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ミリタリー
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1982年、ブルーインパルスがT-2高等練習機から現在のT-4に改変され(宮城県)松島基地で独立再編されるまでここ浜松がベースだった。松島基地は2011年3月、東日本大震災で津波被害を受けるが、ブルーインパルスT-4は九州新幹線開通記念の展示飛行のため、前日に芦屋基地に移動、被害を免れる。今もブルーインパルスは希望の象徴として日本中の空を飛ぶ。
浜松(北)基地は戦後の1961年「空中機動研究班」として発足以来、最も苦難の時代を過ごした地となった。米国製F86Fで再編され、特に1982年のT-2機の墜落事故など事ある毎にやり玉に上げられ、飛行予定の地域で反対運動まで起こったという過去の逸話など今となっては知る由もない。
地元の清水みなと祭りでは開会式の時、スモークを引いて市街地上空を通過、大いに祭りを盛り上げてくれた(と思う)。F-86Fは元々戦闘機ゆえ、その轟音は今のT-4と比べものにならない。ただ旧清水市は港町で騒音は当り前。ブルーインパルスも子供の頃から馴染み深い存在だった(と思う)。
日本がまだ貧しく国民も神経質だった昭和39年(1964年)、晴天率の高さから決定された10月10日、ブルーインパルスが代々木国立競技場上空にスモークで五輪を描く。その技量の高さは世界を驚かせ、五輪開催に合わせて整備された首都東京と共に、急速な戦後復興を全世界に印象付けた。
二代目となる三菱T-2は1982年から1996年まで運用。対艦攻撃を主任務とする支援戦闘機F-1開発の基になるため高翼面荷重で、アクロバット飛行に制約はあったが、日本で開発された国産初の超音速機の意義こそ大きい。
浜松基地には航空教育集団司令部が置かれ、静浜基地の第11飛行教育団、防府北基地の第12教育団でT-7練習機の初等訓練を終えた候補生がT-4での訓練に移行する。そのためT-4練習機の整備機材もあり当然運用もできる。
浜松基地のブルーインパルスは遠方から飛来するのでなく基地滑走路から離陸する。5機から9機編成で離陸し海上でフォーメーションを組んで基地上空で演目に入る。元の基地でもあるため飛行高度が低く迫力が違う。
戦後、アクロバット飛行に対する認知度はなかなか上がらず自衛隊内からも反対意見があったという。飛行隊として独立して以降、また災害派遣や国際援助で自衛隊の活躍の場が増えるに従って人気も高まっていった。ただ全国の催しに引っ張りダコで県内の飛行が減ってしまったのは残念。
浜松(北)基地は戦後の1961年「空中機動研究班」として発足以来、最も苦難の時代を過ごした地となった。米国製F86Fで再編され、特に1982年のT-2機の墜落事故など事ある毎にやり玉に上げられ、飛行予定の地域で反対運動まで起こったという過去の逸話など今となっては知る由もない。
地元の清水みなと祭りでは開会式の時、スモークを引いて市街地上空を通過、大いに祭りを盛り上げてくれた(と思う)。F-86Fは元々戦闘機ゆえ、その轟音は今のT-4と比べものにならない。ただ旧清水市は港町で騒音は当り前。ブルーインパルスも子供の頃から馴染み深い存在だった(と思う)。
日本がまだ貧しく国民も神経質だった昭和39年(1964年)、晴天率の高さから決定された10月10日、ブルーインパルスが代々木国立競技場上空にスモークで五輪を描く。その技量の高さは世界を驚かせ、五輪開催に合わせて整備された首都東京と共に、急速な戦後復興を全世界に印象付けた。
二代目となる三菱T-2は1982年から1996年まで運用。対艦攻撃を主任務とする支援戦闘機F-1開発の基になるため高翼面荷重で、アクロバット飛行に制約はあったが、日本で開発された国産初の超音速機の意義こそ大きい。
浜松基地には航空教育集団司令部が置かれ、静浜基地の第11飛行教育団、防府北基地の第12教育団でT-7練習機の初等訓練を終えた候補生がT-4での訓練に移行する。そのためT-4練習機の整備機材もあり当然運用もできる。
