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2018年「清水みなと祭り」に海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」臨場!国道150号線の港湾道路から艦橋が見えた艦は初めて。今まで清水港に来航した護衛艦の中で最大。前夜こっそり見に行って警備に追い払われる。

ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「いずも」は、これまで海上自衛隊で最大だった「ましゅう」型補給艦を凌ぐ全長248m、排水量19500トンは、戦時中の空母「飛竜」とほぼ同じ大きさがある。近づくと軍艦マーチ(軍艦行進曲)の歌詞「黒鉄の浮かべる城」の意味が解かる。巨大な建物のように見える金属の構造物が海に浮かんでいる姿は不思議という他ない。

「いずも」の前級になる「ひゅうが」型(ヘリ搭載)護衛艦から艦名に旧国名が復活した。航空戦艦と仇名された旧「伊勢」「日向」の名をそれぞれ同型艦に引き継ぐ護衛艦「ひゅうが」「いせ」は、同様のヘリ発着甲板を持つ輸送艦「おおすみ」型とは運用がやや異なることを意味した。
艦名の「いずも」は日露戦争当時の装甲巡洋艦「出雲」に次ぐ二隻目。装巡「出雲」は日本海海戦時、東郷艦隊第二艦隊の旗艦としてバルチック艦隊を会敵。敵前大回頭(トーゴーターン)直後の斉射で陣形が崩壊し、先頭で迷走する三番艦「ボロジノ」を東郷の第一艦隊が追う最中、第二艦隊旗艦「いずも」の上村彦之丞提督は独断で第二艦隊を回頭。残存のバルチック艦隊主力を追尾し大打撃を与え、日本海海戦の趨勢を決定付けた。

船乗りはこうした艦名の由来にまで縁起を担ぐという。装甲巡洋艦「出雲」は 我が国の行方を左右する決戦場に常に居合わせ、 退役後も海防艦や練習艦として従軍。太平洋戦争末期の昭和20年7月24日 呉軍港空襲で至近弾を受け転覆着底。同日は豊後水道上空の空戦で343空の鴛淵孝大尉や武藤金義飛曹ら紫電改6機が未帰還だった同じ地域での戦闘。初代「出雲」は、明治の黎明期から昭和20年の終戦まで常に我が国と共にあった。

旧海軍軍艦よりやや明るいグレーの船体中央にある大型ハッチからいよいよ乗り込む。二代目「いずも」初陣は2016年の熊本地震。震災4日後の19日に小樽港に入港。北部方面隊の兵員160名と車両40両を満載し 日本海を21ktで巡航。九州の被災地へ急行した。中国海軍の空母「遼寧」の最大船速は20kt以下だ。

甲板は3階建てビルより高く船体横(船側)から乗り込む。水密のための厚いシールやタラップを引き上げるシリンダーのメカ感が宇宙戦艦ヤマト。タラップは見た目より急で足場も悪い。高齢者や車椅子の方は自衛官殿が総出で補助し乗船する。

艦内は 体育館のようなカーゴスペース。奥のローターを畳んだSH-60Jの大きさから10機以上入りそうな広さ。ムダ知識の塊りの私には主翼をたたんだF-35JBが見える。空母「いぶき」は F-35JBを15機搭載するが 「いずも」もたぶん可能。

格納庫の船主側には遊園地のアトラクションのような行列。その先は天井が抜けている。格納庫から上部甲板にヘリコプター等を揚げ降ろしする航空機用エレベーターだ。

ヘタな遊園地アトラクション顔負けの航空機用エレベーターで上甲板に向う。古来、我が国では コレを大迫(おおぜり)と言い 千両役者の登場に使われる舞台装置。SFのような機械音は全く聞こえない。

気分はTOPGUN !。アタマの中で ”TOPGUN ANTHEM”のBGMが響く。エレベーターが音もなく動き出すとお客さんが「わぁー」とどよめく。これも超高層ELV顔負けの最新技術の粋。メーカーはやはり三菱。

このパースは初代マクロスOP。艦橋の形状もSDF-1に似ている。近年の艦艇はステルス性を考慮してやや傾斜した外板の中に全て収めた突起のない平面な外観がトレンド。見学は格納庫と甲板のみだが居住区画が気になって仕方がない。

200m以上もある全通甲板にアイランド(艦橋)がそびえる。武装は近SAMとファランクスのみで管制と気象レーダーくらいのシンプルな概観。今のところ「いずも」はマスコミが騒ぐような空母ではなく 高度な医療設備や400人以上の一般人が宿泊可能な救護母艦とするのが相応しい。コレなら大枚払ってでも一泊してみたい。

「彼等は来た!」 プロパガンダ・カンパニー静岡地方連絡本部「しずぽん」広報官や私の爺様も所属していた静岡歩兵第34連隊の軽装甲機動戦士イタヅマンも臨場。空自浜松基地の高射教導隊のPAC-3も睨みを利かせ正に清水港は超最強!

ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「いずも」は、これまで海上自衛隊で最大だった「ましゅう」型補給艦を凌ぐ全長248m、排水量19500トンは、戦時中の空母「飛竜」とほぼ同じ大きさがある。近づくと軍艦マーチ(軍艦行進曲)の歌詞「黒鉄の浮かべる城」の意味が解かる。巨大な建物のように見える金属の構造物が海に浮かんでいる姿は不思議という他ない。

「いずも」の前級になる「ひゅうが」型(ヘリ搭載)護衛艦から艦名に旧国名が復活した。航空戦艦と仇名された旧「伊勢」「日向」の名をそれぞれ同型艦に引き継ぐ護衛艦「ひゅうが」「いせ」は、同様のヘリ発着甲板を持つ輸送艦「おおすみ」型とは運用がやや異なることを意味した。
艦名の「いずも」は日露戦争当時の装甲巡洋艦「出雲」に次ぐ二隻目。装巡「出雲」は日本海海戦時、東郷艦隊第二艦隊の旗艦としてバルチック艦隊を会敵。敵前大回頭(トーゴーターン)直後の斉射で陣形が崩壊し、先頭で迷走する三番艦「ボロジノ」を東郷の第一艦隊が追う最中、第二艦隊旗艦「いずも」の上村彦之丞提督は独断で第二艦隊を回頭。残存のバルチック艦隊主力を追尾し大打撃を与え、日本海海戦の趨勢を決定付けた。

船乗りはこうした艦名の由来にまで縁起を担ぐという。装甲巡洋艦「出雲」は 我が国の行方を左右する決戦場に常に居合わせ、 退役後も海防艦や練習艦として従軍。太平洋戦争末期の昭和20年7月24日 呉軍港空襲で至近弾を受け転覆着底。同日は豊後水道上空の空戦で343空の鴛淵孝大尉や武藤金義飛曹ら紫電改6機が未帰還だった同じ地域での戦闘。初代「出雲」は、明治の黎明期から昭和20年の終戦まで常に我が国と共にあった。

旧海軍軍艦よりやや明るいグレーの船体中央にある大型ハッチからいよいよ乗り込む。二代目「いずも」初陣は2016年の熊本地震。震災4日後の19日に小樽港に入港。北部方面隊の兵員160名と車両40両を満載し 日本海を21ktで巡航。九州の被災地へ急行した。中国海軍の空母「遼寧」の最大船速は20kt以下だ。

甲板は3階建てビルより高く船体横(船側)から乗り込む。水密のための厚いシールやタラップを引き上げるシリンダーのメカ感が宇宙戦艦ヤマト。タラップは見た目より急で足場も悪い。高齢者や車椅子の方は自衛官殿が総出で補助し乗船する。

艦内は 体育館のようなカーゴスペース。奥のローターを畳んだSH-60Jの大きさから10機以上入りそうな広さ。ムダ知識の塊りの私には主翼をたたんだF-35JBが見える。空母「いぶき」は F-35JBを15機搭載するが 「いずも」もたぶん可能。

格納庫の船主側には遊園地のアトラクションのような行列。その先は天井が抜けている。格納庫から上部甲板にヘリコプター等を揚げ降ろしする航空機用エレベーターだ。

ヘタな遊園地アトラクション顔負けの航空機用エレベーターで上甲板に向う。古来、我が国では コレを大迫(おおぜり)と言い 千両役者の登場に使われる舞台装置。SFのような機械音は全く聞こえない。

気分はTOPGUN !。アタマの中で ”TOPGUN ANTHEM”のBGMが響く。エレベーターが音もなく動き出すとお客さんが「わぁー」とどよめく。これも超高層ELV顔負けの最新技術の粋。メーカーはやはり三菱。

このパースは初代マクロスOP。艦橋の形状もSDF-1に似ている。近年の艦艇はステルス性を考慮してやや傾斜した外板の中に全て収めた突起のない平面な外観がトレンド。見学は格納庫と甲板のみだが居住区画が気になって仕方がない。

200m以上もある全通甲板にアイランド(艦橋)がそびえる。武装は近SAMとファランクスのみで管制と気象レーダーくらいのシンプルな概観。今のところ「いずも」はマスコミが騒ぐような空母ではなく 高度な医療設備や400人以上の一般人が宿泊可能な救護母艦とするのが相応しい。コレなら大枚払ってでも一泊してみたい。

「彼等は来た!」 プロパガンダ・カンパニー静岡地方連絡本部「しずぽん」広報官や私の爺様も所属していた静岡歩兵第34連隊の軽装甲機動戦士イタヅマンも臨場。空自浜松基地の高射教導隊のPAC-3も睨みを利かせ正に清水港は超最強!