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富士山に登ったのことは静岡県側の五合目と山梨県側の新五合目を合わせても2~3回しかない。しかも自分では行く気がなく必ず誰かに誘われて行っていた。だから誘ってくれた友人には良い機会をくれて感謝している。

この時の自分のクルマはジムニーだったが登り坂よりもつづら折りの山道に軽自動車は以外と相性が良く、楽しく行って帰ってこれた。イギリス国籍の彼女が“Just like flying ! ”と言ったのが映画タイタニックの女優ケイト・ウィンスレットの台詞とカブって妙に印象的だった。 イギリスは高い山がないそうだ。その他はこの時あまり寝てなくてよく覚えてない(笑)。

この時の自分のクルマはジムニーだったが登り坂よりもつづら折りの山道に軽自動車は以外と相性が良く、楽しく行って帰ってこれた。イギリス国籍の彼女が“Just like flying ! ”と言ったのが映画タイタニックの女優ケイト・ウィンスレットの台詞とカブって妙に印象的だった。 イギリスは高い山がないそうだ。その他はこの時あまり寝てなくてよく覚えてない(笑)。
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冬コミの時期だが今年はサークル主様が自分ジャンルで参加ということで一般入場の予定。こちらもテンション上げるためにローカルネタを少々。
ラリージャパンが盛り上がった直後だが平成初めのバブル絶頂期は国内ラリーの認可が下りずラリーレイドといえば海外のモータースポーツ。中でもパリダカールラリーの人気は凄まじくテレビで毎日ダイジェスト特番が放送されるほど。企業スポンサーのローカルチームの参戦も多数あった。

静岡の地元企業がスポンサーだったが成績が振るわなかったためか写真が残っていない。当時の静岡トヨタがメインになってパリダカに参戦したランドクルーザー80系。プレートに1991年とあるから日本はバブル絶頂期の平成三年。写真はもちろん私自身が撮ったもの。場所はパリ市内のスタート地点だと思う。仕事は当時トレンディードラマのおかげで流行ったホテルマン。その会社の旅行事業部がツアーを仕切ってくれたおかげで年末年始の繁忙期に常務の口利きもあって休みを取って渡航。生涯で数少ない海外旅行も経験した。トヨタの正規ディーラーといえどしょせんはプライベーター。車両はサスが少し上げてあるようだが、内装を外してロールバーを噛ませエンジンなどはノーマルなのが当時の定石。スキルやノウハウよりも「いきおい」が優先した時代。結果がどうあろうがヤッた者勝ち。
ラリージャパンが盛り上がった直後だが平成初めのバブル絶頂期は国内ラリーの認可が下りずラリーレイドといえば海外のモータースポーツ。中でもパリダカールラリーの人気は凄まじくテレビで毎日ダイジェスト特番が放送されるほど。企業スポンサーのローカルチームの参戦も多数あった。

静岡の地元企業がスポンサーだったが成績が振るわなかったためか写真が残っていない。当時の静岡トヨタがメインになってパリダカに参戦したランドクルーザー80系。プレートに1991年とあるから日本はバブル絶頂期の平成三年。写真はもちろん私自身が撮ったもの。場所はパリ市内のスタート地点だと思う。仕事は当時トレンディードラマのおかげで流行ったホテルマン。その会社の旅行事業部がツアーを仕切ってくれたおかげで年末年始の繁忙期に常務の口利きもあって休みを取って渡航。生涯で数少ない海外旅行も経験した。トヨタの正規ディーラーといえどしょせんはプライベーター。車両はサスが少し上げてあるようだが、内装を外してロールバーを噛ませエンジンなどはノーマルなのが当時の定石。スキルやノウハウよりも「いきおい」が優先した時代。結果がどうあろうがヤッた者勝ち。
テーマ:WRC 世界ラリー選手権 - ジャンル:車・バイク
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場所は国道158号線沿い。光線の関係から午前中だと思う。若い頃は夏になると夜通し走って昼飯を取って夕方から夜に帰宅する弾丸ツーリングを何度もやっていた。これなら実質一日で、例えば日本海まで往復して帰って来れる。若い頃だからできたことで歳を取ってから始めても遅過ぎる。

