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4月2日夕方、退院しました。元い、訂正。エスケープです、脱獄です。救急搬送されて一か月弱、転院後十日。リハビリも順調で機能改善も良好でした。病院サンも良くしてくれたと思います。入院時、感覚さえ無かった左半身も、自力で歩行でき、左手でモノが握れるまでに改善しました。

ただ急患で症状が脳出血なので担当医は脳神経内科(いちおうアタマは生きてます)。入院したのもそういう方々の病棟…なんかもうアマデウスを思い出しましたね。アマデウスのライバル・サリエリが精神病院にブチ込まれるラストシーン。夜中に寄声を発してベッドごと運び出される爺はいるわ、眠剤のせいで大声で延々寝言を言うオヤジはいるわで眠れたもんじゃない。食欲も失せて一週間で7キロ、通算で10キロ以上の減量。おかげで低血圧に近いくらい血圧が下がる。
病状は改善し、リハビリも順調で入院直後は感覚すら無かった左半身が、リハビリ担当も喜んでくれるほど回復。ところが外出や面会が厳しく規制される。やっと外出が許可された頃には転院が決まった。急患で入院して以来、着替えを取りに行く間ももらえないまま直接転院。
転院先はリハビリ専門の療養施設のはずが、やはりなかなか外出や面会の許可が出ない。狭い四人部屋は外も見えない薄暗いカーテンの中。精神異常者はいないはずだが、病室内でわざわざ携帯を掛け始める常識知らずのバカオヤジに、テレビを見て拍手をして歓声を上げたり急に鼻歌を歌い出す超ノータリンオヤジ。隣の男は後一か月で入院期間の制限が来るが家族と連絡が付かず転院先も決まらないらしい。ここの連中、エラそうなことは言っているが、友人知人はおろか家族にも見放されているらしい。常連ぶって看護師をからかっても軽くあしらわれるだけ。彼らにしてみれば仕事。看護師もこんな患者達を見下している。
たしかにリハビリは一生懸命教えてくれた。看護師も真面目に相手をしてくれる。だが淀んだ室内に閉じ込められた風の吹かない日常は、インドアが苦手な私にはムリ。入院直後から限界を超えていた。
転院先で退院の相談をした時、家族の意向を聞かれたことがあった。普通に説明すると、なぜか私が「ウソを吐いた」と女の看護師が喚きだした。患者を弱者として見下した態度。ウソを吐いているのは、この女の看護師だった。「退院は許可できません!」と酷い形相で叫んでいたが、この時は外泊が許されたので、荒立てず引き下がることにした。

病院関係者が何やら引き留めをしているように感じる。もうこの病院は信用できない。脱獄のオプションを検討し始めた。
脱獄当日の午前中、コロナの影響で向こう二週間の外出や面会が禁止になった。仕方ないことだと思った。だがこの時、私の中で何かが切れた。
夕食がベッド脇に置かれると看護師がいなくなるのを待って夕食を半分捨て、荷物をまとめ始める。貴重品や必需品の最低限を荷造りして、着替えや新聞はベッドの上に散らかす妙な演出をした。部屋から携帯で、午後7時に玄関横の駐車場に迎えを頼んだ。約一時間後だ。
午後6時半、車椅子に荷物を載せ搬入用エレベーターから一階へ降り、防犯カメラの位置をチェックしながら死角に隠れて通用口の出入りを伺う。退社する看護師の後に付いて通用口を出て建物の裏に隠れた。緊張と寒さで肩や腰が痛んだ。約30分はずいぶん長く感じたが、迎えの車に乗る急に疲れが出て、シートを倒して天井を見ていた。敷地を出ても安心した気がしない。これからが前途多難。不安はまだまだ大きかった。
病院さんには感謝しているし、すまないことをしたと思っている。

ただ急患で症状が脳出血なので担当医は脳神経内科(いちおうアタマは生きてます)。入院したのもそういう方々の病棟…なんかもうアマデウスを思い出しましたね。アマデウスのライバル・サリエリが精神病院にブチ込まれるラストシーン。夜中に寄声を発してベッドごと運び出される爺はいるわ、眠剤のせいで大声で延々寝言を言うオヤジはいるわで眠れたもんじゃない。食欲も失せて一週間で7キロ、通算で10キロ以上の減量。おかげで低血圧に近いくらい血圧が下がる。
病状は改善し、リハビリも順調で入院直後は感覚すら無かった左半身が、リハビリ担当も喜んでくれるほど回復。ところが外出や面会が厳しく規制される。やっと外出が許可された頃には転院が決まった。急患で入院して以来、着替えを取りに行く間ももらえないまま直接転院。
転院先はリハビリ専門の療養施設のはずが、やはりなかなか外出や面会の許可が出ない。狭い四人部屋は外も見えない薄暗いカーテンの中。精神異常者はいないはずだが、病室内でわざわざ携帯を掛け始める常識知らずのバカオヤジに、テレビを見て拍手をして歓声を上げたり急に鼻歌を歌い出す超ノータリンオヤジ。隣の男は後一か月で入院期間の制限が来るが家族と連絡が付かず転院先も決まらないらしい。ここの連中、エラそうなことは言っているが、友人知人はおろか家族にも見放されているらしい。常連ぶって看護師をからかっても軽くあしらわれるだけ。彼らにしてみれば仕事。看護師もこんな患者達を見下している。
たしかにリハビリは一生懸命教えてくれた。看護師も真面目に相手をしてくれる。だが淀んだ室内に閉じ込められた風の吹かない日常は、インドアが苦手な私にはムリ。入院直後から限界を超えていた。
転院先で退院の相談をした時、家族の意向を聞かれたことがあった。普通に説明すると、なぜか私が「ウソを吐いた」と女の看護師が喚きだした。患者を弱者として見下した態度。ウソを吐いているのは、この女の看護師だった。「退院は許可できません!」と酷い形相で叫んでいたが、この時は外泊が許されたので、荒立てず引き下がることにした。

病院関係者が何やら引き留めをしているように感じる。もうこの病院は信用できない。脱獄のオプションを検討し始めた。
脱獄当日の午前中、コロナの影響で向こう二週間の外出や面会が禁止になった。仕方ないことだと思った。だがこの時、私の中で何かが切れた。
夕食がベッド脇に置かれると看護師がいなくなるのを待って夕食を半分捨て、荷物をまとめ始める。貴重品や必需品の最低限を荷造りして、着替えや新聞はベッドの上に散らかす妙な演出をした。部屋から携帯で、午後7時に玄関横の駐車場に迎えを頼んだ。約一時間後だ。
午後6時半、車椅子に荷物を載せ搬入用エレベーターから一階へ降り、防犯カメラの位置をチェックしながら死角に隠れて通用口の出入りを伺う。退社する看護師の後に付いて通用口を出て建物の裏に隠れた。緊張と寒さで肩や腰が痛んだ。約30分はずいぶん長く感じたが、迎えの車に乗る急に疲れが出て、シートを倒して天井を見ていた。敷地を出ても安心した気がしない。これからが前途多難。不安はまだまだ大きかった。
病院さんには感謝しているし、すまないことをしたと思っている。