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やはりこういうアンティークは写真で見るのと実物が目の前にあるのとでは大違い。現物が目の前にあると周りの空間までタイムスリップしたような感じ。既視感というか夢に出てきそうな光景。背景に富士山も見える。

大井川鉄道はウワサには聞いていたが見るのは初めて。JR金谷駅ホームから直通の大鉄線ホームにすでに列車が到着していた。ここから大鉄の始発駅となる新金谷駅まで2.3㎞を数分で往復。一時間に一便くらいらしい。

旧来の計器にアナウンスや自動扉などアップデート機材が後付けされている。運転手も改札も乗務員は若いお兄さん。ワンマン運行とは自分勝手にやっていいわけではなく乗務員一名のため安全確認など忙しそうだった。

いちおう二両編成で座席は簡素な対面式。赤紫のビロード風の風合いが懐かしい。間隔は狭いがそれほど混んでいないので余裕で座れて景色も楽しめる。金谷駅は牧ノ原台地の中腹で、出るとすぐに大井川の支流を渡る。

列車は少し揺れるがそれほど遅くもなく快適。見掛けほど騒音もなくやや大きめのモーター音のみ。ディーゼル車のような異臭が漂うこともなく車内も清潔な感じ。大井川本線接続のため線路は大きく180°左に回り込む。

あっという間に新金谷駅到着。トーマスは午前中に良い子を乗せて出発してしまう。残っているのはオタクのみ。駅構内もキレイにされているが何かトリップ感がスゴイ。こうした駅が都市伝説の舞台になるのも頷ける。

車体の刻印には昭和33年製造とある。東京タワーと同じ年度。南海21000系の製造は大阪の帝國車輛工業。車台は住友金属。 現行の軽量な車体と違って重量は嵩むが堅牢に作られた感じ。勿論メンテも行き届いている。

車両の前後に運転席。二両編成なのは往復運行のためだ。古い車両独特の自然な調色が見ていて疲れない。たしかに古い感じはあるが適度な使用感と日常手入れされている感じがある。勿論ゆるキャン△レリーフもある。

大井川鉄道はウワサには聞いていたが見るのは初めて。JR金谷駅ホームから直通の大鉄線ホームにすでに列車が到着していた。ここから大鉄の始発駅となる新金谷駅まで2.3㎞を数分で往復。一時間に一便くらいらしい。

旧来の計器にアナウンスや自動扉などアップデート機材が後付けされている。運転手も改札も乗務員は若いお兄さん。ワンマン運行とは自分勝手にやっていいわけではなく乗務員一名のため安全確認など忙しそうだった。

いちおう二両編成で座席は簡素な対面式。赤紫のビロード風の風合いが懐かしい。間隔は狭いがそれほど混んでいないので余裕で座れて景色も楽しめる。金谷駅は牧ノ原台地の中腹で、出るとすぐに大井川の支流を渡る。

列車は少し揺れるがそれほど遅くもなく快適。見掛けほど騒音もなくやや大きめのモーター音のみ。ディーゼル車のような異臭が漂うこともなく車内も清潔な感じ。大井川本線接続のため線路は大きく180°左に回り込む。

あっという間に新金谷駅到着。トーマスは午前中に良い子を乗せて出発してしまう。残っているのはオタクのみ。駅構内もキレイにされているが何かトリップ感がスゴイ。こうした駅が都市伝説の舞台になるのも頷ける。

車体の刻印には昭和33年製造とある。東京タワーと同じ年度。南海21000系の製造は大阪の帝國車輛工業。車台は住友金属。 現行の軽量な車体と違って重量は嵩むが堅牢に作られた感じ。勿論メンテも行き届いている。

車両の前後に運転席。二両編成なのは往復運行のためだ。古い車両独特の自然な調色が見ていて疲れない。たしかに古い感じはあるが適度な使用感と日常手入れされている感じがある。勿論ゆるキャン△レリーフもある。
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遠方からも見える富士山の特徴的なシルエットはカメラの格好の題材になってきた。見える範囲が遠方であればあるほど多くの景色の背景になる。

その特徴的な山体は山脈に連ならない独立した一つの山であることから成る。大陸プレートの交点上にあり莫大なエネルギーが集中するパワースポットであることから、古来から霊峰と仰がれるのも合点がいく気がする。
語呂合わせの「富士山の日」は偶然にも(徳仁親王の)天長節と重なり祭日になった。偶然とはいえ何かと好都合かもしれない。世界遺産の登録などもう忘れかけているが登録があろうとなかろうと富士山はここにある。

その特徴的な山体は山脈に連ならない独立した一つの山であることから成る。大陸プレートの交点上にあり莫大なエネルギーが集中するパワースポットであることから、古来から霊峰と仰がれるのも合点がいく気がする。
語呂合わせの「富士山の日」は偶然にも(徳仁親王の)天長節と重なり祭日になった。偶然とはいえ何かと好都合かもしれない。世界遺産の登録などもう忘れかけているが登録があろうとなかろうと富士山はここにある。
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JR清水駅といえば映画「ビー・バップ・ハイスクール 」ロケ地として有名(笑)。若い人は知らないかもしれないが、「池袋ウエストゲートパーク」や「東京卍リベンジャーズ」をもっと汚くした(黒澤映画のような)時代劇だと思って見ると楽しめる。原作がマンガでアニメより実写の人気があった作品は今では珍しい。続編やOVAもあったのだから人気の程がわかる。