FX400Rは減速比が低いため以外と燃費が悪く18㎞/ℓほどしか走らない。スプロケをGPZ400R用に交換してからは20㎞/ℓを超えるようになった。
静岡から松本まで約200㎞(グーグルマップで180㎞)。出発前には必ず満タンにするが松本か少し前辺りで一度給油したい。90年代にスキー等のブームがあって深夜営業のガソリンスタンドが増えた時期があったが深夜早朝に開いているガススタが見当たらない時はいったん中央道に乗って給油した。ちなみにスキーに行く時は塩尻峠の手前の岡谷か諏訪で給油した。

絵葉書やカレンダーによくある河童橋からの景色。グーグルレンズの検索で写真から場所が特定できるかもしれない。松本から国道158号を梓川沿いに上って新島々駅を離れるとセンターラインがない緩い登り坂。上高地に右折する県道24号との分岐から先は飛騨に向って急なつづら折れの道になる。上高地はマイカー規制があって冬季は閉鎖。新島々駅から先はバスを使うことになる。それならJR中央本線から松本電鉄上高地線で行くのも楽しそう。年々浅くなる大正池が埋まってしまう前に一度行ってみたい。

昔のホームページの表紙に使って高評価を戴いた写真。セピア色なのはエフェクトやフィルターではなく賞味期限の迫った特売のフィルムを使ったから(笑)。大正池の遊歩道だが朝方で霧が掛かっていた。それが古いフィルムと偶然重なってこんな写真になったと思う。写真というのも場数だ。

FX400Rは減速比が低いため以外と燃費が悪く18㎞/ℓほどしか走らない。スプロケをGPZ400R用に交換してからは20㎞/ℓを超えるようになった。
静岡から松本まで約200㎞(グーグルマップで180㎞)。出発前には必ず満タンにするが松本か少し前辺りで一度給油したい。90年代にスキー等のブームがあって深夜営業のガソリンスタンドが増えた時期があったが深夜早朝に開いているガススタが見当たらない時はいったん中央道に乗って給油した。ちなみにスキーに行く時は塩尻峠の手前の岡谷か諏訪で給油した。

絵葉書やカレンダーによくある河童橋からの景色。グーグルレンズの検索で写真から場所が特定できるかもしれない。松本から国道158号を梓川沿いに上って新島々駅を離れるとセンターラインがない緩い登り坂。上高地に右折する県道24号との分岐から先は飛騨に向って急なつづら折れの道になる。上高地はマイカー規制があって冬季は閉鎖。新島々駅から先はバスを使うことになる。それならJR中央本線から松本電鉄上高地線で行くのも楽しそう。年々浅くなる大正池が埋まってしまう前に一度行ってみたい。

昔のホームページの表紙に使って高評価を戴いた写真。セピア色なのはエフェクトやフィルターではなく賞味期限の迫った特売のフィルムを使ったから(笑)。大正池の遊歩道だが朝方で霧が掛かっていた。それが古いフィルムと偶然重なってこんな写真になったと思う。写真というのも場数だ。
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記憶に新しい台風15号通過後の静岡市清水区の大規模断水に際し陸自の災害派遣の様子が写真展示されていた。静岡県や市の初動対応の遅れや行政の体制不備が露呈するのを他所に、陸自は淡々と任務を果たしてくれた。

板妻駐屯地の第34普通科連隊といえば災害派遣のエキスパート。一説によれば気象地象の災害が起こった時や予測される時、災害派遣の部隊は準備を整え待機状態に入るそうだ。後は県知事等の要請を待つわけだが、その要請を出す知事や市長等の情報伝達が…という話は反省材料にならずウヤムヤなのが地元の定石。蒸し返すワケではないが、こうした事案に再発防止を練らないから同じ間違いを繰り返す。次の世代のためにも失敗に学び教訓をシッカリ刻み付けるべきだ。水族館なんか作ってる場合じゃない。

興津川の承元寺取水口に土砂や倒木が詰まったのが断水の原因。陸自派遣までの3日間は民間業者が除去作業に当たったが増水の危険もあり難航。因みに民間は残土や汚泥を簡単に捨てられないが自衛隊はやはり早かった。

被災翌日から各地の上下水道局による給水支援が行われたが、病院や介護施設など規模の大きい支援は消防と自衛隊が担当。浜松基地の文字が見える。水道局と並行して海上保安庁の巡視艇からも給水支援が行われた。

