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例年9月初め頃開催される”80's Meeting(=エイティーズ・ミーティング)”。私的にあまり暑いのは苦手だが、夏に遊び足りないとか、シーズンオフに向かって寂しいと思う方に向いている。その名の通りすでに30年以上が経過した戦友会。盛夏ではさすがにマシンもライダーにも厳しい。

前夜まで痛ステッカー作りに没頭し、メンテはそっちのけだった我が愛機FZR250改「合体フェーザー」。入口で「コレはFZですか?FZRですか?」と ご注文を聞かれたが「2KRです」と答えるたらFZ250のシマに案内された。ヤな奴みたいだが本当にどっちも大好きで良いトコ取りしたつもり。ちなみにフェーザーではマグネットシートの痛ステッカーが使えない。80年代に 「タンクバックが付かない」のは車両の欠点だった。

会場手前側にヤマハ。奥側中央にスズキ。その隙間(笑)にホンダとカワサキがメーカーごとに集結。車種もコースも見事にバラバラに参集した我がパーティーKROGのメンバーが受付の前に集結。せめてものご協力に、持ち寄りの抽選会の景品を供出している。ご覧の通り晴天で気温も上昇しているが、前夜の雨で路面は濡れて駐車場の隅には水溜りが残る。

今回会場内で注目してしまったのが、このFZR250二代目となる3HX型。スリップオン実装。オーナーズクラブの方かもしれない。白ベース赤青ストロボも挑発的で捨て難いが、当時ストリートではスーパーブラックやガンメタも流行った。奥のデルタボックスFZR250Rは「特攻の拓」浅川拓ちゃんの愛車「ケニー・ロバーツ号」。今更アニメ化熱望。

結局FZ250フェーザーのシマに入れてもらった我が2KR。テールカウルの”GENESIS”とはザフトの核レーザー砲のことではなく当時のヤマハの前傾シリンダーエンジンのコンセプト名。手前の赤黒はYSPに2KRエンジンを積んだらしくマフラーはサンセイ。隣りはダイシン製。ダイシンは後方排気も作るハイテク企業。能書きはいらない。ハイメカこそ命!

「昔は こういうのがトレンディーだった」と今の若者に自慢したい初期FZR250。白いホイールは美しいが、ナゼか塗膜が弱くベロベロに剥げた。メンズコスメが珍しい時代に資生堂テック21の印象は強烈。当時の大人気のあだち充の「タッチ」の須見工のエース新田の愛車も この3HX型だ。

FZ400R(46X)は前型XJ400Z-Sと同型エンジンに鉄フレームだがGSX-Rより人気があったように思う。私の友人は コレに上から下まで「平レプリカ」で決めていた。あいつとララバイの原宿テディボーイズのリーダー・ユウキの妹 まりなの愛車。…とかいうと昭和のオタクみたいだが、昔のライダーは皆マンガに影響された。「バリ伝」の影響も大きかった。

FZ750といえば鈴鹿8耐からパリダカまで席捲した超名車。その後継で市販車のFZR750(OW-01)の名称がYZFに変わったのは93年頃。250~400ccにYZFの名は最近まで使われなかった。とにかく昔は車名に“R”がたくさん付く。ヤマハワークスは むしろライダーが人気。今年もヤマハは8耐を制した。ヤマハのマシンにはスペックよりもストーリーがある。

スズキユーザーでもある私は、ミスターバイクBGがよく使う「鈴菌」という蔑称が好きになれない。オーナーズクラブが作れるほど台数がないため、嘲笑の的にもなるが、逆に注目も集める。250cc4気筒の先駆はスズキGS250FWで、その同系エンジンを積んだ最終形態がアクロス。当時最強スペックに この利便性。スズキは常に孤高の先駆者だ。

車歴30年を経たレーサーレプリカの課題は外装の維持。さすがに(コケてカウルを大破した)ネイキッド仕様は見掛けない。今ではデカールは素人でも再現できるし、海外製パーツも増えている。旧車の未来は明るいゾ。

前夜まで痛ステッカー作りに没頭し、メンテはそっちのけだった我が愛機FZR250改「合体フェーザー」。入口で「コレはFZですか?FZRですか?」と ご注文を聞かれたが「2KRです」と答えるたらFZ250のシマに案内された。ヤな奴みたいだが本当にどっちも大好きで良いトコ取りしたつもり。ちなみにフェーザーではマグネットシートの痛ステッカーが使えない。80年代に 「タンクバックが付かない」のは車両の欠点だった。

会場手前側にヤマハ。奥側中央にスズキ。その隙間(笑)にホンダとカワサキがメーカーごとに集結。車種もコースも見事にバラバラに参集した我がパーティーKROGのメンバーが受付の前に集結。せめてものご協力に、持ち寄りの抽選会の景品を供出している。ご覧の通り晴天で気温も上昇しているが、前夜の雨で路面は濡れて駐車場の隅には水溜りが残る。

今回会場内で注目してしまったのが、このFZR250二代目となる3HX型。スリップオン実装。オーナーズクラブの方かもしれない。白ベース赤青ストロボも挑発的で捨て難いが、当時ストリートではスーパーブラックやガンメタも流行った。奥のデルタボックスFZR250Rは「特攻の拓」浅川拓ちゃんの愛車「ケニー・ロバーツ号」。今更アニメ化熱望。

結局FZ250フェーザーのシマに入れてもらった我が2KR。テールカウルの”GENESIS”とはザフトの核レーザー砲のことではなく当時のヤマハの前傾シリンダーエンジンのコンセプト名。手前の赤黒はYSPに2KRエンジンを積んだらしくマフラーはサンセイ。隣りはダイシン製。ダイシンは後方排気も作るハイテク企業。能書きはいらない。ハイメカこそ命!

「昔は こういうのがトレンディーだった」と今の若者に自慢したい初期FZR250。白いホイールは美しいが、ナゼか塗膜が弱くベロベロに剥げた。メンズコスメが珍しい時代に資生堂テック21の印象は強烈。当時の大人気のあだち充の「タッチ」の須見工のエース新田の愛車も この3HX型だ。

FZ400R(46X)は前型XJ400Z-Sと同型エンジンに鉄フレームだがGSX-Rより人気があったように思う。私の友人は コレに上から下まで「平レプリカ」で決めていた。あいつとララバイの原宿テディボーイズのリーダー・ユウキの妹 まりなの愛車。…とかいうと昭和のオタクみたいだが、昔のライダーは皆マンガに影響された。「バリ伝」の影響も大きかった。

FZ750といえば鈴鹿8耐からパリダカまで席捲した超名車。その後継で市販車のFZR750(OW-01)の名称がYZFに変わったのは93年頃。250~400ccにYZFの名は最近まで使われなかった。とにかく昔は車名に“R”がたくさん付く。ヤマハワークスは むしろライダーが人気。今年もヤマハは8耐を制した。ヤマハのマシンにはスペックよりもストーリーがある。

スズキユーザーでもある私は、ミスターバイクBGがよく使う「鈴菌」という蔑称が好きになれない。オーナーズクラブが作れるほど台数がないため、嘲笑の的にもなるが、逆に注目も集める。250cc4気筒の先駆はスズキGS250FWで、その同系エンジンを積んだ最終形態がアクロス。当時最強スペックに この利便性。スズキは常に孤高の先駆者だ。

車歴30年を経たレーサーレプリカの課題は外装の維持。さすがに(コケてカウルを大破した)ネイキッド仕様は見掛けない。今ではデカールは素人でも再現できるし、海外製パーツも増えている。旧車の未来は明るいゾ。