浜松基地のブルーインパルスは遠方から飛来するのでなく基地滑走路から離陸する。5機から9機編成で離陸し海上でフォーメーションを組んで基地上空で演目に入る。元の基地でもあるため飛行高度が低く迫力が違う。
戦後、アクロバット飛行に対する認知度はなかなか上がらず自衛隊内からも反対意見があったという。飛行隊として独立して以降、また災害派遣や国際援助で自衛隊の活躍の場が増えるに従って人気も高まっていった。ただ全国の催しに引っ張りダコで県内の飛行が減ってしまったのは残念。
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大学の時、映研サークルの合宿(という名目の宴会)で稲取に行くことになり、往復カーフェリーを使う話が持ち上がった。こういうことに口を差し挟まないほうなのだが、船に乗るのが怖くて交通手段だけは反対した。当初サークル内は賛成多数だったが、たまたま何処かで漁船の沈没事故があって空気が変わった。結局、陸路を車に分乗で移動することになる。
その頃はまだ伊豆縦貫道もなく国道136号線も夏場は平日でも大渋滞する有様で、フェリーを選択した面々の意見も間違いではない。皆が決めたら従っただろうし乗ってみたら楽しかったこともあったと思う。就職してからバイクで北海道に行った時は、さすがに「津軽海峡フェリー」に乗るハメになる。とはいえこれは旅程の土産話。乗っておくべきだと思った。
当時、東日本フェリーで函館青森間を運航していたフェリーは「恵山丸」1700トン。今でもこの区間は片道3時間以上掛る。私が乗った時も船が揺れて、私も二等船室と甲板を何度も往復した。これも旅の醍醐味だ。
駿河湾フェリー「ふじ」号は、その時乗った海峡フェリーとほぼ同じ排水量。当り前だがコチラのほうがはるかに新しい(キレイ)のは一目瞭然。海峡にくらべたら駿河湾は内海だし、なにより景色が絶対的に良い。海上から望む富士山といえば浮世絵の世界。有名な北斎の富士山は「神奈川沖浪裏」だが、ここで写真を撮らない手はない。そのために乗るのも良い。
津軽海峡を渡った時は、夜間でイカ釣り船の漁火(名物だし一応キレイだと思った)しか見えなかった。陸地が見えれば船酔いにはならないという。
旅の目的にも寄るので一概には言えないが、たとえば複数人が車で移動する時ならフェリーで運ばれる間、運転者は休めることになる。例の合宿の往復も結局私は終始運転者。「運転が上手い」などと煽てられて複数の時はいつも運転させられてた。他の面子は「山手線ゲーム」とかしていたかもしれない。スマホが日常の今なら運転から解放される美点は大きい。
その頃はまだ伊豆縦貫道もなく国道136号線も夏場は平日でも大渋滞する有様で、フェリーを選択した面々の意見も間違いではない。皆が決めたら従っただろうし乗ってみたら楽しかったこともあったと思う。就職してからバイクで北海道に行った時は、さすがに「津軽海峡フェリー」に乗るハメになる。とはいえこれは旅程の土産話。乗っておくべきだと思った。
当時、東日本フェリーで函館青森間を運航していたフェリーは「恵山丸」1700トン。今でもこの区間は片道3時間以上掛る。私が乗った時も船が揺れて、私も二等船室と甲板を何度も往復した。これも旅の醍醐味だ。
駿河湾フェリー「ふじ」号は、その時乗った海峡フェリーとほぼ同じ排水量。当り前だがコチラのほうがはるかに新しい(キレイ)のは一目瞭然。海峡にくらべたら駿河湾は内海だし、なにより景色が絶対的に良い。海上から望む富士山といえば浮世絵の世界。有名な北斎の富士山は「神奈川沖浪裏」だが、ここで写真を撮らない手はない。そのために乗るのも良い。
津軽海峡を渡った時は、夜間でイカ釣り船の漁火(名物だし一応キレイだと思った)しか見えなかった。陸地が見えれば船酔いにはならないという。
旅の目的にも寄るので一概には言えないが、たとえば複数人が車で移動する時ならフェリーで運ばれる間、運転者は休めることになる。例の合宿の往復も結局私は終始運転者。「運転が上手い」などと煽てられて複数の時はいつも運転させられてた。他の面子は「山手線ゲーム」とかしていたかもしれない。スマホが日常の今なら運転から解放される美点は大きい。