災害廃棄物の集積場所も指定が遅れ被災地には水没した家具や家電が野積みにされた。浸水した自家用事業用車の移動や代車、また仮設住居も遅れ二ヶ月を過ぎた今も不便な生活を強いられている被災世帯はまだ多い。

永年「防災先進県」と云い災害対策に大枚を投じてきた静岡だが、この水害で組織の体制や練度の漸弱が噴き出してしまった。故人においてはスマホやSNSをいくら欲張ってみてもしょせん使うのは人間。逆に膨大な情報を取捨選択して実行に移すのも人間。特に有事には「初動」こそ重要だ。

板妻駐屯地の第34普通科連隊といえば災害派遣のエキスパート。一説によれば気象地象の災害が起こった時や予測される時、災害派遣の部隊は準備を整え待機状態に入るそうだ。後は県知事等の要請を待つわけだが、その要請を出す知事や市長等の情報伝達が…という話は反省材料にならずウヤムヤなのが地元の定石。蒸し返すワケではないが、こうした事案に再発防止を練らないから同じ間違いを繰り返す。次の世代のためにも失敗に学び教訓をシッカリ刻み付けるべきだ。水族館なんか作ってる場合じゃない。

興津川の承元寺取水口に土砂や倒木が詰まったのが断水の原因。陸自派遣までの3日間は民間業者が除去作業に当たったが増水の危険もあり難航。因みに民間は残土や汚泥を簡単に捨てられないが自衛隊はやはり早かった。

被災翌日から各地の上下水道局による給水支援が行われたが、病院や介護施設など規模の大きい支援は消防と自衛隊が担当。浜松基地の文字が見える。水道局と並行して海上保安庁の巡視艇からも給水支援が行われた。

災害廃棄物の集積場所も指定が遅れ被災地には水没した家具や家電が野積みにされた。浸水した自家用事業用車の移動や代車、また仮設住居も遅れ二ヶ月を過ぎた今も不便な生活を強いられている被災世帯はまだ多い。

永年「防災先進県」と云い災害対策に大枚を投じてきた静岡だが、この水害で組織の体制や練度の漸弱が噴き出してしまった。故人においてはスマホやSNSをいくら欲張ってみてもしょせん使うのは人間。逆に膨大な情報を取捨選択して実行に移すのも人間。特に有事には「初動」こそ重要だ。
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タミヤフェアも3年ぶり開催。事前登録は必要だが返信されたメールを受付で提示するだけのシンプルなもの。ここ数年の間は新製品はウェブ発表だけだったがやはり現物をこの目で見たい。これは地元静岡県民の特権だ。

新型フェアレディZ。こういう貴重品をシッカリ展示できるのがタミヤのイベント。Zは代々初期型オマージュであまりカッコイイと思わなかったが隣りにいた若者は「これ、カッコイくね?」とか言ってたから若者目線では好意的に映っているようだ。クルマやプラモは若い世代のためのものだ。

空自でも配備が始まっている最新鋭ステルス戦闘機F-35ライトニング IIは基本的に胴体内ウェポンベイに兵装を収納する。またベイドアを開いてもレーダー反射や赤外線が最小限になる設計。キットは翼下に爆装したフル装備状態を再現。軍事機密の塊のウェポンベイ内まで驚愕のディテール。

1/35MMシリーズはイギリス陸軍コメット巡航戦車。WW2中は巡航戦車と歩兵戦車の二足運用だったイギリス軍はここに至ってようやく両車を統合。更に念願の17ポンド砲を装備。しかし時既に遅く実戦参加はなかったが戦後世界各国に採用された傑作センチュリオンの礎になった隠れ名車。

イギリス軍巡航戦車といえば特徴的な懸架装置を再現するため下部側面も分割成型。この箱状の組み立てがピッタリ合ってしまうのがタミヤ。また鋳造や溶接の他ボルトやリベット構造など質感の違いの再現も見事。それでいて他社よりかなり部品点数が抑えられ組み立てが簡単なのもタミヤ。

タミヤといえばプラモデルの他にも塗料や筆、作業台や拡大鏡まで模型製作に必要なものは全てこの一社ブランドで揃ってしまう。他にもタミヤTシャツといえば有名人まで愛用するスタンダード。その他ミニ四駆やラジコン、プラモの制作ガイドやステッカーまで何でも揃うブランドショップ。

