGPX400Rから大幅モデルチェンジのZX‐4は 僅か一年でZXR400に取って代わられます。更に翌89年ゼファー登場でネイキッドブーム。新型車攻勢はユーザーの想像さえ超えていました。

懐しいぃ!我が初めての原付スクーター、ホンダ・ビート!初めての腰上O/Hやマフラー焼きなどずいぶん勉強させてもらいました。空冷にコダワリ続けた初期型CBR400FやレジェンドRC30まで。昔のホンダってコスト度外視のハイメカを惜しげもなく投入して 若者が「乗りたくなる」オートバイを作ってくれました。

83~86年頃の年式ながら恐ろしくオリジナルを保ったRH250。オフロードのガンマなどと名打たれてしまったためスズキ流の超過激マシンと思いきや意外と穏やかなトルク型で燃費もイイらしい。こういうスペックの意外性もスズキらしい。
「みんなー、これからも最高のメーカー、スズキを選べー!!スズキを買えー!」

ばくおん!!のおかげでスズキ追い風。…でも GSX‐Rやガンマのような当時の売れ筋は あまり出てきません。まあイイか…オモシロければ。この主催様はゲストには(我々KROGのような…)弱小チームや個人にも寛大ですがキャスト側は複数チームを束ねているにも関わらず 車種やカラーリングがビシッ!!と揃ってしかも程度極上。改造も過度ではないがレアな当時物パーツやチューンがシッカリ入ってる。初心者ってこういうのに憧れるものです。

あぁヨカった!KRがいてくれて!先発で揚陸した(私を含め)3名がKRでないばかりかスズキ・ホンダ・ヤマハと尽く他社バイクで乗り込んで来たからだ。因みに意外と違和感ないのが画面右端のKROG会長GSX‐R1000。スズキ標準カラーで見事に化けている。この白赤KRは名古屋在住KANERU‐S氏が元々所有していた車体に旧KROG会長号の外装を載せた究極合体仕様。

個人的に大好きだったGK71Fの異径一灯から再びデュアルに戻った88年頃のGK73A型。初期GSX‐Rのアイデンティティーを確立した時期でもありました。750はボア×ストロークをイジッてみたりスズキとヨシムラの苦悩や執念も伺われました。ユーザーやマスコミの賛否両論まで全てが伝説となっています。

いわゆる「辻本カラー」またはヨシムラ・トルネード風。2000年以降はスズキが純正マフラーに凝り過ぎたせいかヨシムラ需要が減って残念。当時流行った露骨なスポンサーコラボも今となっては貴重なアイコンでわかりやすい。

1984年ケルンで公開されたプロトタイプのHB(ハーベィ)カラーが印象的でしたが実は750クラスのHB仕様はありません。まだ750は大柄なツアラーのイメージで400のほうが憧れでした。ふたり鷹やバリ伝でも F‐3仕様が活躍します。

ウォルター・ウルフを初めて知ったのはタミヤのプラモデル,ウルフWR‐1が先でした。原付スクーター ”Hi” ウォルターウルフ・バージョンは乗っていたこともありました。ガンマは250Ⅲ型~と400/500にラインナップされ特にRG50Γは悔しいほどカッコ良く原付免許ライダーの憧れ。 この日最多の台数を記録したそう。

1986年頃ヤマハが確実にホンダを押えた時期があった。当時のトレンド2灯レーサーレプリカの発売が遅れ VFRやフルカバードCBRで対抗しようとしたホンダに対しヤマハは映画「汚れた英雄」と平忠彦の人気に肖るイメージ戦略が功を奏し平レプリカが峠を席巻。それでもマフラー変えるならSP忠男。

ツキギ・アレーテベルベか?等と仲間内で論争になったZX‐4。この時期の機種は今では信じられないほどモデルスパンが短くGPX400Rから大幅モデルチェンジのZX‐4は 僅か一年でZXR400に取って代わられます。更に翌89年ゼファー登場でネイキッドブーム。新型車攻勢はユーザーの想像さえ超えていました。

懐しいぃ!我が初めての原付スクーター、ホンダ・ビート!初めての腰上O/Hやマフラー焼きなどずいぶん勉強させてもらいました。空冷にコダワリ続けた初期型CBR400FやレジェンドRC30まで。昔のホンダってコスト度外視のハイメカを惜しげもなく投入して 若者が「乗りたくなる」オートバイを作ってくれました。

83~86年頃の年式ながら恐ろしくオリジナルを保ったRH250。オフロードのガンマなどと名打たれてしまったためスズキ流の超過激マシンと思いきや意外と穏やかなトルク型で燃費もイイらしい。こういうスペックの意外性もスズキらしい。
「みんなー、これからも最高のメーカー、スズキを選べー!!スズキを買えー!」
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旅行・ツーリング
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ヤバイ…また来てしまった。だって大盛り上がりじゃんサンシャイン。演出がイイのかキャラがしっかり立って強烈にアザといのに勝手に脳内に入ってくる。楽曲もまたイイ。タイミングも抜群。これはもう宗教だ!