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東京もたまに来ると楽しい。バブルの頃、2年ほど仕事で住んだことがある。仕事は忙しかったが、家賃や光熱費が会社持ちだったので、多少余裕もあり楽しめた。特にベイエリアはだいぶ変わったが懐かしい気がする。
「船の科学館」は私が子供の頃からあったが、いわゆる「お台場」はまだ臨海副都心で工事の途中。私が東京に居た頃は湾岸線に「13号地」というインターがあった(つまり埋立地)。当時コミケは晴海だったが、その頃まさか自分が、そこで売り子までする日が来るとは夢にも思わなかった。
そんな同人仲間がいてくれたおかげで今は常連のような顔で闊歩できるお台場。コミケ帰りの打ち上げ場所デックス東京ビーチも東京在住の友人等といっしょだから入れる。都会はコワい人もいるし一人だと道に迷う。
いわゆる複合商業施設という所は全国何処にでもあるが、フードコート以外の店舗は平均単価が多少高い時がある。地方とは客層が違う。何も知らずにカッコつけて高級店に入って会計になって青褪めたこともある。
お値段もセレブだ。ガストで10回ランチが食える。もしくはこのグリルプレート一皿で都内に一泊豪遊できる。コミケのサークル打ち上げの時はサラダバーを注文して長居。余裕があると太るタチなので、それでイイ。
夏場の都内の不快指数は田舎の比ではない。夏コミの時は身体が弱まっているし、冬コミの時期はだいたい仕事が忙しく、合間を縫ってのコミケで同じく体力が落ちている。だからここに来るといつもベジタリアン。
東京に来る時はいつも忙しい中で時間を作って来た。だからムダにしたくないし、いつも良い思い出を作れた。帰りはいつもちょっと寂しい気もする。もう歳だから住む気にはなれないが、遊んで楽しいのは昔以上だ。
「船の科学館」は私が子供の頃からあったが、いわゆる「お台場」はまだ臨海副都心で工事の途中。私が東京に居た頃は湾岸線に「13号地」というインターがあった(つまり埋立地)。当時コミケは晴海だったが、その頃まさか自分が、そこで売り子までする日が来るとは夢にも思わなかった。
そんな同人仲間がいてくれたおかげで今は常連のような顔で闊歩できるお台場。コミケ帰りの打ち上げ場所デックス東京ビーチも東京在住の友人等といっしょだから入れる。都会はコワい人もいるし一人だと道に迷う。
いわゆる複合商業施設という所は全国何処にでもあるが、フードコート以外の店舗は平均単価が多少高い時がある。地方とは客層が違う。何も知らずにカッコつけて高級店に入って会計になって青褪めたこともある。
お値段もセレブだ。ガストで10回ランチが食える。もしくはこのグリルプレート一皿で都内に一泊豪遊できる。コミケのサークル打ち上げの時はサラダバーを注文して長居。余裕があると太るタチなので、それでイイ。
夏場の都内の不快指数は田舎の比ではない。夏コミの時は身体が弱まっているし、冬コミの時期はだいたい仕事が忙しく、合間を縫ってのコミケで同じく体力が落ちている。だからここに来るといつもベジタリアン。
東京に来る時はいつも忙しい中で時間を作って来た。だからムダにしたくないし、いつも良い思い出を作れた。帰りはいつもちょっと寂しい気もする。もう歳だから住む気にはなれないが、遊んで楽しいのは昔以上だ。
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静浜基地航空祭等でアトラクションを演ずるのがこのT-7jrで編成された「リトルウィング」隊だ。芸が細かいというか所属機がT-3からT-7に更新されると、それに合わせてリトルウィング車両も変更された。手前が「T-3ジュニア」で奥が「T-7ジュニア」だ。実機に合わせて塗装が少し違う。