恒例の自衛隊車両展示は96式装輪装甲車と軽装甲機動車。96式は陸自の主力兵員輸送車で災害派遣やイベントでも出番が多く私もたいへん好きな車輛。配備開始から20年以上経過しているが後継車両の開発が難航し当面現役のはず。1/35のプラモはモノクロームというメーカーのみで少々高価でしかも手に入りにくい。ここは老舗タミヤに決定版をリクエストしたい。

お土産などというモノは、自分で食べる物でなければ味よりも「ウケ」狙いのほうがイイ。あとは旅先がわかれば宣伝効果があったことになる。保守的な職人のタミヤだが地元企業には寛大で数少ないコラボ商品が「安倍川もち」。饅頭なら焼き印だが奇抜なパッケージだけで充分ウケる(笑)。

新型フェアレディZ。こういう貴重品をシッカリ展示できるのがタミヤのイベント。Zは代々初期型オマージュであまりカッコイイと思わなかったが隣りにいた若者は「これ、カッコイくね?」とか言ってたから若者目線では好意的に映っているようだ。クルマやプラモは若い世代のためのものだ。

空自でも配備が始まっている最新鋭ステルス戦闘機F-35ライトニング IIは基本的に胴体内ウェポンベイに兵装を収納する。またベイドアを開いてもレーダー反射や赤外線が最小限になる設計。キットは翼下に爆装したフル装備状態を再現。軍事機密の塊のウェポンベイ内まで驚愕のディテール。

1/35MMシリーズはイギリス陸軍コメット巡航戦車。WW2中は巡航戦車と歩兵戦車の二足運用だったイギリス軍はここに至ってようやく両車を統合。更に念願の17ポンド砲を装備。しかし時既に遅く実戦参加はなかったが戦後世界各国に採用された傑作センチュリオンの礎になった隠れ名車。

イギリス軍巡航戦車といえば特徴的な懸架装置を再現するため下部側面も分割成型。この箱状の組み立てがピッタリ合ってしまうのがタミヤ。また鋳造や溶接の他ボルトやリベット構造など質感の違いの再現も見事。それでいて他社よりかなり部品点数が抑えられ組み立てが簡単なのもタミヤ。

タミヤといえばプラモデルの他にも塗料や筆、作業台や拡大鏡まで模型製作に必要なものは全てこの一社ブランドで揃ってしまう。他にもタミヤTシャツといえば有名人まで愛用するスタンダード。その他ミニ四駆やラジコン、プラモの制作ガイドやステッカーまで何でも揃うブランドショップ。

恒例の自衛隊車両展示は96式装輪装甲車と軽装甲機動車。96式は陸自の主力兵員輸送車で災害派遣やイベントでも出番が多く私もたいへん好きな車輛。配備開始から20年以上経過しているが後継車両の開発が難航し当面現役のはず。1/35のプラモはモノクロームというメーカーのみで少々高価でしかも手に入りにくい。ここは老舗タミヤに決定版をリクエストしたい。

お土産などというモノは、自分で食べる物でなければ味よりも「ウケ」狙いのほうがイイ。あとは旅先がわかれば宣伝効果があったことになる。保守的な職人のタミヤだが地元企業には寛大で数少ないコラボ商品が「安倍川もち」。饅頭なら焼き印だが奇抜なパッケージだけで充分ウケる(笑)。
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4WDというジャンルのクルマが若者に異常に流行った時代があった。大ヒットした原田知世の映画「私をスキーに連れてって」(1987年)はカローラⅡやセリカGT-FOURだったので直接の関係はなさそう。ただ中央道や国道20号を深夜もハイラックス・サーフやテラノが走り回っていたのは事実。

会社の後輩君のクロカンはビッグホーンのロングボディ。いすゞは既に乗用をやめてしまったが、この他にもピックアップのロデオやミューというデートカーが大流行り。ビッグホーンは昔は当り前のディーゼルターボで乗り心地も良い高級4WD。こうした車に男女大勢乗せて運転は男が交代。基本的に仕事が終わった後、夜立ちで車中で寝ながら途中で食事や温泉等。朝から夕方までスキーを楽しんで深夜帰宅。翌日は普通に仕事(笑)。

原色系のハデなウェアがスキーウエア。やや地味な色使いのジャンパー風なのがスノボウェア。この時は初心者ばかり集まって先ずはゲレンデ体験に行ったのだと思う。スノボウェアの女子はスキーに合わせてくれたのだろう。ウェアは自前でその時々で用品をレンタルのパターンも多かった。

