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オートバイ
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ビッグスクーターの話を思い出したところで投下しておかなければならない。Y2K前後のこの熱狂的なブームもすっかり忘れ去られてしまった。
その時期は90年代後半の「Y2Kファッション」とちょうど重なる。私は新卒で入った会社を辞めてヤケになって、頭は金髪ブリーチ。バイクは転売兼ねたTW200。そこそこの退職金と失業保険もらってダラダラ暮らしてたら回収業者に雇われた。そこにあったマジェが印象的でよく覚えている。

そのマジェはマイナーチェンジ後の後期型で5連メーターが特徴。マジェは1995年登場。1999年10月、おそらくいちばん売れた5GM型にモデルチェンジ。Y2Kを跨いで2002年3月、5連メーター装備の5SJ型に進化した。
私が業者で働いたのは同じ2002年の9月から年末までだったので5連メーターのマジェは生産半年以内のほぼ新同車になる。前型(初期型)の4HC型を含めマジェスティやスカイウェイブなどビッグスクーターの人気は凄まじく、2005年には二輪AT限定免許が施行されたくらいだから免許制度まで変えてしまったことになる。その頃は「失われた10年」と呼ばれ景気も雇用も最悪だったが、ビグスクに乗りたくてにAT免許を取る若者も多かった。
免許を取ってバイクに乗りたい者がビグスクを選ぶばかりではない。むしろカスタムスクーターに乗るスタイルに憧れて免許を取るような若者も多かった。当然カスタムも大盛況。ほとんどは機能性のないビレットパーツや、後にロンスイやリジッドなど明らかに安全性を損なう部品まで、金属片のようなアフターパーツが高値で売れ、見るも無残なローダウンやカスタムが街に溢れた。速い遅いの問題ではない。彼等はビジュアル系だ。
ついにはメーカーまでもがそのトレンドに追従する、ユーザー側が主導するカスタムブームだったのが、ファッション・トレンドによく似ていた。
当時若かった私にはカノジョがいて、アムラーとか(Y2K)ファッション云々の話は独り言のように聞かされた。思うにTWからビグスクにムーブメントがスイッチしたのは「タンデムがしやすかった」からではないかと思う。

今ではヤフオクでメーター単体が100円単位の5連メーターも、当時はその有無で査定や相場が10万前後も変わった。単体価格が異常に安いのは在庫過多という意味で、それだけ多数走っていた。ビグスクのブームは90年代以来のTWなどストリートとかトラッカーと呼ばれたカスタムブームと混在し徐々に切り替わっていった。マジェⅢ型(4D9)が発売される2007年頃には沈静化に向い、旧型の値崩れも始まる。それでも冬場はダウンコートまで着て走るビッグスクーターブームは「表で遊ぶ」健康的な流行だった。
私の後輩にもマジェのオーナーが何人かいて、5GM型で北海道ツーリングに行く者や、AT免許と車両を合わせてローンを組んで4D9型を購入した者もいた。キーワードは「クール」。クドい奴や暑苦しいのは敬遠された。
彼等もぼちぼち四十路を過ぎたが、マジェを持ち続けている者もいれば処分してしまった者もいる。当時からヤマハは予見していたが「スクーターはステップアップしない」のが当たってしまったようだ。いわゆるMT車は原付から中型・大型と比較的順当に「乗り替え」が進むが、ビグスクはその範ではなかった。ハーレーに乗り替える動きもあったが、そもそもハーレー自体が日本の道路事情に合わず急激に下火になった。それでも中型スクーターは一定の需要がある。そのためか2004年グランド・マジェスティ5GV型は地味な外見となり、2007年から投入される4D9型と併売されるがブームは落ち着いてきていた。5GV型は2018年まで存続。その間、台湾製マジェスティ125(5CA)やシグナス系が原付二種クラスに独自のジャンルを確立する。現行制度下ではこの125㏄クラスがミニマム・ジャンル。
その時期は90年代後半の「Y2Kファッション」とちょうど重なる。私は新卒で入った会社を辞めてヤケになって、頭は金髪ブリーチ。バイクは転売兼ねたTW200。そこそこの退職金と失業保険もらってダラダラ暮らしてたら回収業者に雇われた。そこにあったマジェが印象的でよく覚えている。

そのマジェはマイナーチェンジ後の後期型で5連メーターが特徴。マジェは1995年登場。1999年10月、おそらくいちばん売れた5GM型にモデルチェンジ。Y2Kを跨いで2002年3月、5連メーター装備の5SJ型に進化した。
私が業者で働いたのは同じ2002年の9月から年末までだったので5連メーターのマジェは生産半年以内のほぼ新同車になる。前型(初期型)の4HC型を含めマジェスティやスカイウェイブなどビッグスクーターの人気は凄まじく、2005年には二輪AT限定免許が施行されたくらいだから免許制度まで変えてしまったことになる。その頃は「失われた10年」と呼ばれ景気も雇用も最悪だったが、ビグスクに乗りたくてにAT免許を取る若者も多かった。
免許を取ってバイクに乗りたい者がビグスクを選ぶばかりではない。むしろカスタムスクーターに乗るスタイルに憧れて免許を取るような若者も多かった。当然カスタムも大盛況。ほとんどは機能性のないビレットパーツや、後にロンスイやリジッドなど明らかに安全性を損なう部品まで、金属片のようなアフターパーツが高値で売れ、見るも無残なローダウンやカスタムが街に溢れた。速い遅いの問題ではない。彼等はビジュアル系だ。
ついにはメーカーまでもがそのトレンドに追従する、ユーザー側が主導するカスタムブームだったのが、ファッション・トレンドによく似ていた。
当時若かった私にはカノジョがいて、アムラーとか(Y2K)ファッション云々の話は独り言のように聞かされた。思うにTWからビグスクにムーブメントがスイッチしたのは「タンデムがしやすかった」からではないかと思う。

今ではヤフオクでメーター単体が100円単位の5連メーターも、当時はその有無で査定や相場が10万前後も変わった。単体価格が異常に安いのは在庫過多という意味で、それだけ多数走っていた。ビグスクのブームは90年代以来のTWなどストリートとかトラッカーと呼ばれたカスタムブームと混在し徐々に切り替わっていった。マジェⅢ型(4D9)が発売される2007年頃には沈静化に向い、旧型の値崩れも始まる。それでも冬場はダウンコートまで着て走るビッグスクーターブームは「表で遊ぶ」健康的な流行だった。
私の後輩にもマジェのオーナーが何人かいて、5GM型で北海道ツーリングに行く者や、AT免許と車両を合わせてローンを組んで4D9型を購入した者もいた。キーワードは「クール」。クドい奴や暑苦しいのは敬遠された。
彼等もぼちぼち四十路を過ぎたが、マジェを持ち続けている者もいれば処分してしまった者もいる。当時からヤマハは予見していたが「スクーターはステップアップしない」のが当たってしまったようだ。いわゆるMT車は原付から中型・大型と比較的順当に「乗り替え」が進むが、ビグスクはその範ではなかった。ハーレーに乗り替える動きもあったが、そもそもハーレー自体が日本の道路事情に合わず急激に下火になった。それでも中型スクーターは一定の需要がある。そのためか2004年グランド・マジェスティ5GV型は地味な外見となり、2007年から投入される4D9型と併売されるがブームは落ち着いてきていた。5GV型は2018年まで存続。その間、台湾製マジェスティ125(5CA)やシグナス系が原付二種クラスに独自のジャンルを確立する。現行制度下ではこの125㏄クラスがミニマム・ジャンル。