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旅行・ツーリング
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何年ぶりかで草薙駅で下車して駅舎が新しくなっているのに気が付いた。当然バス停も変わっていてわからない。駅員に尋ねると常葉大学方面には北口からという。私が大学の頃はなかった北口は最近できたらしい。草薙とは古事記や日本書紀にも登場する日本で最も古く由緒ある地名。

常葉大学が国一沿いに移転したのに伴いペデストリアンデッキ等と共に駅前も整備された。確かに電車が着く度に学生がぞろぞろ降りてくる。女子が多いが教員養成系だからあまりケバいのはいない。男子も地味。私がいた頃とほとんど変わらないローセンス。いかにも大学生らしい。だが我々が学生の頃より遥かに勤勉そうに見える。本校がこちらに移ってしまったから瀬名校の生徒は減ってバスの便数も減った。大学は既に過疎対策にはならない。生徒が大学を選ぶようになって中途半端な学校は定員割れを起こして更にレベルが下がる。おまけに学歴などほとんど役に立たない。私もずいぶん苦労して卒業したが今は学生全体がたいへんな時代。

むろん我々の時代にも苦労はあった。一言でいうなら“受験戦争”、“校内暴力”の時代。初期の金八先生みたいな日常がほんとうにあった!と言っても今では信じられないだろう。校内暴力は中学から酷くなり高校進学時に一度篩いに掛けられる。高校からは大学受験が厳しくなりノイローゼになる奴もいた。ある意味で厳しい生存競争だったが、悪党にも人情家が多くいて立場の弱い者にもフォローがあった。ケンカの強い奴ほど「弱い者イジメ」や卑怯なマネを嫌う。だからネットで匿名で悪口を書くような奴は、たいがいその頃からドロップアウトしていた奴等。昔はニートは生きることも許されなかった。“働かざるもの食うべからず”が徹底されていた。
今は社会の要求レベルが高く、そのため専門性が求められる。あまり小競合いしているヒマもないし、歳を取ってもスキルアップや修練がいるようになった。また情報伝達や記録媒体が爆発的に発展したので、ウソを吐く者や無責任なヤツは生きられなくなったということだろう。

妙な郷愁に駆られているのは久しぶりにバスや電車に乗ったからだろうか。こんな私でも大学在学中はずいぶん勉強したしPCはなかったからレポートなどもたくさん書いた。徹夜も度々。若い頃は遊んでいたから懐かしいのではない。いつもハングリーだったが充実していた思いが懐かしい。

常葉大学が国一沿いに移転したのに伴いペデストリアンデッキ等と共に駅前も整備された。確かに電車が着く度に学生がぞろぞろ降りてくる。女子が多いが教員養成系だからあまりケバいのはいない。男子も地味。私がいた頃とほとんど変わらないローセンス。いかにも大学生らしい。だが我々が学生の頃より遥かに勤勉そうに見える。本校がこちらに移ってしまったから瀬名校の生徒は減ってバスの便数も減った。大学は既に過疎対策にはならない。生徒が大学を選ぶようになって中途半端な学校は定員割れを起こして更にレベルが下がる。おまけに学歴などほとんど役に立たない。私もずいぶん苦労して卒業したが今は学生全体がたいへんな時代。

むろん我々の時代にも苦労はあった。一言でいうなら“受験戦争”、“校内暴力”の時代。初期の金八先生みたいな日常がほんとうにあった!と言っても今では信じられないだろう。校内暴力は中学から酷くなり高校進学時に一度篩いに掛けられる。高校からは大学受験が厳しくなりノイローゼになる奴もいた。ある意味で厳しい生存競争だったが、悪党にも人情家が多くいて立場の弱い者にもフォローがあった。ケンカの強い奴ほど「弱い者イジメ」や卑怯なマネを嫌う。だからネットで匿名で悪口を書くような奴は、たいがいその頃からドロップアウトしていた奴等。昔はニートは生きることも許されなかった。“働かざるもの食うべからず”が徹底されていた。
今は社会の要求レベルが高く、そのため専門性が求められる。あまり小競合いしているヒマもないし、歳を取ってもスキルアップや修練がいるようになった。また情報伝達や記録媒体が爆発的に発展したので、ウソを吐く者や無責任なヤツは生きられなくなったということだろう。

妙な郷愁に駆られているのは久しぶりにバスや電車に乗ったからだろうか。こんな私でも大学在学中はずいぶん勉強したしPCはなかったからレポートなどもたくさん書いた。徹夜も度々。若い頃は遊んでいたから懐かしいのではない。いつもハングリーだったが充実していた思いが懐かしい。