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旅行・ツーリング
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静岡市から軽井沢に通ずる道は国道52号~141号のほぼ一本と言ってもいい。2年前は甲府から雁坂峠を超えて行ったが 今回は冬仕様のままでオイルクーラーもなくオーバーヒートが心配。特に群馬側は富岡製糸所の世界遺産登録とやらで渋滞しそう。高速道路はかえって遠回りにもなる。

小諸から佐久に入る頃5時を回ってしまったため本隊にメール。買い出し中とのこと。「夕食に間に合う」と思ったら何故か焦り始め佐久から上信越道に乗る。軽井沢の市街地が例に寄って渋滞。数年前シルバーストーン前の国道沿いにコンビニが開店してくれたおかげで目標物が出来て迷わなくなった。
ゴールデンウィークにカレンダー通りに休めたのは おそらく社会人になって初めての事。連休中に仕事をしていると渋滞にハマりに出掛ける行楽客がバカに見えたが自分が休みとなれば話は別。精々連休を謳歌させて貰おう。
午後6時過ぎくらいに中軽井沢ペンション シルバーストーン到着。ここまでの燃費は1ℓ=17.8kmと下道で多少渋滞を喰らったわりにはイイほうではないかと思う。前々日にシリンダーヘッドからのオイル滲みを対策。これはなんとか治ったがタコメーターとインジケーター、ウィンカーが点かなくなった。

すでに御夕食の時間だが奥様の心配を他所に皆さん勝手にやっている御様子。日中天気も良く過ごし易い気温。日没も遅くまだ明るい。私も…意外なほど疲れていなかったが自分の荷物を降ろすでもなく御夕食に気が逸る。

「なにもかも みな懐かしい…」って2年振りなんですけど。オーナーでもあるKen鈴木氏によると KROGが初めて此処に来たのは1995年だという。私のKR250Sの初陣もココ軽井沢。その翌年くらいかと思う。景気の良い頃だったがコンビニやガススタも少なく道中あまり便が良くなかった気がする。

現地でKR250のブレーキ修理に勤しむ会長閣下。ブレーキパッドが減って地金が出てきてしまったそうだ。昔のカワサキはほとんど同じ形状のキャリパー。 パッドの値段もピンキリでバイク屋も常時在庫していた。夕食も忘れ整備に励む会長閣下を見殺しに夕食とアルコールが待ちきれず乾杯の我々。

オードブル、アントレ、ポアソン、と順次出されるディナーを召し上がる。普段山盛りをドリンクと共に流し込む大食漢でも 時間を掛けて食べることで確かな満足。欧風調度品と妙に馴染んだ往年のレース車に囲まれ至福の一時。

男なら誰でも憧れる こういうインテリア…自分の部屋でやろうとしても上手くいかないんだよなぁ。逆に自室が鉄工場みたいになったり タペストリーや抱き枕いっぱいの痛部屋になったり。 人に歴史あり。此れ即ち人間性の問題。

やはり我々にはコンビニが似合う。シルバーストーンから徒歩15分程。国道18号沿いで人家も疎らなため大声で馬鹿話をしながらの百鬼夜行。酒類が置いてあるのが福音。オツマミを買うことに夢中になって肝心のビールを買うのを忘れる。ボケではない。直ぐに腹が減って自分の食扶持だけ考えていた。

大部屋貸切状態で二次会に突入。勝手知ったる無礼講。山間地なので窓を開けると少し寒いくらいがちょうどいい。全員が毒舌家のため内容は割愛するが深夜の討論番組と2ch掲示板を合わせたような激論。因みに全員超愛国主義者で祖国の未来は明るい。私が寝る頃には外が明るくなっていた。

夢現のまま朝食が目の前にあった。シアワセ。こういう所に来た時くらいは洋食が良い。一泊で風呂とベッドがあると 疲れが残らないので翌日めいっぱい遊べる。もう一回寝たい…とか思ったりもするが チェックアウトの時間。