ちょうどこの辺り(当時は公衆便所だった)から正面改札や右奥にあったうどん屋付近が舞台になるのだが、周辺も飲み屋街やゲーセンが並ぶガラの悪い通学路。…なんて話に華を咲かせてると、いじめられっ子のトラウマがある連中がヒステリーを起こすのでヤメとくけど、昔話なんてもうとっくに歴史の一部。郷土史みたいなもの。とにかくそんな思い出のある所。
今は駅舎は新しくなったもののもともと支線の貨物駅の需要が大きかったから寂れた感は否めない。単純に乗降客数で比較するとお隣の「草薙駅」より少ないという。彼方は学校が多い文教地区だからそんなものだろう。
去年から清水駅もよく使うので推しておくと駅前に「吉野家」と「CoCo壱番屋」が並ぶ駅は周辺にはない。麺類なら静岡駅にもあるが蕎麦やラーメンはすぐに飽きる。御飯物が食べたいなら清水の方が便利だ。改札が近く時間調整にも使いやすい。わざわざ途中下車して食べに寄ることもある。
ただWi-Fiを拝借するならコーヒーショップかバーガーチェーンのほうが長居しやすい。マックは一頃はドライブスルーと深夜営業に凝っていたおかげで駅前店舗が少ない時期があった。今は時勢柄どちらも逆転している。

貧乏性なのでマクドナルドに寄る。因みに今時の若者やJKはスタバに行くので空いているのが良い。マックとドトールがWi-Fiが簡単だが残念ながら清水区内のドトールはなぜか市立病院にしかない。ここ清水駅前のマックは2階席から富士山が眺められる贅沢な立地。帰宅時間帯の夕映えも格別。

ちょうどこの辺り(当時は公衆便所だった)から正面改札や右奥にあったうどん屋付近が舞台になるのだが、周辺も飲み屋街やゲーセンが並ぶガラの悪い通学路。…なんて話に華を咲かせてると、いじめられっ子のトラウマがある連中がヒステリーを起こすのでヤメとくけど、昔話なんてもうとっくに歴史の一部。郷土史みたいなもの。とにかくそんな思い出のある所。
今は駅舎は新しくなったもののもともと支線の貨物駅の需要が大きかったから寂れた感は否めない。単純に乗降客数で比較するとお隣の「草薙駅」より少ないという。彼方は学校が多い文教地区だからそんなものだろう。
去年から清水駅もよく使うので推しておくと駅前に「吉野家」と「CoCo壱番屋」が並ぶ駅は周辺にはない。麺類なら静岡駅にもあるが蕎麦やラーメンはすぐに飽きる。御飯物が食べたいなら清水の方が便利だ。改札が近く時間調整にも使いやすい。わざわざ途中下車して食べに寄ることもある。
ただWi-Fiを拝借するならコーヒーショップかバーガーチェーンのほうが長居しやすい。マックは一頃はドライブスルーと深夜営業に凝っていたおかげで駅前店舗が少ない時期があった。今は時勢柄どちらも逆転している。

貧乏性なのでマクドナルドに寄る。因みに今時の若者やJKはスタバに行くので空いているのが良い。マックとドトールがWi-Fiが簡単だが残念ながら清水区内のドトールはなぜか市立病院にしかない。ここ清水駅前のマックは2階席から富士山が眺められる贅沢な立地。帰宅時間帯の夕映えも格別。
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去年は世間の都合であまり出歩けなかった(それでもコミケは行った)が2022年最初の聖地巡礼は身延。特急「ワイドビューふじかわ」に乗る目的の他に、ほんとうは雪が見たかったのだが残念ながら雪は無い。それでも天気は快晴。混雑するのが嫌いな私にはちょうど良い具合に空いている。

バイクで何度か来たことはあったので、今回は駅前を散策して帰るつもりだったが、こういうオタク好みのディスプレイに弱い。ショーウィンド越しに店内に目を移すと店主と思しきご婦人と目が合ってしまう。安い銘菓くらいなら買ってもイイかと店内に入って驚いた。ここはアニメイトか!

お店の方に許可を取って撮影。ここはいわゆる門前町。ショーケースの中は参拝者が使うであろう法具の数珠などだが、その上はグッズで埋め尽くされミスマッチが楽しい。こういう陳列が堂々とできることに寧ろ懐の深さを感じる。何気ない商品でも聖地(アニメの)で買うことに意義がある。

アニメグッズの陳列がプロっぽい。客の目を引く陳列をするのは商売の原則。身延山は700年も歴史があるから小さいことは言いっこなし。その下は「数珠」等だが法具というよりどちらかというと工芸品。甲府には水晶の原産地「昇仙峡」があって、そちらも有名。名物が多いと嬉しい悲鳴。

糸魚川構造線に沿った甲府盆地は豊富な湯量を誇る名湯や風光明媚な景色の他、水晶などの鉱物資源が豊富な地域として知られている。構造線上は高温高圧の地中で変成岩が形成されるため地質学的にも宝庫。中でも乙女鉱山のタングステンや黒川金山などの重金属鉱山は国策さえも支えた。

ゆるキャン△聖地巡礼のお客には缶バッジプレゼントが戴ける。お店ごとに種類が決まっているそうで、コチラのお店では「リンのおじいちゃん」(笑)。バイクで来た客にはウケるかもしれない。キャンプ場こそ無いが関連グッズの充実は凄まじい。今年は劇場版公開もあって盛り上がりそう。

バイクで何度か来たことはあったので、今回は駅前を散策して帰るつもりだったが、こういうオタク好みのディスプレイに弱い。ショーウィンド越しに店内に目を移すと店主と思しきご婦人と目が合ってしまう。安い銘菓くらいなら買ってもイイかと店内に入って驚いた。ここはアニメイトか!