場所はサンアルピナ鹿島槍(白馬バレー鹿島槍スキー場)だと思う。当時スキーやスノボがやたらとブームでスキー場も多数あった。私等の中ではなるべく奥(遠く)のゲレンデに行くのが自慢で白樺湖(車山やブランシュ高山)では近過ぎて当然混雑する。八方では難易度が高く、巷で流行りの栂池ではやや遠くて疲れてしまう。その中間くらいにある鹿島槍は初級も中級も楽しめる広さがあり温泉など施設も充実して仲間内でも人気があった。

初心者っぽい滑りの彼女だが私のウデも同じくらい。このコ、ウェアは地味だがルックスも性格も良く仕事もできてしかも巨○。一緒に遊びに行ってとても楽しかった。因みに社内でも上級者には上級者のグループがあって女子がいるとかいないとかには目もくれず難易度の高いスキー場で一日中滑りまくったらしい。私は食事とか楽しみたい派なので初心者でイイ。

スキーもあちこち行ったので最初どこのゲレンデか忘れていたが特定できたのがこの写真。左側に見える湖が青木湖。その上に見えるのがヤナバスキー場だろうか。ヤナバは既に廃業したが当時は初心者から上級向けまでそこらじゅうにスキー場があってドコもカシコも平日でも若者で大混雑。それもカップルか女子が居ないとダサいというのが当時のトレンド(笑)。

職業柄日帰りが基本だが女子も文句も言わず皆元気。冬の長野は曇り空や吹雪の時もあったが雪が少ないよりマシ。この時期ナンパ目的で栂池あたりに行くスキーヤーがいると聞いたがスキー場にそうした棲み分けがあった。ゲレンデには広瀬香美やglobeの流行りの楽曲がガンガン流れている。

このクルマの持ち主は強者でオートマのインテグラにスタッドレスタイヤだけでドコまでも行ってしまう。基本的にオトコが交代で運転。ガス代や高速代は全員で均等にワリカン。スキー場は食事もリフト券も安くなかったが遊び事はブームの時がいちばん楽しい。行っておいてヨカッタ(笑)。

会社の後輩君のクロカンはビッグホーンのロングボディ。いすゞは既に乗用をやめてしまったが、この他にもピックアップのロデオやミューというデートカーが大流行り。ビッグホーンは昔は当り前のディーゼルターボで乗り心地も良い高級4WD。こうした車に男女大勢乗せて運転は男が交代。基本的に仕事が終わった後、夜立ちで車中で寝ながら途中で食事や温泉等。朝から夕方までスキーを楽しんで深夜帰宅。翌日は普通に仕事(笑)。

原色系のハデなウェアがスキーウエア。やや地味な色使いのジャンパー風なのがスノボウェア。この時は初心者ばかり集まって先ずはゲレンデ体験に行ったのだと思う。スノボウェアの女子はスキーに合わせてくれたのだろう。ウェアは自前でその時々で用品をレンタルのパターンも多かった。

場所はサンアルピナ鹿島槍(白馬バレー鹿島槍スキー場)だと思う。当時スキーやスノボがやたらとブームでスキー場も多数あった。私等の中ではなるべく奥(遠く)のゲレンデに行くのが自慢で白樺湖(車山やブランシュ高山)では近過ぎて当然混雑する。八方では難易度が高く、巷で流行りの栂池ではやや遠くて疲れてしまう。その中間くらいにある鹿島槍は初級も中級も楽しめる広さがあり温泉など施設も充実して仲間内でも人気があった。

初心者っぽい滑りの彼女だが私のウデも同じくらい。このコ、ウェアは地味だがルックスも性格も良く仕事もできてしかも巨○。一緒に遊びに行ってとても楽しかった。因みに社内でも上級者には上級者のグループがあって女子がいるとかいないとかには目もくれず難易度の高いスキー場で一日中滑りまくったらしい。私は食事とか楽しみたい派なので初心者でイイ。

スキーもあちこち行ったので最初どこのゲレンデか忘れていたが特定できたのがこの写真。左側に見える湖が青木湖。その上に見えるのがヤナバスキー場だろうか。ヤナバは既に廃業したが当時は初心者から上級向けまでそこらじゅうにスキー場があってドコもカシコも平日でも若者で大混雑。それもカップルか女子が居ないとダサいというのが当時のトレンド(笑)。

