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イベント
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例年この時期は台風が心配になる。今年も台風15号(今も千葉県が大停電に見舞われる)が僅差で逸れて超好天の残暑。新東名から三遠南進道(無料)経由の道中は死ぬほど暑いことを除けば順調で午前10時過ぎくらいに鳳来峡に到着。

チーム参加だが会場入口で各メーカー車種ごとにブースを宛てられカワサキ勢と分かれ私はヤマハの片隅に停車。KROG会長のKRR150は去年の焼き付きトラブルから奇跡の復活を果たし会場ほぼ中央に。詳細はSNSで伺ってはいたが国内では部品が手に入らず意地と執念の召還。これで本一冊書ける。軽量な車体に2サイクル150ccの海外仕様の走りは侮れない。だがイベント終了後に東京方面に戻るKROG会長と私は見事に台風15号に向って突撃敢行するハメになった。

会場内で特攻兵器「伏龍」演習中のような方が主催GK71Bクラブ代表のHIRO氏。ロットの先に付けたカメラを手元のスマホで操作し擬似ドローン空撮を試みる。この映像はHIRO氏のブログで公開されているが上空から見る会場は圧巻。木陰でへばった我々KROGの面々が 無人機に攻撃されるテロ組織のように写っていた。

会場内で唯一となったタンデムKR250のKANERU-S氏。会場まではトランポ輸送のKROG代々のKRが合体してできた赤白KRは絶好調。KANERU-S氏がトランポ(スバル・サンバー)で持参したキャンプ用品や多数の飲料で我々は命拾いした。

FX400Rに乗っていた私はコレが出た時しまった!と思ったZX-4。外装の劣化もなく現役当時のコンディションを維持し続ける。たいへんよくできたマシンでコレといった欠陥もなかったが新車ラッシュの中でZXRに移行。当時のレーサーレプリカはツナギで乗らないと「ダサい」と言われたのでツアラー風のZX-4が好きだった。

カワサキはクラス最軽量マシンを送り出す一方で伝統の大柄なツアラーにも力を入れた。GPZ400R通称:400ニンジャはとにかくよく売れた。ただ一時的に流行った前後16インチはタイヤが選べず足回り改の一大ブームになる。集合管はツキギとビートが定番。私もずいぶん金を掛けたが カスタムが本当に楽しい時期だった。

カスタムブームの功罪で今はドノーマルの個体を探すのも難しい。カネを掛けずに形にしようとしたらカスタムになってしまった私のFZR。とりあえず走れることを優先。カスタムベースや部品取りを買い集め不良債権化した未完成車は数多い。

レーサーレプリカの先駆はスズキのGSX-RやΓとヤマハのTZRやFZだったがホンダはすぐに猛追し追い越す。ミニバイクレースを席捲したNSR50をヤマハTZMが対抗する頃にはブームも終焉。その絶頂期の95NSRにオキカラーツナギで決めた90年台走り屋スタイルの吾人。実際に速いこんな走り屋が峠に大勢いた。

台風の心配もありイベントは繰り上げられ少し早めに終了。いつものように夕食に向う。ただ周辺にファミレスがなく新城市街まで移動。ここからのほうが東名インターに近く都合も良い。愛知県内はほぼ晴れていたが浜松を過ぎたあたりから雨脚が強くなる。私は午後22時くらいに帰宅するが直後に会長から電話。都内のJRが早々運休が決まったため御殿場辺りで休憩するという。今回もネタの多い旅。

チーム参加だが会場入口で各メーカー車種ごとにブースを宛てられカワサキ勢と分かれ私はヤマハの片隅に停車。KROG会長のKRR150は去年の焼き付きトラブルから奇跡の復活を果たし会場ほぼ中央に。詳細はSNSで伺ってはいたが国内では部品が手に入らず意地と執念の召還。これで本一冊書ける。軽量な車体に2サイクル150ccの海外仕様の走りは侮れない。だがイベント終了後に東京方面に戻るKROG会長と私は見事に台風15号に向って突撃敢行するハメになった。

会場内で特攻兵器「伏龍」演習中のような方が主催GK71Bクラブ代表のHIRO氏。ロットの先に付けたカメラを手元のスマホで操作し擬似ドローン空撮を試みる。この映像はHIRO氏のブログで公開されているが上空から見る会場は圧巻。木陰でへばった我々KROGの面々が 無人機に攻撃されるテロ組織のように写っていた。

会場内で唯一となったタンデムKR250のKANERU-S氏。会場まではトランポ輸送のKROG代々のKRが合体してできた赤白KRは絶好調。KANERU-S氏がトランポ(スバル・サンバー)で持参したキャンプ用品や多数の飲料で我々は命拾いした。

FX400Rに乗っていた私はコレが出た時しまった!と思ったZX-4。外装の劣化もなく現役当時のコンディションを維持し続ける。たいへんよくできたマシンでコレといった欠陥もなかったが新車ラッシュの中でZXRに移行。当時のレーサーレプリカはツナギで乗らないと「ダサい」と言われたのでツアラー風のZX-4が好きだった。

カワサキはクラス最軽量マシンを送り出す一方で伝統の大柄なツアラーにも力を入れた。GPZ400R通称:400ニンジャはとにかくよく売れた。ただ一時的に流行った前後16インチはタイヤが選べず足回り改の一大ブームになる。集合管はツキギとビートが定番。私もずいぶん金を掛けたが カスタムが本当に楽しい時期だった。

カスタムブームの功罪で今はドノーマルの個体を探すのも難しい。カネを掛けずに形にしようとしたらカスタムになってしまった私のFZR。とりあえず走れることを優先。カスタムベースや部品取りを買い集め不良債権化した未完成車は数多い。

レーサーレプリカの先駆はスズキのGSX-RやΓとヤマハのTZRやFZだったがホンダはすぐに猛追し追い越す。ミニバイクレースを席捲したNSR50をヤマハTZMが対抗する頃にはブームも終焉。その絶頂期の95NSRにオキカラーツナギで決めた90年台走り屋スタイルの吾人。実際に速いこんな走り屋が峠に大勢いた。

台風の心配もありイベントは繰り上げられ少し早めに終了。いつものように夕食に向う。ただ周辺にファミレスがなく新城市街まで移動。ここからのほうが東名インターに近く都合も良い。愛知県内はほぼ晴れていたが浜松を過ぎたあたりから雨脚が強くなる。私は午後22時くらいに帰宅するが直後に会長から電話。都内のJRが早々運休が決まったため御殿場辺りで休憩するという。今回もネタの多い旅。