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オートバイ
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大学3年の頃、アパートの近所にあるバイク屋に委託車5万円で転がっていたのが赤のホンダ・ビートだった。そろそろ就職や卒論が気になり始め、愛車のMBXで夜な夜な走り回るのも疲れ始めていたこともあり…即決。売り難い代物だったらしく諸費込みで五万円を頭金2万円払って後は三ヶ月の分割払い。貧乏大学生で、それでも払うのはタイヘンだった。

ただあくまで現状車だったため最初から機関の調子がイマイチで、巷に溢れていた2JAジョグスポーツやDJ-1Rに全く敵わない。もともと、この時期ホンダは駆動系を一新して今に続くVマチック(Vベルト無段変速)を完成させるが、ビートは旧タクトAB07と同じ旧型。それに気付くのは原付スクーターを何台もレストアするようになる後々の話。それとは知らず、金もないのでバイク屋から指南を受けながら、腰上オーバーホールに掛ったのは同じ年の冬休み頃。O/H後は快調…とは程遠いが多少の性能向上に自分で納得。いや自己満足はそうとうなもので超うれしかった。
80年代後半にはいわゆるメットイン・スクーターが主流になり収納スペースがない旧型の輸出相場は数千円。また原付の中古に対する信頼度も低く(実際は現行の中古より信頼性は遥かに高いが)在庫がダブつき始める。おかげでビートは現状不動で五千円前後で購入でき、合計で7~8台レストアして転売。売価平均3万円くらい。利益率はかなり高い。
ただやはりマニアックな機種のためメカの知識が多少ある客を選ばないと、売った後でクレームが出る可能性大。そんな身の程知らずのエンスー気取りを何人見たかわからない。やはりキック・スターターがないのはネック。そのキックギアの入る部分にはコグドベルトでクランクシャフトから動力を取るウォーターポンプが位置する。MFバッテリー採用のためかキックを廃止した車種はこの時期に多い。

キャブレターの外見はDJ-1等と同じだがボアは2mmほど大きい16Φとスポーツバイクなみ。メインジェットに至っては#105もあって明らかにカブり気味。スクリューを少しイジれば#95まで落としても普通に走れる。これは当時のレーサーレプリカ同様レースでの使用を意識していたように思う。また運悪く「原付60km/h規制」に引っ掛かり駆動系のデチューンで対処したような形跡がある。プーリーボスが長めで使用しない部分があり、ウェイトは12gもある。駆動系を改造しても最高速は70km/hに届くか届かないか。ただ回転計では12,000rpmも回っていた。
マニアックなビートよりも同時発売のフラッシュのほうが街中でよく走っていた。大学の駐車場でもよく見掛けたし先輩で乗っている人がいた。ビートは走っているところを(私以外)見ることはほとんどなかった。フラッシュは前後8インチで軽快に走る。ビートと共通部品はハンドル周りのカウルくらい。テレビCMもあった。

1984年といえば、まだ今ほどアニメの本数がなかった頃に、少年ジャンプ連載の「よろしくメカドック」が土曜夕方6時30分のゴールデンに2クール以上の30話も垂れ流された時代。一方の少年サンデーは「ふたり鷹」で対抗。その頃、過激に任せてホンダが投入したのがビート(AF07)とフラッシュ(AB19)。発売が同時でフラッシュのほうがスタンダードな印象。エンジンは初代タクトから引き継ぐ信頼性の高い機関。形式名の”AB-19”はタクティにも使われているが…理由は不明。

ただあくまで現状車だったため最初から機関の調子がイマイチで、巷に溢れていた2JAジョグスポーツやDJ-1Rに全く敵わない。もともと、この時期ホンダは駆動系を一新して今に続くVマチック(Vベルト無段変速)を完成させるが、ビートは旧タクトAB07と同じ旧型。それに気付くのは原付スクーターを何台もレストアするようになる後々の話。それとは知らず、金もないのでバイク屋から指南を受けながら、腰上オーバーホールに掛ったのは同じ年の冬休み頃。O/H後は快調…とは程遠いが多少の性能向上に自分で納得。いや自己満足はそうとうなもので超うれしかった。
80年代後半にはいわゆるメットイン・スクーターが主流になり収納スペースがない旧型の輸出相場は数千円。また原付の中古に対する信頼度も低く(実際は現行の中古より信頼性は遥かに高いが)在庫がダブつき始める。おかげでビートは現状不動で五千円前後で購入でき、合計で7~8台レストアして転売。売価平均3万円くらい。利益率はかなり高い。
ただやはりマニアックな機種のためメカの知識が多少ある客を選ばないと、売った後でクレームが出る可能性大。そんな身の程知らずのエンスー気取りを何人見たかわからない。やはりキック・スターターがないのはネック。そのキックギアの入る部分にはコグドベルトでクランクシャフトから動力を取るウォーターポンプが位置する。MFバッテリー採用のためかキックを廃止した車種はこの時期に多い。

キャブレターの外見はDJ-1等と同じだがボアは2mmほど大きい16Φとスポーツバイクなみ。メインジェットに至っては#105もあって明らかにカブり気味。スクリューを少しイジれば#95まで落としても普通に走れる。これは当時のレーサーレプリカ同様レースでの使用を意識していたように思う。また運悪く「原付60km/h規制」に引っ掛かり駆動系のデチューンで対処したような形跡がある。プーリーボスが長めで使用しない部分があり、ウェイトは12gもある。駆動系を改造しても最高速は70km/hに届くか届かないか。ただ回転計では12,000rpmも回っていた。
マニアックなビートよりも同時発売のフラッシュのほうが街中でよく走っていた。大学の駐車場でもよく見掛けたし先輩で乗っている人がいた。ビートは走っているところを(私以外)見ることはほとんどなかった。フラッシュは前後8インチで軽快に走る。ビートと共通部品はハンドル周りのカウルくらい。テレビCMもあった。

1984年といえば、まだ今ほどアニメの本数がなかった頃に、少年ジャンプ連載の「よろしくメカドック」が土曜夕方6時30分のゴールデンに2クール以上の30話も垂れ流された時代。一方の少年サンデーは「ふたり鷹」で対抗。その頃、過激に任せてホンダが投入したのがビート(AF07)とフラッシュ(AB19)。発売が同時でフラッシュのほうがスタンダードな印象。エンジンは初代タクトから引き継ぐ信頼性の高い機関。形式名の”AB-19”はタクティにも使われているが…理由は不明。