お店の方に許可を取って撮影。ここはいわゆる門前町。ショーケースの中は参拝者が使うであろう法具の数珠などだが、その上はグッズで埋め尽くされミスマッチが楽しい。こういう陳列が堂々とできることに寧ろ懐の深さを感じる。何気ない商品でも聖地(アニメの)で買うことに意義がある。

アニメグッズの陳列がプロっぽい。客の目を引く陳列をするのは商売の原則。身延山は700年も歴史があるから小さいことは言いっこなし。その下は「数珠」等だが法具というよりどちらかというと工芸品。甲府には水晶の原産地「昇仙峡」があって、そちらも有名。名物が多いと嬉しい悲鳴。

糸魚川構造線に沿った甲府盆地は豊富な湯量を誇る名湯や風光明媚な景色の他、水晶などの鉱物資源が豊富な地域として知られている。構造線上は高温高圧の地中で変成岩が形成されるため地質学的にも宝庫。中でも乙女鉱山のタングステンや黒川金山などの重金属鉱山は国策さえも支えた。

ゆるキャン△聖地巡礼のお客には缶バッジプレゼントが戴ける。お店ごとに種類が決まっているそうで、コチラのお店では「リンのおじいちゃん」(笑)。バイクで来た客にはウケるかもしれない。キャンプ場こそ無いが関連グッズの充実は凄まじい。今年は劇場版公開もあって盛り上がりそう。
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ちょうど去年の今ごろ救急搬送されて入院やらリハビリやらと経験した。健康が最善に決まっているが通院等のおかげで生活パターンが変わって良かったこともあった。仕事とは違う友人や立ち寄り先も知る事ができた。

さすがに駅の近辺は移り変わりが激しい。通院やら市役所やら社保事務所に用事が増えて度々往復することがなかったら道を覚えることもできなかった。ついでに以前はバイクやクルマで移動するのが普通で、公共交通機関など全くと言っていいほど利用しなかった。実はバスの乗り方も知らないとは自慢にもならない。飲食はファーストフードしか寄らないがコロナの影響もあって移動が多い。因みにこの日はアニメイトに行ったが静岡のメイトは女性向け商品が多い。私は黙って付き合わされるしかなかった。

さすがに駅の近辺は移り変わりが激しい。通院やら市役所やら社保事務所に用事が増えて度々往復することがなかったら道を覚えることもできなかった。ついでに以前はバイクやクルマで移動するのが普通で、公共交通機関など全くと言っていいほど利用しなかった。実はバスの乗り方も知らないとは自慢にもならない。飲食はファーストフードしか寄らないがコロナの影響もあって移動が多い。因みにこの日はアニメイトに行ったが静岡のメイトは女性向け商品が多い。私は黙って付き合わされるしかなかった。
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バブル期に京浜東北線の通勤地獄を毎日経験したおかげで鉄道が苦手になった。第一その頃は駅が汚かった。この歳までオタク趣味をほとんど総ナメにした私にとって「鉄オタ」は最後の秘境。思いついたら即実行。近いのに乗ったことがなかった在来線の一つ「身延線」を初体験してみた。

JR身延線は富士・甲府駅間で全線88㎞。この身延線全線を走破する特急「ワイドビューふじかわ」は静岡駅まで乗り入れている。更に都合の良いことに清水駅にも停車してくれる。いきなり全線はキツイので、自宅から近い清水駅から身延線のほぼ中間となる身延駅まで往復に挑戦してみる。

特急券と乗車券合わせて清水⇔身延(自由席)合計5,080円。所要時間は1時間15分。乗ってすぐに気が付いたのはシートの向きが進行方向と全て逆になっていること。これは東海道本線と身延線の合流の関係で富士駅から進行方向が前後が逆になる。乗るとすぐに車掌が検札にくるのが特急列車。

東進していた列車は富士駅から西進。直後の分岐を山側に逸れて富士山に向って北進を始める。自由席なので空いていれば移動も自由。景色の良いほうに座る。富士駅を出ると次は富士宮。車窓から見える富士山が良い。

富士駅から北進していた列車は大きく左に回って西進。富士宮駅からは北側に富士山が見える。おそらく川幅の広い富士川の河岸段丘を避け山間地に入るため高度を上げているのかと思う。線路も一部高架で景色も良い。

富士宮の次は山梨県南部町の内船駅。ゆるキャン△聖地に入る。西向きに走っていた列車は芝川の丘陵を回り込んで富士川と合流。富士川の東岸を富士山麓丘陵地の山腹を縫うように走る。トンネルは意外と少なく短い。

富士宮丘陵を大きく迂回するため列車は低速で複雑な動きをする。また標高が上がってレールの摩擦音が増える。全線開通は1928年(昭和3年)頃と云われ、重要な交通路だった富士川の水運を補完する難工事が偲ばれる。

富士川最大の難所「釜口峡」。ここ芝川の瀬戸島という断崖の中州で富士川は複雑に湾曲する。この中州を渡る巨大な送水管は「釜口サイフォン橋」と呼ばれ芝川上流の南部町から清水区蒲原の日本軽金属に水を送る。

対岸に国道52号線が見える富士川に出た。この辺りは糸魚川静岡構造線の上で富士山と赤石山脈の地球規模の褶曲に挟まれて流れが急で複雑。身延線も崖にへばり付いた状態で100年も経つ土木技術は奇跡と言う他ない。

