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火薬御飯

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今こうした箱物には賛否両論あるが先ずは実際に見てみない事には風評を鵜吞みにしたような話になる。ましてこの場所に博物館を作るには企画段階からたいへんだっただろう。私が私的に興味があるのは実際の遺構だ。
静岡市歴史博物館静岡市葵区追手町4番16号午前9時~午後18時徳川家康今川義元駿府城遺稿
晩年の徳川家康の居城として有名な駿府城の元になったのは室町時代頃に今川家の武家屋敷として建てられた館だったと云われる。その後、武田の上洛により今川が退散。豊臣方の家臣が住んだ後に徳川に渡る。戦国武将は自らの勢力下にあることを誇示するため敵城を占拠した後は焼き払ったりその後に自分の城を造ったりする。その時には前の城主の痕跡を消したがる。武田は今川を追い出し、豊臣はその上に、家康は更にその上に城を建てた様子が伺える。だから発掘が進むと今川や豊臣の遺構が見付かる。
静岡市歴史博物館静岡市葵区追手町4番16号午前9時~午後18時徳川家康今川義元駿府城本丸遺稿
駿府城はそうした何重にも遺構が折り重なった城址ということになる。もっと言うと今残っている堀はいちばん内側の本丸の堀で、その外側に今はオフィスビルや商店街がある付近に三重の外堀がまだ埋まっているといわれる。外堀には安倍川から水を入れる水路があり、反対側には水運のため海にまで繋がる水路も存在した。駿府城は実に広大な敷地を占めていた。更にその外には武家屋敷や町人町。それらは今でも町名になって残っている(ブラタモリでやれよNHK)。古来外堀を埋める時には廃材等のゴミやガラクタだけでなく家畜や人の死骸まで埋めてしまうのが常識。結局のところ静岡市中心部はドコを掘っても何らかの遺跡が出ると云われている。
静岡市歴史博物館(戦国時代の石垣跡)静岡市葵区追手町4番16号午前9時~午後18時徳川家康今川義元駿府城遺稿
戦国時代の石積という実際の遺跡。こういう展示が良いと思うし私的に好き。ただ徳川より数百年前のもので「家康」を売りたい昨今の主旨と少しズレる。たぶん今川屋敷の遺構ではないかと思うが実際の今川館はもう少し西側とする説もある。だから遺跡の発掘はキリがないし事実上不可能な部分も多い。駿府城の復元の計画もあるが発掘の完了を待っていると何時になるかわからない。結局こうした施設はドコで折り合いを付けるか課題で最も難しい。学術的な側面を捨てて観光資源として考えるなら、多少信憑性に欠けても家康の居城で二度も焼失した駿府城の復元が良いと思う。序でにレストランで興津鯛の天ぷらと折戸茄子を出してくれたら尚好し。

テーマ:博物館 - ジャンル:学問・文化・芸術

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