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火薬御飯

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 牧口先生の 「人生地理学」第四章で 伊豆半島は、「火山岩の噴出によりて形成」と説かれ、大聖人の時代は流刑地として、江戸時代には海上交易の要衝となり、戦時中には特殊潜航艇の基地など 国防上の拠点にもなってきた。
伊豆半島  創価学会 下田牧口記念会館 静岡県下田市須崎
 昭和十八年七月。御高齢の牧口先生に 盛夏の伊豆は堪えたであろう。地理学者の先生は、或いは 御自分の学説を検証しながら 天城路を歩まれていたのかもしれない。4日に蓮台寺で座談会。伊豆急に乗って移動されたか、5日に下田で座談会。同日は須崎の御友人宅へ一泊。翌6日午前 下田署に連行された。

 「牧口」の名を冠された文化会館は、全国に数ヶ所しかない。東京、柏崎と此処 下田記念会館。柏崎は牧口先生の御生誕地だが、此処下田は法難に合われた所。他にも伊東や熱原(富士)など、実に静岡は「法難之地」だ。
創価学会下田牧口記念会館 静岡県下田市須崎
 記憶が定かではないが、以前 池田先生がスピーチの中で この下田牧口記念会館を紹介され、「皆さん!行きましょうね!」と 言われたのを覚えている。「道の遠きに心ざしのあらわるるにや」と御書にもあるが、近くだから何時でも行けると思ってしまえば、行かないと決めたのも同じ。「今日やるべき事は 今日やろう!」 。当然 興味本位であって活動でも体験でもない。

 逆に「夏期講習」の様な研修で来ていたらガチガチに構えて来ることになるだろうから景色を愉しむ余裕もないだろう。心の中で「来ました!」と呟いた…だけ。
創価学会 下田牧口記念会館 静岡県下田市須崎
 69年前が どんな様子だったか知る由もない。中には職員の方もいるようだし…執拗に覗き込んで 商売仇のセンサーやカメラに映るわけにもいかない。 予約したわけでもなく黙って撮影させてもらって、題目三唱の後 遺徳の地を後にする。

 記念会館から 少し離れて缶珈琲で一服。須崎は下田から さらに沖に突き出した半島部だが 多摩丘陵を連想する閑静な地域。皇室領である御用邸もあるから、防犯や治安面は下手な ”民間” など 口を出すのも憚かられる。
下田港 須崎 創価学会 下田牧口記念会館 静岡県下田市須崎
 戦中とはいえ官憲は よくも高齢の学者一人を此処まで追い掛けて来たものだ…と呆れること頻り。それも陛下の御名において遂行されていたのだろうが、思想犯という目に見えない力を持つ者は、錦の御旗の下でも脅威だったに違いない。伊豆の地は常にそうした歴史の荒波に曝されてきた場所。

テーマ:創価学会 - ジャンル:学問・文化・芸術

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