職業柄日帰りが基本だが女子も文句も言わず皆元気。冬の長野は曇り空や吹雪の時もあったが雪が少ないよりマシ。この時期ナンパ目的で栂池あたりに行くスキーヤーがいると聞いたがスキー場にそうした棲み分けがあった。ゲレンデには広瀬香美やglobeの流行りの楽曲がガンガン流れている。

このクルマの持ち主は強者でオートマのインテグラにスタッドレスタイヤだけでドコまでも行ってしまう。基本的にオトコが交代で運転。ガス代や高速代は全員で均等にワリカン。スキー場は食事もリフト券も安くなかったが遊び事はブームの時がいちばん楽しい。行っておいてヨカッタ(笑)。
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会社の上司がオススメの ライダーズカフェが家山にあるというので行ってみたいのだがここ数年川根はご無沙汰。昔は友人が寸又峡で働いていたりで一人でバイクで行くこともよくあった。ただなぜかバイクで一人で行くと必ず道に迷って夜遅くなったこともあった。だから川根はやや鬼門だ。

道に迷ったおかげでいろいろと予定外のモノも見物できた。当時は列車もダムも興味がなく何か変な電車があるから写真を撮ったのだが、今見てもココがドコなのかわからない。アプト線の駅のようだが乗務員を含め人が全く見当たらなかった。紅葉の時期に観光客がいないのもおかしい。既に廃止された駅もあるので案外レアなのかもしれない。それにしてもずいぶん奥まで行ってしまったようだが今となっては場所を特定する術もない。

愛車のカワサキFX400Rは直四400㏄が異常な高値になった今でもそこそこ安いからこれから乗る人にはオススメ。まだマフラーもノーマルなので東京勤務から戻って間もない頃。ハンドルだけ当時流行ったオービックのバーハンキットで少し上げてある。上野コーリンで買ったタンクバックやリーバイスやコンバースなど典型的な平成初期ファッションで決まり(笑)。

アプト線の付近まで行ったということは寸又峡を過ぎて接阻峡あたりではないかと思う。大井川の上流は皆こんな渓谷で長島ダムのダム湖の接阻湖の辺りか。たぶんこの時は道に迷って畑薙ダムとか赤石小屋まで見てきたと思う。その少し上流は今問題のリニアの工事現場がある所。さすがにそこまで行くと何もないので川勝の銅像を建てて観光地にしたらイイ(笑)。

道に迷ったおかげでいろいろと予定外のモノも見物できた。当時は列車もダムも興味がなく何か変な電車があるから写真を撮ったのだが、今見てもココがドコなのかわからない。アプト線の駅のようだが乗務員を含め人が全く見当たらなかった。紅葉の時期に観光客がいないのもおかしい。既に廃止された駅もあるので案外レアなのかもしれない。それにしてもずいぶん奥まで行ってしまったようだが今となっては場所を特定する術もない。

愛車のカワサキFX400Rは直四400㏄が異常な高値になった今でもそこそこ安いからこれから乗る人にはオススメ。まだマフラーもノーマルなので東京勤務から戻って間もない頃。ハンドルだけ当時流行ったオービックのバーハンキットで少し上げてある。上野コーリンで買ったタンクバックやリーバイスやコンバースなど典型的な平成初期ファッションで決まり(笑)。

アプト線の付近まで行ったということは寸又峡を過ぎて接阻峡あたりではないかと思う。大井川の上流は皆こんな渓谷で長島ダムのダム湖の接阻湖の辺りか。たぶんこの時は道に迷って畑薙ダムとか赤石小屋まで見てきたと思う。その少し上流は今問題のリニアの工事現場がある所。さすがにそこまで行くと何もないので川勝の銅像を建てて観光地にしたらイイ(笑)。
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これも年度不明。以前ヤフーのホームページに載せていた画像だが無料枠が終了して消されてしまったもの。たしかヤフーBBのモデムが配られた頃、当時のバイト先の専門学校生に頼んで作ってもらった。紙焼きの写真を低い解像度のスキャナーで取り込むなどかなり面倒な作業をしていた。