初等練習機T-3は、米国製ビーチクラフトT-34Aメンターに代わって富士重工が開発したプロペラ機で1978年に初飛行。2003年まで運用された。T-7はT-3のレシプロエンジンをターボプロップ化するなど近代化した機体で現在も使われている。手前のT-3jrのベースは、マフラーの形状からたぶんホンダのスーパーディオ(AF27型)あたりだと思う。2サイクルのディオは多少煙を吐くため、排気管が下に長く延長されている。静浜基地は全て官有地なので、公道走行に必要なナンバーや保安部品などは一切ない。
T-7Jrのベースはフレームやシュラウドの形から同じくホンダのトゥデイ(AF-62)かと思う。停車時は補助輪で支えるためセンタースタンドは外されている。外装に接触しないよう、マフラーが切り詰められ溶接し直されていた。こんなカスタムまで自前でやってしまう自衛隊ってやっぱスゴイ。
初等練習機T-3は、米国製ビーチクラフトT-34Aメンターに代わって富士重工が開発したプロペラ機で1978年に初飛行。2003年まで運用された。T-7はT-3のレシプロエンジンをターボプロップ化するなど近代化した機体で現在も使われている。手前のT-3jrのベースは、マフラーの形状からたぶんホンダのスーパーディオ(AF27型)あたりだと思う。2サイクルのディオは多少煙を吐くため、排気管が下に長く延長されている。静浜基地は全て官有地なので、公道走行に必要なナンバーや保安部品などは一切ない。
T-7Jrのベースはフレームやシュラウドの形から同じくホンダのトゥデイ(AF-62)かと思う。停車時は補助輪で支えるためセンタースタンドは外されている。外装に接触しないよう、マフラーが切り詰められ溶接し直されていた。こんなカスタムまで自前でやってしまう自衛隊ってやっぱスゴイ。
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アニメ「スーパーカブ」で礼子の愛読書「地平線への旅」に登場するのがこのTW200改だ。ヤマハが冒険家の風間深志氏の意向に沿って開発したスペシャルマシン。その同じ本が今でも入手可能というのはちょっと感動した。仕事で東京に居た頃、よく立ち寄った渋谷のマクドナルド近くにあった書店で購入したのだが、その書店はすでに閉店してしまったらしい。
本来ならヤマハ本社(コミュニケーションプラザ)に保管されてもよさそうなマシンだが、風間氏の出身地である山梨県内(また山梨県!)の道の駅に定期的に展示されていた。氏はこのマシンを駆って北極点到達に成功しているが、同じく南極点到達に使われた「OU70ウィスパーダンサー」とは別の車両。一部サイトでは同じ個体のような記述があるが、私はこちらの北極仕様のほうが好きなので、オリジナルが現存していることが嬉しい。
冒険などとあたかもゲーキャラの如く一言で語ってしまうのは簡単だが、書物から読み解くしかない悪戦苦闘は文字通り筆舌に尽くし難いものだったろう。もっとも極点など素人がおいそれと行ける場所でもなく、本を読んで、そのロマンの部分だけ拝借して胸を高鳴らせていた。今その登場人物の一人(TW)と語らいながら珈琲を頂いている。本読みの特権だ。
本来ならヤマハ本社(コミュニケーションプラザ)に保管されてもよさそうなマシンだが、風間氏の出身地である山梨県内(また山梨県!)の道の駅に定期的に展示されていた。氏はこのマシンを駆って北極点到達に成功しているが、同じく南極点到達に使われた「OU70ウィスパーダンサー」とは別の車両。一部サイトでは同じ個体のような記述があるが、私はこちらの北極仕様のほうが好きなので、オリジナルが現存していることが嬉しい。
冒険などとあたかもゲーキャラの如く一言で語ってしまうのは簡単だが、書物から読み解くしかない悪戦苦闘は文字通り筆舌に尽くし難いものだったろう。もっとも極点など素人がおいそれと行ける場所でもなく、本を読んで、そのロマンの部分だけ拝借して胸を高鳴らせていた。今その登場人物の一人(TW)と語らいながら珈琲を頂いている。本読みの特権だ。
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ダムマニアではないつもりだが、このNEOPASA清水の下側の砂防ダムはよく眺めている。いろいろな工法があって興味は尽きない。因みにダムは高さ15m以上の構造物を言い、15mに達しないこの堰は砂防堰堤という。