身延と富士宮の間の停車駅JR内船駅に到着。駅前には例のヤマザキデイリーストアと富士川に掛る数少ない橋がある。駅近くには「なんぶの湯」温泉もあり駅舎も立派なのだが、ここも駅員が常駐しないいわゆる無人駅。

岸から見る限り富士川の流れは緩やかで川原も広い。水運には好都合と思われる。江戸時代、甲斐国は幕府の天領(直轄領)で、身延線の駅名は水運に使われた河岸(かし=船着き場)や船溜まりからきた地名の由来が多い。

内船駅と甲斐大島駅の間くらいに中部横断道の富士川第一橋がある。富士川東岸を国道52号線と並行した中部横断道はここで身延線を跨いで富士川西岸に移る。直後に身延山インターチェンジがあるが切通しで見えない。

身延線の前身となる「富士身延鉄道線」が開業して2020年で百周年だったそうだ。富士川の船着き場付近に駅が設けられ、気象に左右されやすい水運を代行。それが身延山の参拝客や下部温泉の旅客輸送に変っていった。

富士駅を出て約50分。身延到着。駅員を見るとなぜかホッとする。ここから甲府まで同じく50分ほどでちょうど中間点となる。車窓を眺めているとあっと言う間の小一時間。景色が変化に富んで退屈しているヒマがない。

JR身延線は富士・甲府駅間で全線88㎞。この身延線全線を走破する特急「ワイドビューふじかわ」は静岡駅まで乗り入れている。更に都合の良いことに清水駅にも停車してくれる。いきなり全線はキツイので、自宅から近い清水駅から身延線のほぼ中間となる身延駅まで往復に挑戦してみる。

特急券と乗車券合わせて清水⇔身延(自由席)合計5,080円。所要時間は1時間15分。乗ってすぐに気が付いたのはシートの向きが進行方向と全て逆になっていること。これは東海道本線と身延線の合流の関係で富士駅から進行方向が前後が逆になる。乗るとすぐに車掌が検札にくるのが特急列車。

東進していた列車は富士駅から西進。直後の分岐を山側に逸れて富士山に向って北進を始める。自由席なので空いていれば移動も自由。景色の良いほうに座る。富士駅を出ると次は富士宮。車窓から見える富士山が良い。

富士駅から北進していた列車は大きく左に回って西進。富士宮駅からは北側に富士山が見える。おそらく川幅の広い富士川の河岸段丘を避け山間地に入るため高度を上げているのかと思う。線路も一部高架で景色も良い。

富士宮の次は山梨県南部町の内船駅。ゆるキャン△聖地に入る。西向きに走っていた列車は芝川の丘陵を回り込んで富士川と合流。富士川の東岸を富士山麓丘陵地の山腹を縫うように走る。トンネルは意外と少なく短い。

富士宮丘陵を大きく迂回するため列車は低速で複雑な動きをする。また標高が上がってレールの摩擦音が増える。全線開通は1928年(昭和3年)頃と云われ、重要な交通路だった富士川の水運を補完する難工事が偲ばれる。

富士川最大の難所「釜口峡」。ここ芝川の瀬戸島という断崖の中州で富士川は複雑に湾曲する。この中州を渡る巨大な送水管は「釜口サイフォン橋」と呼ばれ芝川上流の南部町から清水区蒲原の日本軽金属に水を送る。

対岸に国道52号線が見える富士川に出た。この辺りは糸魚川静岡構造線の上で富士山と赤石山脈の地球規模の褶曲に挟まれて流れが急で複雑。身延線も崖にへばり付いた状態で100年も経つ土木技術は奇跡と言う他ない。

身延と富士宮の間の停車駅JR内船駅に到着。駅前には例のヤマザキデイリーストアと富士川に掛る数少ない橋がある。駅近くには「なんぶの湯」温泉もあり駅舎も立派なのだが、ここも駅員が常駐しないいわゆる無人駅。

岸から見る限り富士川の流れは緩やかで川原も広い。水運には好都合と思われる。江戸時代、甲斐国は幕府の天領(直轄領)で、身延線の駅名は水運に使われた河岸(かし=船着き場)や船溜まりからきた地名の由来が多い。

内船駅と甲斐大島駅の間くらいに中部横断道の富士川第一橋がある。富士川東岸を国道52号線と並行した中部横断道はここで身延線を跨いで富士川西岸に移る。直後に身延山インターチェンジがあるが切通しで見えない。

身延線の前身となる「富士身延鉄道線」が開業して2020年で百周年だったそうだ。富士川の船着き場付近に駅が設けられ、気象に左右されやすい水運を代行。それが身延山の参拝客や下部温泉の旅客輸送に変っていった。

富士駅を出て約50分。身延到着。駅員を見るとなぜかホッとする。ここから甲府まで同じく50分ほどでちょうど中間点となる。車窓を眺めているとあっと言う間の小一時間。景色が変化に富んで退屈しているヒマがない。
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毎年この時期になると(中学生じゃあるまいし)そわそわするヤツがいてメンドくさい。バレンタインデーなんて歳時的なものだし、だいたいそんなネタで熱くなるヤツほどドン引きされるって一般常識がわかってない。

