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ミリタリー
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タミヤ会長閣下のお話でも度々拝聴した旧ソ連主力戦車T-72。当時田宮社長は旧ソ連製この戦車のプラモ化を企画。旧ソ連大使館に取材を申し込んだが這う這うの体で断られたという。その後イスラエルに現存する同車を取材しプラモ化に漕ぎ着ける。それだけ当時のT-72には話題性があった。

1970年代半ばくらいモスクワ「赤の広場」のパレードでT-72が確認された時(今では信じられないが)西側情報筋はかなり驚愕した。当時まだT-64が未確認な中でその発展型の配備が確認されたのだから無理もない。当時アメリカを含むNATOはMBT-70(KPz.70)の開発に失敗。後継車の見込めない状況でM47やM60が頼みの綱だった。時代背景はもう少し掘り下げるが、おそらく旧ソ連もT-64の開発が難航する中で、東側諸国向けに配備が急がれたT-55の後継となる普及版を先行して開発したというのが個人的見解。

1970年代半ばくらいモスクワ「赤の広場」のパレードでT-72が確認された時(今では信じられないが)西側情報筋はかなり驚愕した。当時まだT-64が未確認な中でその発展型の配備が確認されたのだから無理もない。当時アメリカを含むNATOはMBT-70(KPz.70)の開発に失敗。後継車の見込めない状況でM47やM60が頼みの綱だった。時代背景はもう少し掘り下げるが、おそらく旧ソ連もT-64の開発が難航する中で、東側諸国向けに配備が急がれたT-55の後継となる普及版を先行して開発したというのが個人的見解。
テーマ:ロシア・ウクライナ・CIS関連情報 - ジャンル:政治・経済