流水路下の静水池。砂防堰堤は画像の左下側だが切通しの反対側にあるため近くからは見えない。大雨の後だけ満水になり、普段は水がほとんどない。雨水が流れ込んでいる最中でも水が澄んでいるのは土砂が濾されているということだ。基礎地盤の岩場とコンクリートが混在している。
頂上付近から下る階段状集水路。ここも普段は乾いているが大雨の後は音をたてて水が流れる。水路を階段状にするの魚道を作るための場合もあるが、ここでは水勢を緩めるため。集水路はそれだけ急激に水量が増す。
集水路は山腹の谷状の所に縦方向に通すが、尾根部分には道路が横向きに敷かれ集水路を跨ぐ。どちらも極力地山に沿って作られ、切土や盛り土は必要最小限になるように計画されているはずだ。どこまで削ってどこを盛るのかは地形や地質を正確に知ることが必要。自然には逆らえない。
やや下流の興津川。前日までの大雨で水量が増し河原は水没している。河川改修は予想される最大水量で施工されないと洪水等の災害が起こってしまう。公共事業だから予算配分や優先度などの都合もあるだろう。
かくして山頂にあたるサービスエリアに広大な駐車スペースや建物用地が確保される。高低差を極力なくしてトンネルと高架橋梁で高速道路を何百キロも繋げ、途中にサービスエリアやインターチェンジを作る技術は凄いとしか言い様がない。耐用年数も何十年単位で設計されているはずだ。それを数千円の利用料金で走ることができるのは、超格安というべきだ。
流水路下の静水池。砂防堰堤は画像の左下側だが切通しの反対側にあるため近くからは見えない。大雨の後だけ満水になり、普段は水がほとんどない。雨水が流れ込んでいる最中でも水が澄んでいるのは土砂が濾されているということだ。基礎地盤の岩場とコンクリートが混在している。
頂上付近から下る階段状集水路。ここも普段は乾いているが大雨の後は音をたてて水が流れる。水路を階段状にするの魚道を作るための場合もあるが、ここでは水勢を緩めるため。集水路はそれだけ急激に水量が増す。
集水路は山腹の谷状の所に縦方向に通すが、尾根部分には道路が横向きに敷かれ集水路を跨ぐ。どちらも極力地山に沿って作られ、切土や盛り土は必要最小限になるように計画されているはずだ。どこまで削ってどこを盛るのかは地形や地質を正確に知ることが必要。自然には逆らえない。
やや下流の興津川。前日までの大雨で水量が増し河原は水没している。河川改修は予想される最大水量で施工されないと洪水等の災害が起こってしまう。公共事業だから予算配分や優先度などの都合もあるだろう。
かくして山頂にあたるサービスエリアに広大な駐車スペースや建物用地が確保される。高低差を極力なくしてトンネルと高架橋梁で高速道路を何百キロも繋げ、途中にサービスエリアやインターチェンジを作る技術は凄いとしか言い様がない。耐用年数も何十年単位で設計されているはずだ。それを数千円の利用料金で走ることができるのは、超格安というべきだ。
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80´sは二気筒に妙な偏見がある。かのホンダが「400は2気筒で充分」と豪語してホークで好調だった最中に、カワサキの4気筒Z400FXにすっかりお株を奪われたトラウマがあるからだ。ホークのオーナーはずいぶん肩身の狭い思いをしたらしい。無論ホークが遅いはずはない。実際ゼロヨンなどは2気筒のほうが速いこともよくあった。ただ昔の2気筒は空冷で頭打ちが早く、回したあと焦げ臭い匂いがする。車格も少し劣って見えた。
そんな2気筒ユーザーが劣等感に苛まれていた時期に、2気筒を最初に水冷化したのもカワサキ。当時の売り文句には「欧米ではスタンダードなツインの人気が高い」とあった。国内では振るわなかったが、カワサキは250のGPZ250Rやエリミネイター、400ではGPZ400SやEX-4を淡々と売り続ける。その「不人気なツイン」の進化版が今の売れ筋ということだ。
水冷化で筒温を安定させて、インジェクション化で更に全域の最適化を図る。しかも今は点火時期やスロットルの開閉速度まで演算に入る。