歳時記だから、この時期が近づくと街中のディスプレイが購買欲を煽るオブジェばかりになって、焦燥に駆られてる腐る奴もいる(笑)。こうなるとモテるモテないよりも妙な劣等感から憂さを溜め込む犯罪心理のレベル。
そういうヤツはもらったフリして自分で買った高級チョコレートの画像をSNSにupすればイイ。SNSは匿名だから「何を書くのも本人の勝手だ!」ってどっかのオッサンも言ってた。個人的にはウソを書くのはどうかと思うが、それでネットの誹謗中傷が無くなるなら是非そうしてもらいたい。犯罪抑止にもなるわけだし。ただあまりにもテンパって、ウソのカノジョ惚け話やウソの元カノ自慢をupして、キモイ!って言われてる(超ウケた)奴もいる。プロフは妙にカッコイイ職業と立派な肩書。でもヘタな写真に幼稚な文章。たしかに「何を書くのも本人の自由」。逆効果だけど(笑)。

歳時記だから、この時期が近づくと街中のディスプレイが購買欲を煽るオブジェばかりになって、焦燥に駆られてる腐る奴もいる(笑)。こうなるとモテるモテないよりも妙な劣等感から憂さを溜め込む犯罪心理のレベル。
そういうヤツはもらったフリして自分で買った高級チョコレートの画像をSNSにupすればイイ。SNSは匿名だから「何を書くのも本人の勝手だ!」ってどっかのオッサンも言ってた。個人的にはウソを書くのはどうかと思うが、それでネットの誹謗中傷が無くなるなら是非そうしてもらいたい。犯罪抑止にもなるわけだし。ただあまりにもテンパって、ウソのカノジョ惚け話やウソの元カノ自慢をupして、キモイ!って言われてる(超ウケた)奴もいる。プロフは妙にカッコイイ職業と立派な肩書。でもヘタな写真に幼稚な文章。たしかに「何を書くのも本人の自由」。逆効果だけど(笑)。
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ミリタリー
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浜松基地広報館(エアパーク)に永らく展示されていたが2021年の休館中のリニューアル後、忽然と姿を消してしまったバンパイアT55。気になっていたが、ホビーショーに模型サークルで参加された空自の方にお伺いしたところ「基地内に分解・保管」とのこと。F-4EJが入ったので仕方ない。

国内にはこの一機しかない貴重な機体。遠方の他の基地へ行ってしまうのが心配だったが一応浜松にあるらしい。こんな飛行機を見て喜ぶ奴も珍しかろうから再展示は不明。たしかに変わった形状だがジェットエンジン黎明期に各国が挙って採用した当時としては合理的な形ではある。ただし実用化に漕ぎ着け更に量産された例はバンパイアを除いてほとんどない。
奇怪な外形ながら運動性が良く堅牢で生産性も良好にまとめられた高い完成度は、欧米の航空機メーカーとしては新参ながら奇抜な名機を多数産み出したデ・ハビランド社の先進性と高い技術力の両立に寄る所が大きい。
バンパイアはさすがに有名とは言い難いが、デ・ハビランド社と同社の傑作機モスキートは映画の影響もあって有名だった時期があった。私も先に知ったのはモスキート。社名が同じなので同社の機体なのかとわかった。
デ・ハビランド社製造の機体はイニシャルの後に通し番号が付き、DH98がモスキート、DH100がバンパイアになる。間のDH99はバンパイアの全金属製バージョン。量産型バンパイアは機体の一部に木材が使われていた。

戦前、無名だった同社を一躍有名にしたのが「木造の脅威」と呼ばれた戦闘爆撃機DH.98モスキート。機体の大半が合板など「木」でできているため家具工場等で製造でき既存の設備や資源を圧迫せず大量生産できた。
また製造が容易で機体表面を平滑化できたため空気抵抗が減って速度性能が上がる。金属製に比べレーダーに探知されにくいステルス性もあった。
一部は極東にも送られたが、高温多湿の東南アジアでは木が腐ったり接着剤が劣化するトラブルが多発し活躍できず撤退。長大な航続力も有したこんな高性能機が日本軍や本土空襲に相見える事がなかったのは寧ろ幸い。
いわゆる「トンデモ兵器」の宝庫のイギリス軍にあって、新機軸を完全に掌中に収め実用化レベルに持っていけたのがデ・ハビランド社の実力だ。

バンパイアではデ・ハビランド社はジェットエンジンも自社製を搭載する。遠心式ターボジェットエンジンは当時としては信頼性があり量産機にも改良型が使われた。第一世代ジェット戦闘機で機体とエンジン双方を製造できたのはデ・ハビランド社だけ。開発力と生産力両方を持っていた。
バンパイアの実戦は戦後で、第一次印パ戦争にインド空軍から参戦。程なくパキスタン空軍に配備されたF86セイバーに完敗を帰すが、インド空軍が導入した超軽戦闘機ナットに仇を討たれる戦記が世界的に有名になった。

後年かなり誇張された武勇伝とする説もあったが、インド空軍がナットをライセンス生産した他、自国製の改良型アジートを開発したことを考えると実戦での高評価は疑う余地はない。或いは周辺国に大量に供給され文字通り救世主となったセイバーに対する優位性を誇示したのかもしれない。
セイバーは空自でも運用され、用途廃止となった機体が今も各地に現存。ナットはチャーリー・シーンの映画「ホットショットⅡ」で米海軍機として大活躍。両機とも米英空軍のアクロバットチームや、F86Fは空自の初代ブルーインパルスにも採用され、操縦性や運動性の高さは定評があった。
当のバンパイアは…なんと!日本のアニメにもすでに出演していた!…