記念撮影の後Ken鈴木監督と奥様に御礼を言ってシルバーストーンを後にする。前回2年前はこの時間すでに雨が降っていた。群馬側に下った私は数時間後に北関東で竜巻を発生させる爆弾低気圧の中に突っ込む羽目になった。この日は超いい天気。此処で一同解散。私は横川おぎのやに向う。

目的は無論数年振りとなる釜めし。初音ミク痛CBR1000RRのT氏は福島方面へ。会長とI氏は伝説のオートレストラン「鉄剣タロー」に向うという。激しく誘惑に駆られるが これ以上距離が伸びると帰路のオーバーヒートが怖い。おぎのやで昼食の後引き返し長野方面の諸国漫遊へ。実はこれも数年振り。

小諸から佐久に入る頃5時を回ってしまったため本隊にメール。買い出し中とのこと。「夕食に間に合う」と思ったら何故か焦り始め佐久から上信越道に乗る。軽井沢の市街地が例に寄って渋滞。数年前シルバーストーン前の国道沿いにコンビニが開店してくれたおかげで目標物が出来て迷わなくなった。
ゴールデンウィークにカレンダー通りに休めたのは おそらく社会人になって初めての事。連休中に仕事をしていると渋滞にハマりに出掛ける行楽客がバカに見えたが自分が休みとなれば話は別。精々連休を謳歌させて貰おう。
午後6時過ぎくらいに中軽井沢ペンション シルバーストーン到着。ここまでの燃費は1ℓ=17.8kmと下道で多少渋滞を喰らったわりにはイイほうではないかと思う。前々日にシリンダーヘッドからのオイル滲みを対策。これはなんとか治ったがタコメーターとインジケーター、ウィンカーが点かなくなった。

すでに御夕食の時間だが奥様の心配を他所に皆さん勝手にやっている御様子。日中天気も良く過ごし易い気温。日没も遅くまだ明るい。私も…意外なほど疲れていなかったが自分の荷物を降ろすでもなく御夕食に気が逸る。

「なにもかも みな懐かしい…」って2年振りなんですけど。オーナーでもあるKen鈴木氏によると KROGが初めて此処に来たのは1995年だという。私のKR250Sの初陣もココ軽井沢。その翌年くらいかと思う。景気の良い頃だったがコンビニやガススタも少なく道中あまり便が良くなかった気がする。

現地でKR250のブレーキ修理に勤しむ会長閣下。ブレーキパッドが減って地金が出てきてしまったそうだ。昔のカワサキはほとんど同じ形状のキャリパー。 パッドの値段もピンキリでバイク屋も常時在庫していた。夕食も忘れ整備に励む会長閣下を見殺しに夕食とアルコールが待ちきれず乾杯の我々。

オードブル、アントレ、ポアソン、と順次出されるディナーを召し上がる。普段山盛りをドリンクと共に流し込む大食漢でも 時間を掛けて食べることで確かな満足。欧風調度品と妙に馴染んだ往年のレース車に囲まれ至福の一時。

男なら誰でも憧れる こういうインテリア…自分の部屋でやろうとしても上手くいかないんだよなぁ。逆に自室が鉄工場みたいになったり タペストリーや抱き枕いっぱいの痛部屋になったり。 人に歴史あり。此れ即ち人間性の問題。

やはり我々にはコンビニが似合う。シルバーストーンから徒歩15分程。国道18号沿いで人家も疎らなため大声で馬鹿話をしながらの百鬼夜行。酒類が置いてあるのが福音。オツマミを買うことに夢中になって肝心のビールを買うのを忘れる。ボケではない。直ぐに腹が減って自分の食扶持だけ考えていた。

大部屋貸切状態で二次会に突入。勝手知ったる無礼講。山間地なので窓を開けると少し寒いくらいがちょうどいい。全員が毒舌家のため内容は割愛するが深夜の討論番組と2ch掲示板を合わせたような激論。因みに全員超愛国主義者で祖国の未来は明るい。私が寝る頃には外が明るくなっていた。

夢現のまま朝食が目の前にあった。シアワセ。こういう所に来た時くらいは洋食が良い。一泊で風呂とベッドがあると 疲れが残らないので翌日めいっぱい遊べる。もう一回寝たい…とか思ったりもするが チェックアウトの時間。