KROGの東海集会としては2回目か3回目くらい。輸出業者で雇われていた頃によく遊びに来てくれた若者を招待して集まってもらったりしたものだからガラの悪そうなのがやたらと大勢いる(笑)。我々KROGや当時のチームという括りはだいたいそんなところから派生しているから違和感はない。

ただまあこういうノリが苦手な人もいる。どっかのバイク屋の常連オヤジがKROG会長に興味があったらしく「ヒマだったら行ってやるよ」とか言ってくれたので「来てもイイけど、旧道(日本平)のNo,1とNo,2に相手をさせますよ」って(笑)答えてやったらマジでビビッて来なかった。実はホントにNo,1とNo,2が来てたから我ながら当時の交友関係はスゴかった(笑)。

バイクを直しているのが私の後輩(これを見てたら連絡しろ)で日本平旧道最速の男。それを後ろで見守るのがKROGの面々。別の写真の金髪ロン毛でトレーナーの少年がそのNo,2のN君でこの日はカノジョ同伴で四輪で来てくれた。一見ガラが悪そうだが走り屋は勤勉なヤツが多く私は付き合いやすいと思っている。いわゆるバイクオジサン系のほうが私は相性が悪い。

で…お約束の「走行会」。後半は白黒セダンも来た。通報されてる(笑)。こういう撮影は、高速で奥から手前に移動する被写体のため難しい。マニュアルならピントをコーナーの一点に合わせて走って来たところを狙うのだが昔のポケカメは深度が緩慢で流れてしまった。デジカメなら遠近感がなくなるので逆に写りやすいかもしれない…などと回想していた(爆)。

KROGの東海集会としては2回目か3回目くらい。輸出業者で雇われていた頃によく遊びに来てくれた若者を招待して集まってもらったりしたものだからガラの悪そうなのがやたらと大勢いる(笑)。我々KROGや当時のチームという括りはだいたいそんなところから派生しているから違和感はない。

ただまあこういうノリが苦手な人もいる。どっかのバイク屋の常連オヤジがKROG会長に興味があったらしく「ヒマだったら行ってやるよ」とか言ってくれたので「来てもイイけど、旧道(日本平)のNo,1とNo,2に相手をさせますよ」って(笑)答えてやったらマジでビビッて来なかった。実はホントにNo,1とNo,2が来てたから我ながら当時の交友関係はスゴかった(笑)。

バイクを直しているのが私の後輩(これを見てたら連絡しろ)で日本平旧道最速の男。それを後ろで見守るのがKROGの面々。別の写真の金髪ロン毛でトレーナーの少年がそのNo,2のN君でこの日はカノジョ同伴で四輪で来てくれた。一見ガラが悪そうだが走り屋は勤勉なヤツが多く私は付き合いやすいと思っている。いわゆるバイクオジサン系のほうが私は相性が悪い。

で…お約束の「走行会」。後半は白黒セダンも来た。通報されてる(笑)。こういう撮影は、高速で奥から手前に移動する被写体のため難しい。マニュアルならピントをコーナーの一点に合わせて走って来たところを狙うのだが昔のポケカメは深度が緩慢で流れてしまった。デジカメなら遠近感がなくなるので逆に写りやすいかもしれない…などと回想していた(爆)。
テーマ:バイクツーリングスポット - ジャンル:車・バイク
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車山を選んだのは運転が往復とも私一人だったからだと思う。白樺湖方面なら当時住んでいた焼津から片道180㎞。鹿島槍よりも50㎞以上近い。ただしクルマはジムニー。所詮は軽自動車。それに3人乗ってスキーに行くなんて友人から爆笑されるほど無謀なことだった。普通に行ったけど(笑)。

他のクルマを見てわかる通り白樺湖周辺なら4DWでなくてもFFにチェーンていどでも行けた。国道はほぼ除雪されているが油断はできない。ついでに車山高原は茅野や蓼科からかなり急勾配で、パワーが足りない上に3名乗車でかなりキツかった。パートタイム四駆は4DWにすると更にパワーを食われる。だが同乗者を不安にさせるわけにはいかない。極力平静を装って時に睡魔に耐えながら何とか走った。むしろ下りのほうがヤバかった。

白樺湖周辺は高原になるため道中の坂が少々キツいがスキー場は全般に傾斜が緩やかでゲレンデが広いファミリー向けだったと思う。また当時はまだスノーボードの滑走が禁止で安全で滑りやすかった。また別の機会に行ったブランシュたかやまは林間コースも楽しかった。メジャーだった白樺2in1はとうとう行けなかったが似たようなレイアウトだったそうだ。少し脚を伸ばして小海に行ったこともあったが私はあまり好みではなかった。

