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ミリタリー
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浜松基地広報館(エアパーク)に永らく展示されていたが2021年の休館中のリニューアル後、忽然と姿を消してしまったバンパイアT55。気になっていたが、ホビーショーに模型サークルで参加された空自の方にお伺いしたところ「基地内に分解・保管」とのこと。F-4EJが入ったので仕方ない。

国内にはこの一機しかない貴重な機体。遠方の他の基地へ行ってしまうのが心配だったが一応浜松にあるらしい。こんな飛行機を見て喜ぶ奴も珍しかろうから再展示は不明。たしかに変わった形状だがジェットエンジン黎明期に各国が挙って採用した当時としては合理的な形ではある。ただし実用化に漕ぎ着け更に量産された例はバンパイアを除いてほとんどない。
奇怪な外形ながら運動性が良く堅牢で生産性も良好にまとめられた高い完成度は、欧米の航空機メーカーとしては新参ながら奇抜な名機を多数産み出したデ・ハビランド社の先進性と高い技術力の両立に寄る所が大きい。
バンパイアはさすがに有名とは言い難いが、デ・ハビランド社と同社の傑作機モスキートは映画の影響もあって有名だった時期があった。私も先に知ったのはモスキート。社名が同じなので同社の機体なのかとわかった。
デ・ハビランド社製造の機体はイニシャルの後に通し番号が付き、DH98がモスキート、DH100がバンパイアになる。間のDH99はバンパイアの全金属製バージョン。量産型バンパイアは機体の一部に木材が使われていた。

戦前、無名だった同社を一躍有名にしたのが「木造の脅威」と呼ばれた戦闘爆撃機DH.98モスキート。機体の大半が合板など「木」でできているため家具工場等で製造でき既存の設備や資源を圧迫せず大量生産できた。
また製造が容易で機体表面を平滑化できたため空気抵抗が減って速度性能が上がる。金属製に比べレーダーに探知されにくいステルス性もあった。
一部は極東にも送られたが、高温多湿の東南アジアでは木が腐ったり接着剤が劣化するトラブルが多発し活躍できず撤退。長大な航続力も有したこんな高性能機が日本軍や本土空襲に相見える事がなかったのは寧ろ幸い。
いわゆる「トンデモ兵器」の宝庫のイギリス軍にあって、新機軸を完全に掌中に収め実用化レベルに持っていけたのがデ・ハビランド社の実力だ。

バンパイアではデ・ハビランド社はジェットエンジンも自社製を搭載する。遠心式ターボジェットエンジンは当時としては信頼性があり量産機にも改良型が使われた。第一世代ジェット戦闘機で機体とエンジン双方を製造できたのはデ・ハビランド社だけ。開発力と生産力両方を持っていた。
バンパイアの実戦は戦後で、第一次印パ戦争にインド空軍から参戦。程なくパキスタン空軍に配備されたF86セイバーに完敗を帰すが、インド空軍が導入した超軽戦闘機ナットに仇を討たれる戦記が世界的に有名になった。

後年かなり誇張された武勇伝とする説もあったが、インド空軍がナットをライセンス生産した他、自国製の改良型アジートを開発したことを考えると実戦での高評価は疑う余地はない。或いは周辺国に大量に供給され文字通り救世主となったセイバーに対する優位性を誇示したのかもしれない。
セイバーは空自でも運用され、用途廃止となった機体が今も各地に現存。ナットはチャーリー・シーンの映画「ホットショットⅡ」で米海軍機として大活躍。両機とも米英空軍のアクロバットチームや、F86Fは空自の初代ブルーインパルスにも採用され、操縦性や運動性の高さは定評があった。
当のバンパイアは…なんと!日本のアニメにもすでに出演していた!…

AIKa ZEROは2009年のアニメ。今のアニメに比べたらチープな感じは否めないが、バンパイヤの離陸や操縦シーンのクオリティーは高い。離陸からハイレートクライムは空自の基地祭ではお馴染みだが、バンパイアのDHゴブリンIIターボジェットエンジンの推力(=1,410kg)ではたぶんムリ。

異様に詳細なコックピット内のディテールは、アニメ「SHIROBAKO」と同様に浜松基地エアパークでの実機取材の成せる技かと思う。浜松基地のバンパイアは練習機型でDH.115が形式名。T55は機体番号と云われる。

アニメ放送時には未装備だったF35に誘導されるアイカのバンパイア。戦後しばらくはアメリカよりイギリス側の航空機技術が優位にあり我が国はその双方から技術供与を受けていた。戦後初のジェット機T-1Aはナットと同じブリストル・シドレー オーフュース、同じく三菱F-1/T-2はロールスロイス・アドーアMk801を搭載。ライセンス生産によって技術力を蓄えた。
遡れば英国は「日英同盟」からの友好国であり将来も友好で在り続ける。

