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オートバイ
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だいぶカタチになってきたので、自賠責を取って登録。ナンバープレートを付けました。こうなるともうその気になって妄想ばかりが拡がってしまいます。ナンバーの数字はシャッフルしてありますが、実物もゴロが良くてなかなか気に入っています。昔だったら、このまま何処かへ走って行ってしまったかもしれませんが、あせらずもう一度点検。

エンジンの音だけ聞いていると、やはりFZ250フェーザーを思い出します。FZ250フェーザーの発売が1985年、翌1986年には早くもFZR250(2KR)が発表されていたので モデルチェンジまで僅か一年弱だった事になります。同じ1986年にホンダから ビッグスクーターの元祖フュージョンが さらに翌1987年には かの有名なTW200の初期型が 世に出ているのですが、その頃は(私を含めて)誰も見向きもしなかったと思います。
以下は、妄想…というか、以前乗っていたFZ250。知人からの借物ですが、「もう乗らない」とのことなので ”ロング”に使わせて戴きました。

それにしても…、人様の好意に甘えて 青森まで行くヤツがあるか!転倒歴があったらしくクランクケースからオイルが滴っていたました。無論オイルを足して洗車して返しましたが半月でオド2000km以上…。
写真プリントの裏側に"92"という文字があったので、1992年の夏だと思います。この時はフェリーの予約が(満席で!)取れず、バイクを青森駅前に置いて津軽海峡線で北海道上陸。 翌1993年、自分のバイク FX400Rで北海道上陸を果たしますが、その直前に奥尻島の地震があったため、道路工事で渋滞したり道内は少々混乱していました。

17年前の東北自動車道。場所はよく憶えていないが、太陽の角度からすると昼頃、福島県あたりか。道路が対面通行になっているので。
(※ 顔出しNGのため修正済…)
その日の寝床。東北道高舘PA。交通量が少なく高速道路上なのに静か。実際、下道でも信号も少ないので高速と変らないペースで走れる。

クルマは5分に1台くらいしか通らない。ましてPAに入って来る車は皆無。東名の喧騒が信じられない。 だから徹底的に使ってやろう。寝袋は上野のコージツで、合羽とバックは 今は無きコーリンで買った物。
ちょうど青森駅前はねぶた祭の準備中。交通規制が掛るため北海道を早く切り上げざるをえなくなった。この時期東北はやたらと お祭が多い。

重要文化財にはとくに興味がないので写真を撮って逃げる様に立ち去る。その後市内の海沿いの浅虫温泉で風呂。温泉はあちこち入った。
八戸で一泊、翌日三沢基地を(フェンスに登って)見学。明らかに不審者!

当時現役だったF-1支援戦闘機。本州ではここでしか お目に掛れない代物。Bon Jovi の初来日が(1986年)青森だったのはこの基地があったから。
八戸市内を国道沿いに南下して来たら、また!何かお祭をやってる!ご覧の通り、後ろが大渋滞しても 御構い無し。お祭の山車が最優先。

通りすがりの地元の古老が説明してくれるには、八戸三社大祭というらしいのだが、…古老の訛りが強くてよくわからなかった…フムフム。
三陸海岸の大槌にはひょっこりひょうたん島のモデルになった島があるそうだが、それとは全く関係のない公衆便所は「トイレ城」と云うそう。

看板に書かれているにはふるさと創生事業交付金で作りました!とある。国策の賛否は別として、こういうモノは その頃は日本中にあった。予算をわかりやすい形で 使い切らなければならない苦悩が見て取れる。
雨天のため写真が青い。釜石から内陸に入る直前の両国漁港付近。

先日もTVニュースに出ていたが、過去にも津波の被害が多かったため港や海岸線に沿って、異様なほど 頑丈そうな防波堤が設けられていた。
撮影に使ったカメラは当時(92年)でさえ年代モノだったオリンパスOM-1。デジカメにしてからは 携帯カメラと相俟って、写真撮影がさらに増えました。少しづつでも整理していかないと…。

エンジンの音だけ聞いていると、やはりFZ250フェーザーを思い出します。FZ250フェーザーの発売が1985年、翌1986年には早くもFZR250(2KR)が発表されていたので モデルチェンジまで僅か一年弱だった事になります。同じ1986年にホンダから ビッグスクーターの元祖フュージョンが さらに翌1987年には かの有名なTW200の初期型が 世に出ているのですが、その頃は(私を含めて)誰も見向きもしなかったと思います。
以下は、妄想…というか、以前乗っていたFZ250。知人からの借物ですが、「もう乗らない」とのことなので ”ロング”に使わせて戴きました。

それにしても…、人様の好意に甘えて 青森まで行くヤツがあるか!転倒歴があったらしくクランクケースからオイルが滴っていたました。無論オイルを足して洗車して返しましたが半月でオド2000km以上…。
写真プリントの裏側に"92"という文字があったので、1992年の夏だと思います。この時はフェリーの予約が(満席で!)取れず、バイクを青森駅前に置いて津軽海峡線で北海道上陸。 翌1993年、自分のバイク FX400Rで北海道上陸を果たしますが、その直前に奥尻島の地震があったため、道路工事で渋滞したり道内は少々混乱していました。

17年前の東北自動車道。場所はよく憶えていないが、太陽の角度からすると昼頃、福島県あたりか。道路が対面通行になっているので。
(※ 顔出しNGのため修正済…)
その日の寝床。東北道高舘PA。交通量が少なく高速道路上なのに静か。実際、下道でも信号も少ないので高速と変らないペースで走れる。

クルマは5分に1台くらいしか通らない。ましてPAに入って来る車は皆無。東名の喧騒が信じられない。 だから徹底的に使ってやろう。寝袋は上野のコージツで、合羽とバックは 今は無きコーリンで買った物。
ちょうど青森駅前はねぶた祭の準備中。交通規制が掛るため北海道を早く切り上げざるをえなくなった。この時期東北はやたらと お祭が多い。

重要文化財にはとくに興味がないので写真を撮って逃げる様に立ち去る。その後市内の海沿いの浅虫温泉で風呂。温泉はあちこち入った。
八戸で一泊、翌日三沢基地を(フェンスに登って)見学。明らかに不審者!

当時現役だったF-1支援戦闘機。本州ではここでしか お目に掛れない代物。Bon Jovi の初来日が(1986年)青森だったのはこの基地があったから。
八戸市内を国道沿いに南下して来たら、また!何かお祭をやってる!ご覧の通り、後ろが大渋滞しても 御構い無し。お祭の山車が最優先。

通りすがりの地元の古老が説明してくれるには、八戸三社大祭というらしいのだが、…古老の訛りが強くてよくわからなかった…フムフム。
三陸海岸の大槌にはひょっこりひょうたん島のモデルになった島があるそうだが、それとは全く関係のない公衆便所は「トイレ城」と云うそう。

看板に書かれているにはふるさと創生事業交付金で作りました!とある。国策の賛否は別として、こういうモノは その頃は日本中にあった。予算をわかりやすい形で 使い切らなければならない苦悩が見て取れる。
雨天のため写真が青い。釜石から内陸に入る直前の両国漁港付近。

先日もTVニュースに出ていたが、過去にも津波の被害が多かったため港や海岸線に沿って、異様なほど 頑丈そうな防波堤が設けられていた。
撮影に使ったカメラは当時(92年)でさえ年代モノだったオリンパスOM-1。デジカメにしてからは 携帯カメラと相俟って、写真撮影がさらに増えました。少しづつでも整理していかないと…。