私が運転手で女子2人というのは抜け駆けしたワケではなく他の友人等と日が合わなかったのだと思う。いくら若くてもムリはしたくない。分担してラクなほうが良い。因みに女子2名は二人ともオートマ限定で運転を頼めない(よくある話)。だが助手席の彼女が積極的で食事場所なども注文してくる。後席の女子はロマンチストで旅行を堪能している。おかげで往復運転ながら帰路も眠くならず退屈せずあっという間の弾丸ツアーだった(笑)。

他のクルマを見てわかる通り白樺湖周辺なら4DWでなくてもFFにチェーンていどでも行けた。国道はほぼ除雪されているが油断はできない。ついでに車山高原は茅野や蓼科からかなり急勾配で、パワーが足りない上に3名乗車でかなりキツかった。パートタイム四駆は4DWにすると更にパワーを食われる。だが同乗者を不安にさせるわけにはいかない。極力平静を装って時に睡魔に耐えながら何とか走った。むしろ下りのほうがヤバかった。

白樺湖周辺は高原になるため道中の坂が少々キツいがスキー場は全般に傾斜が緩やかでゲレンデが広いファミリー向けだったと思う。また当時はまだスノーボードの滑走が禁止で安全で滑りやすかった。また別の機会に行ったブランシュたかやまは林間コースも楽しかった。メジャーだった白樺2in1はとうとう行けなかったが似たようなレイアウトだったそうだ。少し脚を伸ばして小海に行ったこともあったが私はあまり好みではなかった。

私が運転手で女子2人というのは抜け駆けしたワケではなく他の友人等と日が合わなかったのだと思う。いくら若くてもムリはしたくない。分担してラクなほうが良い。因みに女子2名は二人ともオートマ限定で運転を頼めない(よくある話)。だが助手席の彼女が積極的で食事場所なども注文してくる。後席の女子はロマンチストで旅行を堪能している。おかげで往復運転ながら帰路も眠くならず退屈せずあっという間の弾丸ツアーだった(笑)。
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日本平山頂ももうだいぶ行ったことがない。夢テラスとか日本平ホテルのリニューアルとかずいぶんキレイになったみたいだが、幸いこの川崎屋は残っているらしい。私的にはヘンにハイテクな建築物より少し古めな懐かしい観光地がマイブーム。昭和風情の佇まいは魂を落ち着かせてくれる。

私的に二ケツはしない主義だったのだが、この時はたぶん車が手配できなかったと思う。住所的にパークウェイから登って清水側に降りてファミレスに入った流れだった。昔はパークウェイに二か所も料金所があってしかも夜中でも係員が常駐していた。走り屋も暴走族も料金さえ払えば通してしまったのだからオメデタイじだいだった。因みにパークの入口に当たる動物園の手前にある某レストランはいちおうまだ営業しているらしい。

カノジョの頭の後ろにかろうじて富士山が見える。名勝というわりには眺望があまり利かなかったのが昔の日本平。だから景色や夜景が見たい奴等はパークウェイの路肩に車を停めたりした。道路脇に農道等の空き地も多かったから。今は展望台等も整備され観光資源を活かした場所に生まれ変わった。でも川崎屋とそのメニューが昔のままなのが私的には喜ばしい。

私的に二ケツはしない主義だったのだが、この時はたぶん車が手配できなかったと思う。住所的にパークウェイから登って清水側に降りてファミレスに入った流れだった。昔はパークウェイに二か所も料金所があってしかも夜中でも係員が常駐していた。走り屋も暴走族も料金さえ払えば通してしまったのだからオメデタイじだいだった。因みにパークの入口に当たる動物園の手前にある某レストランはいちおうまだ営業しているらしい。

カノジョの頭の後ろにかろうじて富士山が見える。名勝というわりには眺望があまり利かなかったのが昔の日本平。だから景色や夜景が見たい奴等はパークウェイの路肩に車を停めたりした。道路脇に農道等の空き地も多かったから。今は展望台等も整備され観光資源を活かした場所に生まれ変わった。でも川崎屋とそのメニューが昔のままなのが私的には喜ばしい。