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GSX1300Rハヤブサの発売は1999年。当時全盛を誇ったビッグバイク、カワサキZZ-Rやホンダのブラックバードを追う形で登場。スズキはヨシムラと開発段階から組んで、2000年の鈴鹿8耐「Xフォーミュラ」クラスにも参戦。初代ハヤブサは8耐ベースマシンとして強力な潜在力を印象付けた。

それから20年も経つが、初代の意匠をよく踏襲したマイチェンのおかげで古さを感じさせないブランドイメージを確立した。カワサキZZ-Rは先発で人気もあったため、かえって方向性がぶれ、その打倒のために投入されたブラックバードは、途中からトレンドの環境性能に走ったため、実質一世代で終わってしまった。ハヤブサは良くも悪くもクセの強いデザインだったが、おかげでブレずに存在感を放ち続けた。特にこの紺色とシルバーはカモフラ風パターンは巨体をシックに落ち着かせる。またメインのブラウン系メタリックも他に見掛けない個性的な配色で異彩を放った。走る姿は、何かと比べて速いとか遅いかというよりも、質量感と迫力があった。

かつて300㎞/hまで刻まれたメーターはフルスケールと呼ばれ、実際に300㎞/hが出るかが大論争だった。ハヤブサはフルノーマルでもサーキットで300㎞/hを超えると絶賛された。オドが液晶で走行距離は不明だが、ホビースクエア開館時からあるこのスズキはおそらくデッドストック。

現行車とは対照的に、90年代はゼッケンを貼る大きめのテールカウルやカスタム風の小型テールランプが流行り。マフラーも現行は樹脂製の化粧板が付く機種が多いが、この当時は長めの円筒形サイレンサーが主流。タイヤサイズは190/50ZR17。極太扁平タイヤも当時のトレンド。

このハヤブサという車種を選択したのはさすがタミヤだ。シルエットといいカラーリングといい、スケールモデルになっても単体でも存在感がある。バイクや四輪はやはり最初期のイメージがいちばん強い。Ⅱ型以降がそれをうまく継承できるかは、時流もあって半ば運のようなもの。ところでタミヤもスズキもハヤブサも、立派な静岡の地元企業の地場産品だ。

それから20年も経つが、初代の意匠をよく踏襲したマイチェンのおかげで古さを感じさせないブランドイメージを確立した。カワサキZZ-Rは先発で人気もあったため、かえって方向性がぶれ、その打倒のために投入されたブラックバードは、途中からトレンドの環境性能に走ったため、実質一世代で終わってしまった。ハヤブサは良くも悪くもクセの強いデザインだったが、おかげでブレずに存在感を放ち続けた。特にこの紺色とシルバーはカモフラ風パターンは巨体をシックに落ち着かせる。またメインのブラウン系メタリックも他に見掛けない個性的な配色で異彩を放った。走る姿は、何かと比べて速いとか遅いかというよりも、質量感と迫力があった。

かつて300㎞/hまで刻まれたメーターはフルスケールと呼ばれ、実際に300㎞/hが出るかが大論争だった。ハヤブサはフルノーマルでもサーキットで300㎞/hを超えると絶賛された。オドが液晶で走行距離は不明だが、ホビースクエア開館時からあるこのスズキはおそらくデッドストック。

現行車とは対照的に、90年代はゼッケンを貼る大きめのテールカウルやカスタム風の小型テールランプが流行り。マフラーも現行は樹脂製の化粧板が付く機種が多いが、この当時は長めの円筒形サイレンサーが主流。タイヤサイズは190/50ZR17。極太扁平タイヤも当時のトレンド。

このハヤブサという車種を選択したのはさすがタミヤだ。シルエットといいカラーリングといい、スケールモデルになっても単体でも存在感がある。バイクや四輪はやはり最初期のイメージがいちばん強い。Ⅱ型以降がそれをうまく継承できるかは、時流もあって半ば運のようなもの。ところでタミヤもスズキもハヤブサも、立派な静岡の地元企業の地場産品だ。