燃調や進角を最適化することで異常燃焼や振動を抑え、エンジンのキャラクターまで多気筒のように味付けができるようになった。むしろ4気筒が(重量もコスト的にも)必要なくなってしまった。それでもエンジンはこのEX400G型から新設計。逆に車体は250と共通とし軽量化。ニンジャ250には大柄な車格を奢る。400㏄クラスと250㏄のシャシの共用が普通だった時代に、250専用設計で軽量化したZ250FTとは逆行するトレンドを作った。
そんな2気筒ユーザーが劣等感に苛まれていた時期に、2気筒を最初に水冷化したのもカワサキ。当時の売り文句には「欧米ではスタンダードなツインの人気が高い」とあった。国内では振るわなかったが、カワサキは250のGPZ250Rやエリミネイター、400ではGPZ400SやEX-4を淡々と売り続ける。その「不人気なツイン」の進化版が今の売れ筋ということだ。
水冷化で筒温を安定させて、インジェクション化で更に全域の最適化を図る。しかも今は点火時期やスロットルの開閉速度まで演算に入る。
燃調や進角を最適化することで異常燃焼や振動を抑え、エンジンのキャラクターまで多気筒のように味付けができるようになった。むしろ4気筒が(重量もコスト的にも)必要なくなってしまった。それでもエンジンはこのEX400G型から新設計。逆に車体は250と共通とし軽量化。ニンジャ250には大柄な車格を奢る。400㏄クラスと250㏄のシャシの共用が普通だった時代に、250専用設計で軽量化したZ250FTとは逆行するトレンドを作った。
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京アニが帰ってきた!ツルネやFree!はあまり覚えていないが、見ていたところではTVのヴァイオレット・エヴァーガーデンからでも3年も経っている!もちろん劇場版も観に行った。ただやはりちょっと重かったかな。
だからメイドラゴンみたいなコメディは大歓迎。もちろんクオリティーはパーフェクトだった。随所に見られる京アニらしい軽妙な演出も唸らせてくれる。CMがまたスゴイ。二十世紀電氣目録がシッカリ動いた。それにしても…メイドラゴンみたいなコメディ見て涙を流すヤツっているか?
だからメイドラゴンみたいなコメディは大歓迎。もちろんクオリティーはパーフェクトだった。随所に見られる京アニらしい軽妙な演出も唸らせてくれる。CMがまたスゴイ。二十世紀電氣目録がシッカリ動いた。それにしても…メイドラゴンみたいなコメディ見て涙を流すヤツっているか?
自然災害は、インフラが整備された都市部よりも人口密度が低い郊外や山間地で被害が大きくなる。災害に限らず有事に重要なのは初動。幸い近年ではドローンやスマホなどによる状況確認や情報の伝達・分析手段の進歩は著しい。それでも初期の捜索や人命救助は人手に頼る所が多い。
災害現場に集結した消防・救護や警察、自衛隊等を一括して配置運用するのが国交省地方整備局「対策本部車」。いわゆるコマンドポスト。赤灯があるように緊急自動車でもある。この他に、照明車、衛星通信車、排水ポンプ車など様々な用途の災害対策支援車が適材適所に転回運用される。
説明によれば荷台に当る部分を展張した時の広さは14畳、最大12名で会議が可能。最大で8名分の仮眠室、シャワー室、キッチン、トイレ等を完備する。阪神大震災の教訓から発案された車両で我が国独自のものだ。
これは時々見掛ける給水車。水道工事による一時的な断水や大雨の後の水源の濁りなどでも出動する。こちらは市水道局などに配置されている。
国道事務所の道路パトロールカー。国道事務所は一級河川や国道のライブカメラも運用するが巡回や現場確認は目視でも行う。災害時は危険も伴う仕事ゆえ大型のRVは必要だろう。役所等の公用車も皆これで良い。
災害現場に集結した消防・救護や警察、自衛隊等を一括して配置運用するのが国交省地方整備局「対策本部車」。いわゆるコマンドポスト。赤灯があるように緊急自動車でもある。この他に、照明車、衛星通信車、排水ポンプ車など様々な用途の災害対策支援車が適材適所に転回運用される。