国内にはこの一機しかない貴重な機体。遠方の他の基地へ行ってしまうのが心配だったが一応浜松にあるらしい。こんな飛行機を見て喜ぶ奴も珍しかろうから再展示は不明。たしかに変わった形状だがジェットエンジン黎明期に各国が挙って採用した当時としては合理的な形ではある。ただし実用化に漕ぎ着け更に量産された例はバンパイアを除いてほとんどない。
奇怪な外形ながら運動性が良く堅牢で生産性も良好にまとめられた高い完成度は、欧米の航空機メーカーとしては新参ながら奇抜な名機を多数産み出したデ・ハビランド社の先進性と高い技術力の両立に寄る所が大きい。
バンパイアはさすがに有名とは言い難いが、デ・ハビランド社と同社の傑作機モスキートは映画の影響もあって有名だった時期があった。私も先に知ったのはモスキート。社名が同じなので同社の機体なのかとわかった。
デ・ハビランド社製造の機体はイニシャルの後に通し番号が付き、DH98がモスキート、DH100がバンパイアになる。間のDH99はバンパイアの全金属製バージョン。量産型バンパイアは機体の一部に木材が使われていた。

戦前、無名だった同社を一躍有名にしたのが「木造の脅威」と呼ばれた戦闘爆撃機DH.98モスキート。機体の大半が合板など「木」でできているため家具工場等で製造でき既存の設備や資源を圧迫せず大量生産できた。
また製造が容易で機体表面を平滑化できたため空気抵抗が減って速度性能が上がる。金属製に比べレーダーに探知されにくいステルス性もあった。
一部は極東にも送られたが、高温多湿の東南アジアでは木が腐ったり接着剤が劣化するトラブルが多発し活躍できず撤退。長大な航続力も有したこんな高性能機が日本軍や本土空襲に相見える事がなかったのは寧ろ幸い。
いわゆる「トンデモ兵器」の宝庫のイギリス軍にあって、新機軸を完全に掌中に収め実用化レベルに持っていけたのがデ・ハビランド社の実力だ。

バンパイアではデ・ハビランド社はジェットエンジンも自社製を搭載する。遠心式ターボジェットエンジンは当時としては信頼性があり量産機にも改良型が使われた。第一世代ジェット戦闘機で機体とエンジン双方を製造できたのはデ・ハビランド社だけ。開発力と生産力両方を持っていた。
バンパイアの実戦は戦後で、第一次印パ戦争にインド空軍から参戦。程なくパキスタン空軍に配備されたF86セイバーに完敗を帰すが、インド空軍が導入した超軽戦闘機ナットに仇を討たれる戦記が世界的に有名になった。

後年かなり誇張された武勇伝とする説もあったが、インド空軍がナットをライセンス生産した他、自国製の改良型アジートを開発したことを考えると実戦での高評価は疑う余地はない。或いは周辺国に大量に供給され文字通り救世主となったセイバーに対する優位性を誇示したのかもしれない。
セイバーは空自でも運用され、用途廃止となった機体が今も各地に現存。ナットはチャーリー・シーンの映画「ホットショットⅡ」で米海軍機として大活躍。両機とも米英空軍のアクロバットチームや、F86Fは空自の初代ブルーインパルスにも採用され、操縦性や運動性の高さは定評があった。
当のバンパイアは…なんと!日本のアニメにもすでに出演していた!…

AIKa ZEROは2009年のアニメ。今のアニメに比べたらチープな感じは否めないが、バンパイヤの離陸や操縦シーンのクオリティーは高い。離陸からハイレートクライムは空自の基地祭ではお馴染みだが、バンパイアのDHゴブリンIIターボジェットエンジンの推力(=1,410kg)ではたぶんムリ。

異様に詳細なコックピット内のディテールは、アニメ「SHIROBAKO」と同様に浜松基地エアパークでの実機取材の成せる技かと思う。浜松基地のバンパイアは練習機型でDH.115が形式名。T55は機体番号と云われる。

アニメ放送時には未装備だったF35に誘導されるアイカのバンパイア。戦後しばらくはアメリカよりイギリス側の航空機技術が優位にあり我が国はその双方から技術供与を受けていた。戦後初のジェット機T-1Aはナットと同じブリストル・シドレー オーフュース、同じく三菱F-1/T-2はロールスロイス・アドーアMk801を搭載。ライセンス生産によって技術力を蓄えた。
遡れば英国は「日英同盟」からの友好国であり将来も友好で在り続ける。