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旅行・ツーリング
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ウチの母とその友人等が月一で湯治に出掛ける伊豆長岡の温泉旅館「弘法の湯」。風評同然のたべログなんか当てにもしないが身近の口煩い年寄りをリピーターに取り込んでしまう温泉施設に少々興味もあって日帰り入浴に行ってみた。

天井が低い建て方がやや昔風。どうも元々旅館だった施設を入浴メインに改装したらしい。だがそこに懐かしさを感じる。伝統的な温泉場はレトロが売りなほうがいい。ここも旅館というより湯治場の雰囲気があるような気がする。私が業界経験者だから思うが 至れり尽くせりのオモテナシよりも あるていど自分で賄って放っておかれたほうが寛げる気がする。だが別に寛ぎに来たワケではないし業界に未練があるワケでもない。ここがラブライブ・サンシャインの聖地(2期2話)とわかったから来てみた。だが母が従業員サンに確認しても誰も知らなかったという。

ここは岩盤浴が有名な温泉で洗い場もサウナのように熱く なにかいろいろ効能がありそう。露天風呂も背後に岩壁がそそり立っているため同じく熱い。アニメに出てくるのは女湯でしかも部分的らしいが確かに湯船は似ている。オブジェなどは同じ長岡のあづま屋旅館とも言われている。そう思ってみれば確かにそうだ。

伊豆縦貫道が開通したおかげで道が悪い沼津市内を通らずに東名や新東名から直行できるのはありがたい。この長岡のいかにもといった温泉街は昭和レトロな風情が特にあってまた宜しい。夜景など写真に収めていたら外国人女性が「オニーサーン!」などと声を掛けてくる。好きな人にはイイが 私は怖くなって逃げた。

天井が低い建て方がやや昔風。どうも元々旅館だった施設を入浴メインに改装したらしい。だがそこに懐かしさを感じる。伝統的な温泉場はレトロが売りなほうがいい。ここも旅館というより湯治場の雰囲気があるような気がする。私が業界経験者だから思うが 至れり尽くせりのオモテナシよりも あるていど自分で賄って放っておかれたほうが寛げる気がする。だが別に寛ぎに来たワケではないし業界に未練があるワケでもない。ここがラブライブ・サンシャインの聖地(2期2話)とわかったから来てみた。だが母が従業員サンに確認しても誰も知らなかったという。

ここは岩盤浴が有名な温泉で洗い場もサウナのように熱く なにかいろいろ効能がありそう。露天風呂も背後に岩壁がそそり立っているため同じく熱い。アニメに出てくるのは女湯でしかも部分的らしいが確かに湯船は似ている。オブジェなどは同じ長岡のあづま屋旅館とも言われている。そう思ってみれば確かにそうだ。

伊豆縦貫道が開通したおかげで道が悪い沼津市内を通らずに東名や新東名から直行できるのはありがたい。この長岡のいかにもといった温泉街は昭和レトロな風情が特にあってまた宜しい。夜景など写真に収めていたら外国人女性が「オニーサーン!」などと声を掛けてくる。好きな人にはイイが 私は怖くなって逃げた。
テーマ:温泉入湯記♪家族風呂・貸切温泉 - ジャンル:旅行
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ミリタリー
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伊豆方面など走っているとまだ多少見かける横穴は旧日本軍の本土決戦のための掩蔽壕の跡だという。このような小規模な戦跡は公開されている歴史資料よりも地元の埋蔵文化財や郷土資料等を扱う出先機関に保管されていることが多いらしいことを今回初めて知った。

この資料を発見したサイトは「静岡平和資料センター」と「静岡平和資料館をつくる会」という先ごろ私がクラウドに出資させて戴いた㈱カマド様とは趣旨が違う団体。だが朽ちていく歴史の遺物の保護や啓蒙活動に取り組んでいる点では意思は同じだと思う。掩体壕跡は三保半島真崎付近に合わせて9基確認されているという。

子供の頃から何度も通った道路沿いにそれは鎮座していた。今まで気付かなかっただけで掩体壕は戦時中から70年以上もここにあったわけだ。ガレージとして使われているようだがこういう保存の仕方もあるということか。戦争を過した頑丈な建造物を今でも普通に使って生活に密着している様子は羨ましいとさえ思った。だが同時に掩体壕とはいえ戦争末期の動員学徒や新兵等が自ら作ったという代物。コンクリートも今ほど良質なモノとは思えない。大規模地震が予測されている静岡中部で築70年も経って強度はだいじょうぶなのかと心配にもなってしまう。

道路脇の半地下式掩体壕、というより道路がかさ上げされて一部が埋まってしまったようだ。三保半島は安倍川から流出した土砂が堆積した砂洲でもある。海抜は低く水はけも悪い。その上にあって原型を保っているのは基礎もしっかり作られていたということか。こちらはいくらか小振りで敷地内の空家の物置きに使われていたようだ。この空家に住んで掩体壕をガレージにバイクいじりでもしてみたい。

この資料を発見したサイトは「静岡平和資料センター」と「静岡平和資料館をつくる会」という先ごろ私がクラウドに出資させて戴いた㈱カマド様とは趣旨が違う団体。だが朽ちていく歴史の遺物の保護や啓蒙活動に取り組んでいる点では意思は同じだと思う。掩体壕跡は三保半島真崎付近に合わせて9基確認されているという。

子供の頃から何度も通った道路沿いにそれは鎮座していた。今まで気付かなかっただけで掩体壕は戦時中から70年以上もここにあったわけだ。ガレージとして使われているようだがこういう保存の仕方もあるということか。戦争を過した頑丈な建造物を今でも普通に使って生活に密着している様子は羨ましいとさえ思った。だが同時に掩体壕とはいえ戦争末期の動員学徒や新兵等が自ら作ったという代物。コンクリートも今ほど良質なモノとは思えない。大規模地震が予測されている静岡中部で築70年も経って強度はだいじょうぶなのかと心配にもなってしまう。

道路脇の半地下式掩体壕、というより道路がかさ上げされて一部が埋まってしまったようだ。三保半島は安倍川から流出した土砂が堆積した砂洲でもある。海抜は低く水はけも悪い。その上にあって原型を保っているのは基礎もしっかり作られていたということか。こちらはいくらか小振りで敷地内の空家の物置きに使われていたようだ。この空家に住んで掩体壕をガレージにバイクいじりでもしてみたい。