AIKa ZEROは2009年のアニメ。今のアニメに比べたらチープな感じは否めないが、バンパイヤの離陸や操縦シーンのクオリティーは高い。離陸からハイレートクライムは空自の基地祭ではお馴染みだが、バンパイアのDHゴブリンIIターボジェットエンジンの推力(=1,410kg)ではたぶんムリ。

異様に詳細なコックピット内のディテールは、アニメ「SHIROBAKO」と同様に浜松基地エアパークでの実機取材の成せる技かと思う。浜松基地のバンパイアは練習機型でDH.115が形式名。T55は機体番号と云われる。

アニメ放送時には未装備だったF35に誘導されるアイカのバンパイア。戦後しばらくはアメリカよりイギリス側の航空機技術が優位にあり我が国はその双方から技術供与を受けていた。戦後初のジェット機T-1Aはナットと同じブリストル・シドレー オーフュース、同じく三菱F-1/T-2はロールスロイス・アドーアMk801を搭載。ライセンス生産によって技術力を蓄えた。
遡れば英国は「日英同盟」からの友好国であり将来も友好で在り続ける。

国内にはこの一機しかない貴重な機体。遠方の他の基地へ行ってしまうのが心配だったが一応浜松にあるらしい。こんな飛行機を見て喜ぶ奴も珍しかろうから再展示は不明。たしかに変わった形状だがジェットエンジン黎明期に各国が挙って採用した当時としては合理的な形ではある。ただし実用化に漕ぎ着け更に量産された例はバンパイアを除いてほとんどない。
奇怪な外形ながら運動性が良く堅牢で生産性も良好にまとめられた高い完成度は、欧米の航空機メーカーとしては新参ながら奇抜な名機を多数産み出したデ・ハビランド社の先進性と高い技術力の両立に寄る所が大きい。
バンパイアはさすがに有名とは言い難いが、デ・ハビランド社と同社の傑作機モスキートは映画の影響もあって有名だった時期があった。私も先に知ったのはモスキート。社名が同じなので同社の機体なのかとわかった。
デ・ハビランド社製造の機体はイニシャルの後に通し番号が付き、DH98がモスキート、DH100がバンパイアになる。間のDH99はバンパイアの全金属製バージョン。量産型バンパイアは機体の一部に木材が使われていた。

戦前、無名だった同社を一躍有名にしたのが「木造の脅威」と呼ばれた戦闘爆撃機DH.98モスキート。機体の大半が合板など「木」でできているため家具工場等で製造でき既存の設備や資源を圧迫せず大量生産できた。
また製造が容易で機体表面を平滑化できたため空気抵抗が減って速度性能が上がる。金属製に比べレーダーに探知されにくいステルス性もあった。
一部は極東にも送られたが、高温多湿の東南アジアでは木が腐ったり接着剤が劣化するトラブルが多発し活躍できず撤退。長大な航続力も有したこんな高性能機が日本軍や本土空襲に相見える事がなかったのは寧ろ幸い。
いわゆる「トンデモ兵器」の宝庫のイギリス軍にあって、新機軸を完全に掌中に収め実用化レベルに持っていけたのがデ・ハビランド社の実力だ。

バンパイアではデ・ハビランド社はジェットエンジンも自社製を搭載する。遠心式ターボジェットエンジンは当時としては信頼性があり量産機にも改良型が使われた。第一世代ジェット戦闘機で機体とエンジン双方を製造できたのはデ・ハビランド社だけ。開発力と生産力両方を持っていた。
バンパイアの実戦は戦後で、第一次印パ戦争にインド空軍から参戦。程なくパキスタン空軍に配備されたF86セイバーに完敗を帰すが、インド空軍が導入した超軽戦闘機ナットに仇を討たれる戦記が世界的に有名になった。

後年かなり誇張された武勇伝とする説もあったが、インド空軍がナットをライセンス生産した他、自国製の改良型アジートを開発したことを考えると実戦での高評価は疑う余地はない。或いは周辺国に大量に供給され文字通り救世主となったセイバーに対する優位性を誇示したのかもしれない。
セイバーは空自でも運用され、用途廃止となった機体が今も各地に現存。ナットはチャーリー・シーンの映画「ホットショットⅡ」で米海軍機として大活躍。両機とも米英空軍のアクロバットチームや、F86Fは空自の初代ブルーインパルスにも採用され、操縦性や運動性の高さは定評があった。
当のバンパイアは…なんと!日本のアニメにもすでに出演していた!…

AIKa ZEROは2009年のアニメ。今のアニメに比べたらチープな感じは否めないが、バンパイヤの離陸や操縦シーンのクオリティーは高い。離陸からハイレートクライムは空自の基地祭ではお馴染みだが、バンパイアのDHゴブリンIIターボジェットエンジンの推力(=1,410kg)ではたぶんムリ。

異様に詳細なコックピット内のディテールは、アニメ「SHIROBAKO」と同様に浜松基地エアパークでの実機取材の成せる技かと思う。浜松基地のバンパイアは練習機型でDH.115が形式名。T55は機体番号と云われる。

アニメ放送時には未装備だったF35に誘導されるアイカのバンパイア。戦後しばらくはアメリカよりイギリス側の航空機技術が優位にあり我が国はその双方から技術供与を受けていた。戦後初のジェット機T-1Aはナットと同じブリストル・シドレー オーフュース、同じく三菱F-1/T-2はロールスロイス・アドーアMk801を搭載。ライセンス生産によって技術力を蓄えた。
遡れば英国は「日英同盟」からの友好国であり将来も友好で在り続ける。
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スカイウェイブが発売されたのは初代マジェスティ(4HC)の1995年から遅れること3年の1998年。ビグスクは事実上この二強の争いとなるが選択肢が増えたことを喜ぶ声もあった。後のフロントマスクが巨大化したビグスクと違って、小振りなライト周りに安定重視のフロント13インチホイールが相対的にフロント周りを尖って見せる視覚効果があって好きだった。