今週は梨子チャンがお出迎えしてくれる。1期のマッキーに当るキャラだが初代センター曜ちゃんと同様はじめから千歌に近すぎて後半にかけて存在感が微妙。でもこの3人ユニットの「決めたよHand in Hand」はメッチャ好き!…だが結局コレって千歌の妄想という超モッタイないオチ。このところ怒涛の新曲ラッシュが凄まじい。
アニメの話は前回したのでツーリングの話。「免許がないからバイクに乗れない」とか「バイクが無いからツーリングに行けない」的な話をよく聞く。カッコよく乗りたいならソレもありだが、旅行なら原付でも充分だ。まして旧型2stのほうがヘタな新型より速い。「水曜どうでしょう・原付列島制覇」のようにわざわざ中古が高く遅いカブを使う必要はない。
今回使うセピアZZは 年式的には1990~92年くらい。旧知の業者様から勧められ1万円で購入。タイヤやマフラーを中古で交換。元々高齢の方が乗ってたそうで程度はかなり良い。この日バイパスで60km/hメーターを5km/hほど振り切る最高速を記録。往復150kmを無給油で走破できた。

国一を田子の浦から千本浜に入り狩野川を渡って右折。ウチのオヤジが市役所前で喫茶店をやっていたことがあり、何度か来た。そのため私の本籍は今も沼津にある(なぜかちょっとウレシイ)。ここから海岸線に沿いに国道414号を下る。狩野川放水路を渡ると414は左に折れ長岡に向かう。

狩野川は雨の多い天城山から北に向かって下り田方平野で西に向く流域のため過去に洪水が多発。そのため狩野川放水路が整備された。水量が少ない時は底が見えるほどだが地方整備局HPには大量放水の画像もある。

右折すると内浦方面。本日の目的地である内浦重須地区は地元ニュースでは高台移転事案等が物議を醸す。コレは萌え起しとは別に地元の方には心配な事。駅高架化とか道の真ん中に古墳があったり沼津って忙しい。

この景色が見えるとなんとなくその気になってくる。淡島への揚陸は専用のフェリーを使うがコレが「痛仕様」になっていてちょっと楽しい。釣人が多いので要注意。なぜかミカン箱と干物がお土産に欲しくなる。

前回通り過ぎてしまった浦ノ星女学院の入口となる交差点。この付近は旧海軍の施設があったため 妙な横穴やトンネルが無数にあって それも興味が尽きない。ここを入ると例の弁天島。道幅は狭いがバスは通っている。

ここだぁ~と思わず坂を登って行ってしまったが普通に学校がある。女子高校ではなく中学校。だから わざわざ夏休みの早朝を選んで来た。富士山がよく見えるし海が近く勿体無い様な景色。無論学校まで行ったが如何にも怪しいヤツなので画像はココには載せない。一人で眺めて悦に入る。

今週は梨子チャンがお出迎えしてくれる。1期のマッキーに当るキャラだが初代センター曜ちゃんと同様はじめから千歌に近すぎて後半にかけて存在感が微妙。でもこの3人ユニットの「決めたよHand in Hand」はメッチャ好き!…だが結局コレって千歌の妄想という超モッタイないオチ。このところ怒涛の新曲ラッシュが凄まじい。
アニメの話は前回したのでツーリングの話。「免許がないからバイクに乗れない」とか「バイクが無いからツーリングに行けない」的な話をよく聞く。カッコよく乗りたいならソレもありだが、旅行なら原付でも充分だ。まして旧型2stのほうがヘタな新型より速い。「水曜どうでしょう・原付列島制覇」のようにわざわざ中古が高く遅いカブを使う必要はない。
今回使うセピアZZは 年式的には1990~92年くらい。旧知の業者様から勧められ1万円で購入。タイヤやマフラーを中古で交換。元々高齢の方が乗ってたそうで程度はかなり良い。この日バイパスで60km/hメーターを5km/hほど振り切る最高速を記録。往復150kmを無給油で走破できた。

国一を田子の浦から千本浜に入り狩野川を渡って右折。ウチのオヤジが市役所前で喫茶店をやっていたことがあり、何度か来た。そのため私の本籍は今も沼津にある(なぜかちょっとウレシイ)。ここから海岸線に沿いに国道414号を下る。狩野川放水路を渡ると414は左に折れ長岡に向かう。

狩野川は雨の多い天城山から北に向かって下り田方平野で西に向く流域のため過去に洪水が多発。そのため狩野川放水路が整備された。水量が少ない時は底が見えるほどだが地方整備局HPには大量放水の画像もある。

右折すると内浦方面。本日の目的地である内浦重須地区は地元ニュースでは高台移転事案等が物議を醸す。コレは萌え起しとは別に地元の方には心配な事。駅高架化とか道の真ん中に古墳があったり沼津って忙しい。

この景色が見えるとなんとなくその気になってくる。淡島への揚陸は専用のフェリーを使うがコレが「痛仕様」になっていてちょっと楽しい。釣人が多いので要注意。なぜかミカン箱と干物がお土産に欲しくなる。

前回通り過ぎてしまった浦ノ星女学院の入口となる交差点。この付近は旧海軍の施設があったため 妙な横穴やトンネルが無数にあって それも興味が尽きない。ここを入ると例の弁天島。道幅は狭いがバスは通っている。

ここだぁ~と思わず坂を登って行ってしまったが普通に学校がある。女子高校ではなく中学校。だから わざわざ夏休みの早朝を選んで来た。富士山がよく見えるし海が近く勿体無い様な景色。無論学校まで行ったが如何にも怪しいヤツなので画像はココには載せない。一人で眺めて悦に入る。
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