記念撮影の後Ken鈴木監督と奥様に御礼を言ってシルバーストーンを後にする。前回2年前はこの時間すでに雨が降っていた。群馬側に下った私は数時間後に北関東で竜巻を発生させる爆弾低気圧の中に突っ込む羽目になった。この日は超いい天気。此処で一同解散。私は横川おぎのやに向う。

目的は無論数年振りとなる釜めし。初音ミク痛CBR1000RRのT氏は福島方面へ。会長とI氏は伝説のオートレストラン「鉄剣タロー」に向うという。激しく誘惑に駆られるが これ以上距離が伸びると帰路のオーバーヒートが怖い。おぎのやで昼食の後引き返し長野方面の諸国漫遊へ。実はこれも数年振り。
テーマ:KR250/KR250S/KR-1 - ジャンル:車・バイク
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静岡から軽井沢を目的地にして行くと、横川は碓氷峠を隔てて裏側になる。横川おぎのやに寄っても「コレを食べてしまうと夕食が入らなくなる…」等とヘンなところに気に使って抑えていた。ココ数年ご無沙汰だった峠の釜めし。

今年はとうとう1000円の大台に乗った。香物付き味噌汁なし。御当地物が多少高いのは致し方ない。コンビニやファミレスだけでなくB級グルメなどのライバルが群雄割拠の時代。元々「駅弁」なわけで今となっては歴史と伝統を食っているようなもの。此処で釜飯を食べることが何より自慢とステータス。
手持ち無沙汰に釜飯の包み紙や箸袋を眺めながら食べる。おぎのや正面の横川駅と軽井沢が信越本線で継っていた頃の風情を 歴史小説でも読むつもりで目で追いながら食べると1000円も安いとさえ思えてくる。鉄道オタなら廃止される直前が一番旨い所かもしれないが歴オタにはその後が旨い。
ドライブインという呼称が思いっきりレトロ。記憶にある限り 少なくとも20年くらい外観は変わってないが 産業遺産にでも登録されるまでこのまま保存してもらいたいものだ。バブルの頃の単価は確か700円くらい。その頃軽井沢は身体に悪いほど物価高だったので庶民は此処で昼飯を済ませて行った。

「何年前の写真?…」というときクルマの車種を見る。それをブち壊しにしているのが中央に移っている私の会長閣下の愛機。あと10年くらい経っても同じ写真が取れそうで怖い。中古が安かったから買ったのであってコダワリでもプライドでもない。見向きもされなかったポンコツが 古くなるとある時期から急に(世間的)価値が上がってくるのは不思議だ。人間も そうありたい。

今年はとうとう1000円の大台に乗った。香物付き味噌汁なし。御当地物が多少高いのは致し方ない。コンビニやファミレスだけでなくB級グルメなどのライバルが群雄割拠の時代。元々「駅弁」なわけで今となっては歴史と伝統を食っているようなもの。此処で釜飯を食べることが何より自慢とステータス。
手持ち無沙汰に釜飯の包み紙や箸袋を眺めながら食べる。おぎのや正面の横川駅と軽井沢が信越本線で継っていた頃の風情を 歴史小説でも読むつもりで目で追いながら食べると1000円も安いとさえ思えてくる。鉄道オタなら廃止される直前が一番旨い所かもしれないが歴オタにはその後が旨い。
ドライブインという呼称が思いっきりレトロ。記憶にある限り 少なくとも20年くらい外観は変わってないが 産業遺産にでも登録されるまでこのまま保存してもらいたいものだ。バブルの頃の単価は確か700円くらい。その頃軽井沢は身体に悪いほど物価高だったので庶民は此処で昼飯を済ませて行った。

「何年前の写真?…」というときクルマの車種を見る。それをブち壊しにしているのが中央に移っている私の会長閣下の愛機。あと10年くらい経っても同じ写真が取れそうで怖い。中古が安かったから買ったのであってコダワリでもプライドでもない。見向きもされなかったポンコツが 古くなるとある時期から急に(世間的)価値が上がってくるのは不思議だ。人間も そうありたい。