スカイウェイブが出た1998年頃は、私は仕事が多忙でほとんどバイクに乗れなかったが、独身寮住まいのおかげで毎晩同僚や後輩等と遊び回っていた。この時期の私の素行の悪さが後に「排気量マウントおじさん」達からヒガまれる要因となる。バイクそのもののインプレや体験談は山ほどあるし所有したこともないので、バイク同人らしく時代背景について書く。
当時はバイクが下火になった分が、パソコンと携帯電話の急激な普及に回った。世紀末のこの時期、PCはウインドウズ98から「Me」を経てXPへの過渡期。本体も後に炎上するSONYのVAIOがヒットし各社それに続いた。
携帯電話は折りたたみガラケーが本体格安(0円とか)でポケベルに取って代わり、それに初期の「PHS」が絡んだ。本体格安と通話料金と「パケ」容量が携帯機種間で激しい競争になっていた。「PHS」は通話が切れまくって早々に落ちぶれた。まだメールよりも通話の需要がそれなりにあった。
ただ通話料やインターネットの通信費が時間制でしかも高額。使い過ぎて自己破産する奴もいたほどだから、まだ「ひきこもり」や「ニート」が繁殖するほどではなかったと思う。主に電話回線だったインターネットの通信容量が今に比べて極端に小さく、第一パソコンの「仮想メモリー」自体が何百メガで、かなり低画質でも僅かな動画再生ですぐに「フリーズ」を起こしてしまう。オンラインゲームのような双方向はまだ考えられない。
初期のガラケーは固定電話を屋外に持ち出したような感覚で、ガラケーで連絡し合って仲間を集め、カラオケに行ったりゲーセンに行ったりその後ファミレスでダべったりがほぼ毎晩。ガラケーはあくまで「電話」。だから自室に居て誰かと交信できるような情報量がなく「直接会って」会話するのが基本。クズニートが匿名で書き込みができる通信環境はまだない。友達を作るにもカノジョを作るのも、まず「外出」する必要があった。
因みにプレステ2は1999年からで、初代プレステとセガサターンが家庭用ゲーム機の主力。スーファミもソフトが充実して根強く、ゲーセンは治安の悪い社交場。ファミレスもゲーセンもまだ灰皿が常設で喫煙自由の無法地帯。ゲーセンは今のようにキレイな場所ではなく不良の溜り場だった。
90年代後半は特に女子のファッションがマブしく、普通の子まで「ヘソ出し」や「厚底」の今でいう「Y2Kファッション」で決めて来る。年甲斐もなくルーズソックスの子もいた。その起源はマネする女子が「アムラー」と呼ばれた安室奈美恵や浜崎あゆみ等々。シンガーは単なるアイドルではなく女子の「ファッション・リーダー」で「ギャル・ファッション」を扱う女性ファッション誌が売れまくる。それがストリートで「パラパラ」を踊る。そんなトレンドを当時付き合っていたカノジョから吹き込まれた。
そう、アーチストの人気が男女とも最高潮。まだMP3なんかなかったからCDとMD。レンタルして編集したりもする。カラオケで歌うためにGLAYを覚えたりして。因みに私のカラオケ十八番は他にイエモンとラルク(笑)。
だからCDやMDプレーヤーとスピーカーをむりやりバイクに取り付けるヤツもいる。配線は意外と簡単。ビグスクはプレーヤーを積み込むスペースや防水性に余裕があったから、オーディオを搭載したビグスクが大音量で「Dragon Ash」とか流して走り回るようになったのもこの時期。ウデや肩からタトゥーを入れたヤンキーなんか、普通の暴走族よりヤバく見えた。

私は使わなかったが「チェキ」が出たのもこの時期。カラオケルームや旅先で皆やたらと集合やツーショットの写真を撮った。ただ「チェキ」も「写ルンです」も紙焼きだったので、デジタルに保存するにはスキャナーが必要で私は真っ先に購入。まだ解像度は低かったが時間を掛けて読み込んだ。だからこの頃は華やかな世相だったわりはに記録が残っていない。
そんな世紀末のトレンドが今の(少数派のはずの)Z世代に人気があるというのだから、頷ける気もするし、時代が一回りしてしまったということか。