説明によれば荷台に当る部分を展張した時の広さは14畳、最大12名で会議が可能。最大で8名分の仮眠室、シャワー室、キッチン、トイレ等を完備する。阪神大震災の教訓から発案された車両で我が国独自のものだ。
これは時々見掛ける給水車。水道工事による一時的な断水や大雨の後の水源の濁りなどでも出動する。こちらは市水道局などに配置されている。
国道事務所の道路パトロールカー。国道事務所は一級河川や国道のライブカメラも運用するが巡回や現場確認は目視でも行う。災害時は危険も伴う仕事ゆえ大型のRVは必要だろう。役所等の公用車も皆これで良い。
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ハスクバーナは元々スウェーデンの銃器等のメーカーで国内では80年代にゴツいエンデューロバイクを販売していた。一時カジバに買収されたが現在はBMWグループ傘下にある。EUの統合等で二輪四輪メーカー共かなり動きがあったが、久々にハスクバーナ・ブランドのニューモデル登場。
ロードスポーツタイプのスヴァルトピレンだ。海外のブランドは第三国資本に買収されて形骸化することも多いが、旧社のコンセプトをしっかり引き継げれば好結果になることも稀にある(現行のランボルギーニとか)。
ラインナップは排気量692.7㏄の「701」と373.2㏄の「401」、それに248.8㏄の「250」と124.7㏄の「125」が加わる。この内701は既に生産終了。401と250は中型免許、125は小型二輪で乗れることになる。エンジンはKTM製の水冷ツインカム4バルブ単気筒。エンジンのマウントが低く、低重心が徹底されている。排気系はハスクバーナのオリジナルらしい。
本命と思われる401は乾燥重量150㎏、250が153㎏とカタログデータでは401のほうが少し軽い。国産車に比べて遜色のない数値だが、外車なりの質感の高さは、逆輸入が普通になった日本車とは比べものにならない。というか国産にこうした、いわゆるビッグシングルは既に存在しない。
私は雑誌ライターではないのでお世辞を書くつもりはないが、80年代にヤマハから発売されたSDRを彷彿させるトラスフレームにシングルはかなり良いと思った。しかもスヴァルトピレンにはタンデムシートとステップもある。一見小振りなシートも座面は広く荷物を積んでも安定しそう。
価格は250が64万9千円、125が56万9千円、401が75万9千円と、250にお得感がある。日本車といっても今やほとんど東南アジア製。昔から外車オーナーは車格に拘るが、気軽に乗れるこんな機種があってもいい。
ロードスポーツタイプのスヴァルトピレンだ。海外のブランドは第三国資本に買収されて形骸化することも多いが、旧社のコンセプトをしっかり引き継げれば好結果になることも稀にある(現行のランボルギーニとか)。
ラインナップは排気量692.7㏄の「701」と373.2㏄の「401」、それに248.8㏄の「250」と124.7㏄の「125」が加わる。この内701は既に生産終了。401と250は中型免許、125は小型二輪で乗れることになる。エンジンはKTM製の水冷ツインカム4バルブ単気筒。エンジンのマウントが低く、低重心が徹底されている。排気系はハスクバーナのオリジナルらしい。
本命と思われる401は乾燥重量150㎏、250が153㎏とカタログデータでは401のほうが少し軽い。国産車に比べて遜色のない数値だが、外車なりの質感の高さは、逆輸入が普通になった日本車とは比べものにならない。というか国産にこうした、いわゆるビッグシングルは既に存在しない。
私は雑誌ライターではないのでお世辞を書くつもりはないが、80年代にヤマハから発売されたSDRを彷彿させるトラスフレームにシングルはかなり良いと思った。しかもスヴァルトピレンにはタンデムシートとステップもある。一見小振りなシートも座面は広く荷物を積んでも安定しそう。
価格は250が64万9千円、125が56万9千円、401が75万9千円と、250にお得感がある。日本車といっても今やほとんど東南アジア製。昔から外車オーナーは車格に拘るが、気軽に乗れるこんな機種があってもいい。