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ミリタリー
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陸自(当時の防衛庁)は60式自走無反動砲を開発する以前に「試製56式105mm自走砲」というM24軽戦車の車台にM101 105mm榴弾砲を載せた自走砲を試作していた。米軍から供給されたM4やM24など主力戦車が一定数配備された中で、普通科の支援車両を欲していたのではないかと思う。

再軍備は冷戦下で米軍からの要望でもあったが、それ以上に兵器の国産化等による産業力の復興を考えていたように思う。警察予備隊の発足が1950年。防衛庁発足が1954年。朝鮮戦争(1950年)で使用された米軍車両の整備等で技術を蓄積しながら、ごく短時間にかつ確実に工業力を蓄えていったことがわかる。60式自走砲や装甲車を国産化する一方、欧州での冷戦激化で主力戦車の米軍からの供給目途が立たず、61式戦車を苦心して開発したのも、結果的に国産化や自主開発を後押しする役に立ったわけだ。

60式自走無反動砲は同じM40・106mm無反動砲を6門搭載した米軍のM50オントス自走砲を参考にしながらも我が国の国情に合わせた車両に仕上がっている。M50は補助的車両ながらベトナム戦争では榴散弾を用いた近接支援で威力を発揮。60式を対戦車自走砲と見ると射程や再装填など問題も多いが、普通科の火力支援兵器とするなら使い勝手の良い装備だったはずだ。対戦車用なら当時の仮想敵は、T-54やT-10重戦車になる。

武装の60式26口径106mm無反動砲はM40無反動砲をライセンス生産したもので、いわゆるバズーカ砲の延長にある。照準はスポッティングライフルの曳光弾で、本体の射程は700mあるがライフルの射程が100mのため有効射程はそれ以内に限られる。試作型には無反動砲4門を並べたものもあるため、射撃精度よりも弾量集中で制圧する想定だったと思われる。

106mm砲2門は砲架左側の砲手兼車長席と共に昇降し旋回も可能。その後方に装填手席があるが再装填が外に出て行う。高度な照準器や装填装置を持たない分、車体は小型で車高も低い(全高1.38m,重量8t)。終戦後の米軍管理下にあって、手に入る技術で手堅くまとめた独創的な設計が光る。

再軍備は冷戦下で米軍からの要望でもあったが、それ以上に兵器の国産化等による産業力の復興を考えていたように思う。警察予備隊の発足が1950年。防衛庁発足が1954年。朝鮮戦争(1950年)で使用された米軍車両の整備等で技術を蓄積しながら、ごく短時間にかつ確実に工業力を蓄えていったことがわかる。60式自走砲や装甲車を国産化する一方、欧州での冷戦激化で主力戦車の米軍からの供給目途が立たず、61式戦車を苦心して開発したのも、結果的に国産化や自主開発を後押しする役に立ったわけだ。

60式自走無反動砲は同じM40・106mm無反動砲を6門搭載した米軍のM50オントス自走砲を参考にしながらも我が国の国情に合わせた車両に仕上がっている。M50は補助的車両ながらベトナム戦争では榴散弾を用いた近接支援で威力を発揮。60式を対戦車自走砲と見ると射程や再装填など問題も多いが、普通科の火力支援兵器とするなら使い勝手の良い装備だったはずだ。対戦車用なら当時の仮想敵は、T-54やT-10重戦車になる。

武装の60式26口径106mm無反動砲はM40無反動砲をライセンス生産したもので、いわゆるバズーカ砲の延長にある。照準はスポッティングライフルの曳光弾で、本体の射程は700mあるがライフルの射程が100mのため有効射程はそれ以内に限られる。試作型には無反動砲4門を並べたものもあるため、射撃精度よりも弾量集中で制圧する想定だったと思われる。

106mm砲2門は砲架左側の砲手兼車長席と共に昇降し旋回も可能。その後方に装填手席があるが再装填が外に出て行う。高度な照準器や装填装置を持たない分、車体は小型で車高も低い(全高1.38m,重量8t)。終戦後の米軍管理下にあって、手に入る技術で手堅くまとめた独創的な設計が光る。