スカイウェイブが出た1998年頃は、私は仕事が多忙でほとんどバイクに乗れなかったが、独身寮住まいのおかげで毎晩同僚や後輩等と遊び回っていた。この時期の私の素行の悪さが後に「排気量マウントおじさん」達からヒガまれる要因となる。バイクそのもののインプレや体験談は山ほどあるし所有したこともないので、バイク同人らしく時代背景について書く。
当時はバイクが下火になった分が、パソコンと携帯電話の急激な普及に回った。世紀末のこの時期、PCはウインドウズ98から「Me」を経てXPへの過渡期。本体も後に炎上するSONYのVAIOがヒットし各社それに続いた。
携帯電話は折りたたみガラケーが本体格安(0円とか)でポケベルに取って代わり、それに初期の「PHS」が絡んだ。本体格安と通話料金と「パケ」容量が携帯機種間で激しい競争になっていた。「PHS」は通話が切れまくって早々に落ちぶれた。まだメールよりも通話の需要がそれなりにあった。
ただ通話料やインターネットの通信費が時間制でしかも高額。使い過ぎて自己破産する奴もいたほどだから、まだ「ひきこもり」や「ニート」が繁殖するほどではなかったと思う。主に電話回線だったインターネットの通信容量が今に比べて極端に小さく、第一パソコンの「仮想メモリー」自体が何百メガで、かなり低画質でも僅かな動画再生ですぐに「フリーズ」を起こしてしまう。オンラインゲームのような双方向はまだ考えられない。
初期のガラケーは固定電話を屋外に持ち出したような感覚で、ガラケーで連絡し合って仲間を集め、カラオケに行ったりゲーセンに行ったりその後ファミレスでダべったりがほぼ毎晩。ガラケーはあくまで「電話」。だから自室に居て誰かと交信できるような情報量がなく「直接会って」会話するのが基本。クズニートが匿名で書き込みができる通信環境はまだない。友達を作るにもカノジョを作るのも、まず「外出」する必要があった。
因みにプレステ2は1999年からで、初代プレステとセガサターンが家庭用ゲーム機の主力。スーファミもソフトが充実して根強く、ゲーセンは治安の悪い社交場。ファミレスもゲーセンもまだ灰皿が常設で喫煙自由の無法地帯。ゲーセンは今のようにキレイな場所ではなく不良の溜り場だった。
90年代後半は特に女子のファッションがマブしく、普通の子まで「ヘソ出し」や「厚底」の今でいう「Y2Kファッション」で決めて来る。年甲斐もなくルーズソックスの子もいた。その起源はマネする女子が「アムラー」と呼ばれた安室奈美恵や浜崎あゆみ等々。シンガーは単なるアイドルではなく女子の「ファッション・リーダー」で「ギャル・ファッション」を扱う女性ファッション誌が売れまくる。それがストリートで「パラパラ」を踊る。そんなトレンドを当時付き合っていたカノジョから吹き込まれた。
そう、アーチストの人気が男女とも最高潮。まだMP3なんかなかったからCDとMD。レンタルして編集したりもする。カラオケで歌うためにGLAYを覚えたりして。因みに私のカラオケ十八番は他にイエモンとラルク(笑)。
だからCDやMDプレーヤーとスピーカーをむりやりバイクに取り付けるヤツもいる。配線は意外と簡単。ビグスクはプレーヤーを積み込むスペースや防水性に余裕があったから、オーディオを搭載したビグスクが大音量で「Dragon Ash」とか流して走り回るようになったのもこの時期。ウデや肩からタトゥーを入れたヤンキーなんか、普通の暴走族よりヤバく見えた。

私は使わなかったが「チェキ」が出たのもこの時期。カラオケルームや旅先で皆やたらと集合やツーショットの写真を撮った。ただ「チェキ」も「写ルンです」も紙焼きだったので、デジタルに保存するにはスキャナーが必要で私は真っ先に購入。まだ解像度は低かったが時間を掛けて読み込んだ。だからこの頃は華やかな世相だったわりはに記録が残っていない。
そんな世紀末のトレンドが今の(少数派のはずの)Z世代に人気があるというのだから、頷ける気もするし、時代が一回りしてしまったということか。
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実写映画は見に行くポイントによって評価が変わるが、特殊効果が当たり前になった現在では少々の特撮を売りモノにしても、原作や製作が陳腐に見えてしまう時もある。実際に映画館まで観に行ったかどうかもわからない輩が、アクセス数稼ぎのために過剰な酷評を書き込む炎上屋も多い。

往年の戦争映画を大道具(戦車)に期待して見に行った者としては、大道具の出来栄えだけで充分納得できた。特撮技術も然ることながら、やはり「実物大」とかアナウンスされるメイン大道具には心躍るものがあった。それがCGに取って代わられると視聴者の目も他に移って評価が厳しくなる。映画というのは宣伝が徹底しているので前評判が立ち易い。それによって期待度が変わってくるのは制作側からすれば苦々しい現実かもしれない。ただ「マッドマックス」のように露骨に作って歴史的コスパを記録した作品もあって、それが駆け出しのクリエイターの目標にもなっている。

NM4-01というバイクは仮面ライダーも乗った。仮面ライダードライブはNSXのほうが有名だったがバイクもちゃんと乗るという贅沢な設定(警察官)。仮面ライダーのバイクはほぼ最新型が宛がわれるため年式も同じということになる。NM4はスタイルに偏ったハリボテ感が拭えない。カワサキH2のように超性能エンジンにこの形があったらヒットしたかもしれない。

往年の戦争映画を大道具(戦車)に期待して見に行った者としては、大道具の出来栄えだけで充分納得できた。特撮技術も然ることながら、やはり「実物大」とかアナウンスされるメイン大道具には心躍るものがあった。それがCGに取って代わられると視聴者の目も他に移って評価が厳しくなる。映画というのは宣伝が徹底しているので前評判が立ち易い。それによって期待度が変わってくるのは制作側からすれば苦々しい現実かもしれない。ただ「マッドマックス」のように露骨に作って歴史的コスパを記録した作品もあって、それが駆け出しのクリエイターの目標にもなっている。

NM4-01というバイクは仮面ライダーも乗った。仮面ライダードライブはNSXのほうが有名だったがバイクもちゃんと乗るという贅沢な設定(警察官)。仮面ライダーのバイクはほぼ最新型が宛がわれるため年式も同じということになる。NM4はスタイルに偏ったハリボテ感が拭えない。カワサキH2のように超性能エンジンにこの形があったらヒットしたかもしれない。